「悪が勝つのはひとえに…」「恥じるべきなのは…」
2月16日、ロシアのプーチン政権を批判していた反政府活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏が収監先の北部ヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所で亡くなりました。
このブログで取り上げたのは彼が生前、「悪が勝つのはひとえに善人が何もしないから…」とのメッセージビデオを遺していたからです。
【ナワリヌイ氏の奥さんのメッセージ「恥じるべきなのは…」】
小さな趣味も依怙贔屓や忖度、〝不正〟、いじめ・嫌がらせが蔓延るのは「善人が何もしないから…」とも言えるわけで、ナワリヌイ氏の言葉は決して他人事ではありません。
その後、ナワリヌイ氏の奥さんも動画を公開し、「夫が心から信じていた言葉をみなさんに伝えます」と言って、「できることが少ないと恥じる必要はない。恥じるべきなのは何もしないことだ」と訴えかけており、こちらも胸に刺さります。
声を上げない、何もしないメンバーがいる限り、小さな趣味の世界が健全になることはないだろうと思わざるを得ません。
【何もしないのは善人ぶった〝小悪人〟だから?】
しかし、よくよく考えてみると、「悪が勝つのはひとえに善人が何もしないから…」というのは果たして本当なの??と疑問を感じなくもありません。
なぜなら、本当の「善人」ならしっかりと声を上げ、何かをしようとするはずだからと思えてしまうからです。
「声を上げない」「何もしない」のは、善人ぶった〝小悪人〟なのではないか?という思いも脳裏をよぎります。
【ナワリヌイ氏の「行動をやめるな」「諦めるな」という言葉】
もちろん、被害者の立場に寄り添えば、「声を上げられない」「何もできない」「沈黙せざるを得ない」という心情も分からないではありません。
ただ、それをいいことに…と言うか、そういう心情に付け入って依怙贔屓や忖度、〝不正〟、いじめ・嫌がらせをし続けるという風潮は断たねばならないでしょう。
小さな趣味の世界でも〝戦い〟はあり、ナワリヌイ氏が遺した「行動をやめるな」「諦めるな」という言葉を胸に刻みたいと思います。
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