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2019年2月

2019年2月28日 (木)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(15)

「○○○○(被告側エントリークラークが所属していたクラブ)においては毎年50人弱の出陳者がいたものであるが、出陳拒否した翌年の○○○○のキャットショーにおいては、出陳者を募ったところ、原告らが出陳するのかと尋ねられることが多くなり、出陳すると回答したところ、それなら出陳しないという人が多く、出陳者が30人台に留まってしまった」−−。

被告側エントリークラークはこれに続けて、次のようにも主張しました。

それだけ、原告らはクレームを述べるなどしてショーの運営に支障が生ずる可能性があると考えられていた」−−。

しかし、仮に前段の「原告らが出陳するのかと尋ねられることが多くなり、出陳すると回答したところ、それなら出陳しないという人が多く、出陳者が30人台に留まってしまった」という主張が事実であったとしても、それだけで「原告らはクレームを述べるなどしてショーの運営に支障が生ずる可能性があると考えられていた」根拠になり得ないことは、ちょっとキャットショーに出たことのある人なら明らかでしょう。

なぜなら、同じ猫種でものすごく強い猫がいて、どうにも太刀打ちできないような場合、「あの猫が出てくるならやめておくわ…」ということが往々にしてあるからです。

被告側エントリークラークの主張は、「原告らが出陳するのかと尋ねられることが多くなり、出陳すると回答したところ、それなら出陳しないという人が多く…」というものですが、なぜ、原告らが出陳すると「それなら出陳しない」のか、理由が書いていません。

つまり、アクトクラブ員のベンガル猫が出てくると、勝てない(あるいはファイナルに残れない)から、「それなら出陳しない」という人がいないとは言えないというわけです。

もちろん、被告側エントリークラークが、「それなら出陳しない」という人ひとりひとりに具体的な理由を尋ね、その理由が私やアクトクラブ員が「クレームを述べるなどしてショーの運営に支障が生ずる可能性があるからです」と答えた証拠があるというなら別です。

ですが、被告側エントリークラークはそうした裏付け証拠を現時点では何ひとつ提出していません。

どうしてこうした”杜撰”で"いい加減”とも思える主張の組み立てができるのか、私には不思議でなりません。

2019年2月27日 (水)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(14)

「出陳拒否した翌年のキャットショー」(=2015年6月7日のショー)の出陳者数は38人で、「出陳拒否」が行われた2014年6月1日のショーの出陳者は45人--。

減った数は7人(=45人−38人)で、減少率にすると15.6%でした。

もし、本当に被告側エントリークラークの主張が正しいなら、この15.6%という減少率は「出陳拒否」に関連した特異的な現象であったはずです。

しかし、すでにご紹介したように2009年9月19日のショーは54人、2010年9月11日のショーは41人でしたから、この2つのショーを比べた場合の減少数は13人で、減少率は24.1%にもなるのです。

もちろん、どうして24%も減ったのか理由は分かりません。

ただひとつ言えることは、理由が定かでなくても、出陳拒否をしたかしないかで生じたと被告側エントリークラークが主張するところの「減少数7人、減少率15.6%」を、大きく上回るようなことがあったという事実なのです。

別の言い方をすれば、出陳拒否の問題などなくても、「減少数13人、減少率は24.1%」という大幅な出陳者数の減少が起こり得たということです。

出陳者数の増減は毎年あり、仮に2014年から2015年にかけて「出陳拒否」の影響があったとしても、過去の増減の範囲内であり、取り立てて問題視するようなものではなかったことが分かります。

出陳者の「減少数7人、減少率15.6%」が、特に珍しいものではなく、誤差の範囲内であることは、おそらく全ての日本のTICA公認クラブの毎年の出陳者の増減数、増減率を調べれば、統計的にも明らかになると、私は思っています。

2019年2月26日 (火)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(13)

「出陳拒否した翌年のキャットショー」(=2015年6月7日のショー)の出陳者数は38人、「出陳拒否」が行われた2014年6月1日のショーの出陳者は45人−−。

減った出陳者は7人(=45人−38人)で、減少率が15.6%であったことは前回までにご紹介しました。

被告側エントリークラークの主張は、「毎年50人弱の出陳者がいたものであるが、出陳拒否した翌年のキャットショーにおいては、原告らが出陳するのかと尋ねられることが多くなり、出陳すると回答したところ、それなら出陳しないという人が多く、出陳者が30人台に留まってしまった」というものでした。

しかし、この主張の信用性に疑問符を付けざるを得ない別のデータがあります。

原告らの出陳を認めた2015年6月7日のショーの出陳者数は38人で、被告側エントリークラークは、「原告らが出陳するなら出陳しないという人が多」かったと主張しています。

ところが、原告らが出陳していた他のショーを調べてみると、2009年9月19日のショーは54人、2010年9月11日のショー41人、2012年9月30日のショー52人となっており、これら3回のショーは全て38人を超えています。

被告側エントリークラークの主張が正しいのなら、原告らが出陳していたこれらのショーでも「30人台に留まってしまった」はずですが、実際にはそうはなっていません。

そもそも、出陳拒否したとしても、2014年6月1日のショーの出陳者は45人というレベルだったわけです。

45人という出陳者数は、2009年9月19日のショー(54人)、2012年9月30日のショー(52人)を下回っています。

被告側エントリークラークがもし、これまでの主張を維持するのであれば、それを裏付けるための補充の主張をしなければならないということになるのだろうと私は考えています。

2019年2月25日 (月)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(12)

