あらゆる「差別」なきRegion運営に向けて⑥
歴史を振り返れば、「差別」と言えば「人種差別」がその最たる例であり、ヒトラーのユダヤ人大虐殺は人類の歴史上、消えることのない汚点と言えるでしょう。
しかし、そのヒトラーが大の読書家であり、その蔵書は1万6000冊前後に及んでいたことを知る人はそれほど多くないかもしれません。
ここでひとつの「問い」が浮かび上がります。
それだけ多くの本を読んで、豊富な知識を身に付けていたはずなのに、どうしてあんなことをしたのか?ということです。
ですが、その「答え」は現代の私たちにとって決して意外なものではなく、逆に「なるほど…」と理解しやすいものであると言えるでしょう。
自分に都合良く、恣意的に解釈していた--ということに尽きます。
いわば「我流」だったわけですが、これは小さな趣味の世界も同じです。
ルールというものが定めてありながら、言葉通りに正しく読んで解釈せず、自分に都合良く恣意的に解釈するから「出陳拒否」のようなことが起こるわけです。
そして、世の中全てのルールは「差別」とは無縁であるはずなのに、自分に都合良く恣意的に解釈するからそこに「差別」が芽生えてくるというわけです。
定められたルールを文字通り忠実に読み、理解する。
良識と常識に照らし合わせ、客観的に解釈する。
自分に都合良く恣意的に解釈していないか、常に自問自答する。
こうした作業を自分に課さない限り、あらゆる「差別」を排することはできませんし、どんなに小さな趣味の世界のトップであったとしても、こうした頭の中の作業は必須と言えるでしょう。
語学力より理解力や解釈力の方が大切であるという由縁もここにあるのです。