TICA Asia (East)にとっての「平成」とは…
「平成」という元号の時代は、TICA Asiaの歴史とほぼ重なります。
黎明期から成長期を移ったかに見えましたが、後半の約15年間は健全さを損ない、”失われた15年”と言っても過言ではないでしょう。
その原因が様々な面における”傲り”や”緩み”であったと見るのか、ごく一部のメンバーのよる常識を逸脱した”暴走”と見るのか、評価を下すのはもっともっと後にならなければ分かりませんが、組織風土としての問題、メンバーひとりひとりの問題でもあったことは否定のしようがありません。
その象徴事例は、度重なる不当な「出陳拒否」に見られました。
誰がどのように指示・命令したのかとは別に、エントリークラークもショーコミッティーも、TICAが定めたルールに従うことなく、まるで思考停止に陥ったかのように唯々諾々と誰かの指示・命令に従ったからです。
不正を止められるに止めなかった、差別をやめさせるのにやめさせなかった、声を上げようと思えばいつでも上げられたのに黙って見て見ぬふりをしていたことも、15年という長きにわたる、”失われた15年”を持続させることにつながりました。
一部のメンバーは、黙認するどころか、その”尻馬に乗って”、あたかも不正や差別ではないかのように”煽り立て”、印象操作という同調圧力によって、わずかに存在していた良識や常識を”封殺”しました。
猫界は、ある意味において”恵まれた人々”の趣味の世界であると言えるかと思います。
しかし、これもある意味において、そして一部の人々ではあるかもしれませんが、”恵まれている”ということを振り翳し、それが結果として”傲り”を生み、組織に不正と差別の温床となる”緩み”を育んでいったのだと思います。
奇しくも「平成」最後となる「平成31年度東京大学学部入学式」の祝辞で、上野千鶴子氏は次のように話しました。
「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」--。
この感覚(あるいは認識)をTICA Asiaメンバーひとりひとりが持ち得た時、TICA Asia (East)は健全な趣味の世界として甦り、新たな成長への道を歩んで行くのだと思います。
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