Judgeを「先生」と呼ぶ、そんな日常の積み重ねから…
きょうは文春オンラインで配信された書評から、猫界に身を置く者として何が学べるかを考えたいと思います。
実は評者のことを知らなければ、評される作品を読んでもおらず、評者にも作品にもその作品の筆者にも失礼に当たるであろうという自覚を持ちつつ綴ります。
記事のタイトルは「自分の夫を『主人』と呼ぶ、相手の夫を『ご主人』と呼ぶ」そんな日常の積み重ねから“性加害”は生まれる 額賀澪が『ジェンダー・クライム』(天童荒太 著)を読む」
【当たり前のように「先生」と呼び呼ばれる組織風土】
評者である作家の額賀澪さんはこう書いています。
「性犯罪がいかに『日常の積み重ね』から生まれるかということだ。日々の生活の中で〈当たり前〉として受け入れていた男女間の不平等や役割の押しつけ、差別の延長に性犯罪がある」ーー。
毎週末のショーにおいても、「〈当たり前〉として受け入れていた」Judgeと出陳者間の「不平等や役割の押しつけ、差別の延長」を見るのは私だけでしょうか?
審査結果に対するさまざまな疑問や不満が吹き出している背景に、こうした精神構造があるように思えてなりません。
【呼び方の裏にある「上下関係」「主従関係」という精神構造】
額賀澪さんはこうも書いています。
「そのことをよく表しているのが、作中で描かれた夫の呼称問題だ。自分の夫を『主人』と呼ぶ、話し相手の夫を『ご主人』と呼ぶ。当たり前に使っている呼称も、漢字を見てみたらご主人様の主人である。夫婦とは対等な関係であるはずなのに、呼称の中に当然という顔で上下関係――いや、主従関係がある」ーー。
猫界でも、Judgeに対して「先生」と、当たり前のように聞こえてきます。
本来、Judgeも出陳者もブリーダーも、ルールとStandardsを理解した上で参加する「対等な関係であるはずなのに、呼称の中に当然という顔で上下関係――いや、主従関係がある」と思えてしまうのは私だけでしょうか?
【「先生」と呼ばれることに胡座をかいていませんか?】
どうしてStandardsやRulesを学ぶ姿勢の欠如が生じてしまうのでしょうか。
ブリーダーから真摯に学ぶ姿勢があれば、PENALIZEの対象を見逃すような事態は起きないのではないでしょうか。
全ては、「先生」と呼ばれることに胡座をかいているのではないかという1点に収斂してしまうように思えてなりません。
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【注目ニュース】※随時更新しています。
◆新型コロナウイルス感染症の「5類移行」に伴い、これまでの「全数把握」による毎日の感染者数の発表は2023年5月8日(月)が最後となり、その後は全国5000の医療機関からの報告をもとに公表する「定点把握」に変わりました。
◆東京都の2月19~25日の感染報告者数は1医療機関当たり5.30人で前の週に比べ26.2%減りました。
◆大阪府の2月19~25日の感染報告者数は1医療機関当たり5.02人で前の週に比べ21.3%減りました。
◆名古屋市の2月19~25日の感染報告者数は1医療機関当たり8.73人で前の週に比べ22.5%減りました。
◆福岡市の2月19~25日の感染報告者数は医療機関当たり7.14人で前の週に比べ20.1%減りました。
◆北海道の2月19~25日の感染報告者数は1医療機関当たり8.38人で前の週に比べ18.7%減りました。
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