あらゆる「差別」なきRegion運営に向けて⑭
「(ベンチングで)隣になるというのを嫌っていう人がほとんどなので」--。
TICAのアジアディレクターを通算3期9年務めたクラブオーナーでもあるTICAジャッジは、東京地裁703号法廷で開かれた6日の「尋問」で、こう証言しました。
「隣」というのは、ベンチングでアクトクラブ員と隣合わせになることを言っています。
「みんな」同様、「ほとんど」も「差別」や「いじめ」「嫌がらせ」の現場に於ける「常套句」です。
「ほとんどの人が嫌っている」「ほとんどの人が嫌がっている」といったことを言う人に、「ほとんど」とは具体的に誰かと聞いても答えられないのと同じです。
「ほとんど」も匿名性を背景にしたレッテルを貼るやり方であり、TICAのアジアディレクターを通算3期9年務めたクラブオーナーでもあるTICAジャッジが法廷で証言することは、TICAの評判を貶めこそしても高めることにはならないでしょう。
もし、法廷で証言するのであれば、「意識調査」を実施し、ベンチングでアクトクラブ員の隣になるのを「嫌っていう人」がどのくらいいて、その「嫌っていう」ことが「差別」ではなく、しっかりとした合理的根拠を持つものなのかどうか調べた上で発言すべきではないでしょうか。
もちろん、「嫌っていう」感情そのものが「悪」であり、「罪」であると言っているわけではありません。
どうしても生理的に「嫌っていう」場合もあるかもしれませんし、言葉には出せないけれども、よくよく聞けば合理的根拠になり得る理由で「嫌っていう」場合もあるかもしれません。
ですが、「嫌っていう人」が実際にどれくらいいて、その理由に合理的根拠があるかどうかを示さずに、法廷で「(ベンチングで)隣になるというのを嫌っていう人がほとんどなので」と証言するのは、TICAのアジアディレクターを通算3期9年務めたクラブオーナーでもあるTICAジャッジとして相応しいとは思えません。
同じTICAのメンバーに関する証言なわけですから、そこには自ずと道義的な制約があるはずです。
TICAが国際的団体の組織であり、そのディレクター経験者でありジャッジであるなら、それに相応しい証言の仕方があると私は思っています。
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