「誰一人として止めない」ことの〝罪と罰〟
米FOXのTVドラマ「レジデント 型破りな天才研修医」で、医療ミスによる後遺症に苦しむ患者が医事を司る行政側に次のように訴えるシーンがあります。
「脚が不自由になって婚約も破棄されました」
「ベッドで寝返りを打つ時も、棚の本を取る時も、家を出て車に乗り買い物する時も、痛みと苦痛が伴います」
「なぜですか?」
「それは手術すべきでない医師を誰一人として止めなかったからです」--。
【正すべきを正さない〝庇い合い〟から何も生まれない】
医療事故や医療ミスを巡っては医者同士で庇い合いがあることは容易に想像できます。
猫界においても同様に、どのような審査ミスがあったとしても、あるいは出陳者を傷付けるどのような言動があったとしても、Judge同士で庇い合ったとしても不思議ではありません。
しかし、このTVドラマに出てくる被害者の訴えのように、本来は身内同士で襟を正し合うべきなのに無関心を貫くことで、審査すべきでないようなJudgeが審査し続け、断続的あるいは継続的に様々な問題を引き起こすケースがあったとしたらどうでしょうか。
【「間違い」を繰り返さない/繰り返させないために】
この患者は続けます。
「事故は起こるものです。でも繰り返すものですか?」
「次の被害者は誰ですか? (あなたなら)奥さんを彼に診察させます?」
「息子さんは? お父さまは? それとも他人ならいいんですか?」
「ほとんどの医師たちがとても有能でいい人たちなのは分かっています」
「でも人の人生を台無しにして間違いを犯し続ける彼のような医師もいます」--。
どんな世界でも、こうした人を誰が止めるのか、誰が是正するのか、誰が間違いを繰り返させないようにするのか…。
【心ある人が〝人柱〟になる覚悟で〝火中の栗〟を拾う】
どんな団体・組織でもルールやプログラムが整い、それなりの委員会などがあり、対応するようになってはいます。
ですが、このTVドラマに出てくるケースもそうですが、どんな仕組みも制度も理想通りに運用され、当初掲げた目的通りになるわけではありません。
心ある人が〝人柱〟になる覚悟で〝火中の栗〟を拾わなければ決して良くはならないということを痛切に感じます。
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【注目ニュース】※随時更新しています。
◆新型コロナウイルス感染症の「5類移行」に伴い、これまでの「全数把握」による毎日の感染者数の発表は2023年5月8日(月)が最後となり、その後は全国5000の医療機関からの報告をもとに公表する「定点把握」に変わりました。
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