昨日に続き、被告側エントリークラークの主張の真偽を検証します。

「○○○○(被告側エントリークラークが所属していたクラブ)においては毎年50人弱の出陳者がいたものであるが、出陳拒否した翌年の○○○○のキャットショーにおいては、出陳者を募ったところ、原告らが出陳するのかと尋ねられることが多くなり、出陳すると回答したところ、それなら出陳しないという人が多く、出陳者が30人台に留まってしまった」--。

「出陳拒否した翌年のキャットショー」(=2015年6月7日のショー)の出陳者数は38人でした。(※確かに「30人台」ではあります…)

では、「出陳拒否」が行われた2014年6月1日のショーの出陳者は何人だったのでしょうか。

調べてみると、45人でした。

つまり、45人の出陳者数が翌年に38人に減ったのは、「原告らが出陳するのかと尋ねられることが多くなり、出陳すると回答したところ、それなら出陳しないという人が多く」なったからだという論理です。

減った数は7人(=45人−38人)で、減少率にすると15.6%です。

しかし、被告側エントリークラークはこの7人が誰であるのか、そして7人のうち誰が「原告らが出陳するのか」と尋ね、被告側エントリークラークが「出陳すると回答したところ」、「それなら出陳しない」と言ったのか、全く明らかにしていません。

こうした匿名性を背景にした主張は、いじめや嫌がらせの常套手段と言わざるを得ません。

それは、被告側エントリークラークが「多く」という言葉を2度も使っていることからも明らかです。

「原告らが出陳するのかと尋ねられることが」、本当に「多く」なったかどうか--。

さらに、「出陳すると回答したところ、それなら出陳しないという人が」、本当に「多く」なったかどうか--。

被告側エントリークラークはそれを裏付ける証拠を提出していません。

「多く」というのは被告側エントリークラークの主観であって、多いか少ないかは個人の感じ方で分かれるところでしょう。

そうであるなら、「多く」なったということを証拠によって示す必要があるはずだと私は思うのです。

被告側エントリークラークの主張には、「多くの人があなたを嫌っている」といったような”いじめ””や”嫌がらせ”の構造(あるいは本質)がそのまま埋め込まれていると思わざるを得ません。

2019年2月24日 (日)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(11)

○○○(被告側エントリークラークが所属していたクラブ)においては毎年50人弱の出陳者がいたものであるが、出陳拒否した翌年の○○○○のキャットショーにおいては、出陳者を募ったところ、原告らが出陳するのかと尋ねられることが多くなり、出陳すると回答したところ、それなら出陳しないという人が多く、出陳者が30人台に留まってしまった」−−。

第3のクラブの被告側エントリークラークは、東京地裁に提出した「被告準備書面」でこんな主張まで繰り広げました。

これには呆れ果て、開いた口が塞がりませんでした。

出陳者の数が少なかったのが私やアクトクラブ員のせいだというのです。

まず、この主張の数字部分が事実かどうか確かめなければなりません。

「出陳拒否した翌年の○○○○のキャットショー」は2015年6月7日のショーのことです。(※第3のクラブにおいて「出陳拒否」があったのは2014年6月1日のショーでした)

この時の出陳者数は38人。

被告側エントリークラークは「30人台」と主張しましたが、30人も「30人台」だし、39人も「30人台」です。

正しく「38人」を主張するか、「40人弱」と主張する方が、より正確と言えるでしょう。

次に、被告側エントリークラークは「毎年50人弱の出陳者がいた」と主張しましたが、事実でしょうか。

2009年9月19日のショーは54人

2010年9月11日のショーは41人

この2つのショーを例に挙げただけでも、「毎年50人弱の出陳者がいた」という主張とは異なることが分かります。

2009年9月19日のショーは50人以上ですし、2010年9月11日のショーは41人ですから、一般的な社会通念上は「50人弱」とは言わないでしょう。(※50人弱=48〜49人、せいぜい47人までではないでしょうか)

これだけ取り上げても、被告側エントリークラークの主張は”杜撰”で”いい加減”と思えてしまうのです。

2019年2月23日 (土)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(10)

第3のクラブの被告側エントリークラークは、アクトクラブ員から譲り受けたベンガル猫を持つ一般オーナーの猫の「出陳拒否」について、東京地裁に提出した被告側「準備書面」を通じ、次のように主張しました。

「□□(一般オーナーのBG猫の名前)の出陳を認めた結果として、関係者である原告○○(アクトクラブ員)や原告屋和田がキャットショーに来場し、クレームを述べるなどしてショーの運営に支障が生じる可能性が認められたことは明らかで、やはり本件ショールール23.6.5に該当する」--。

しかし、TICAのShow Rule 23.6.5は、出陳者と出陳猫に関する規定であって、「関係者」が入る込む余地など全くないものです。

仮に、拡大解釈や類推解釈が可能であったとしても、「関係者」という幅広く曖昧な概念を認めたら、それこそショーコミッティーの恣意的な判断で誰でも、どの猫でも「出陳拒否」できることになり、もはやルールの体を為さなくなります。

被告側エントリークラークは、私たちが「クレームを述べるなどして…」とも主張しました。

しかし、何に対して、どのような「クレームを述べる」というのか、被告側エントリークラークは全く明らかにしていません。

被告側エントリークラークは、「ショーの運営に支障が生じる可能性が認められたことは明らか」とも主張しますが、具体的に私たちがどのような「クレームを述べる」と、ショーの運営にどのような支障が生じる可能性が認められるのか、明らかにしていません。

「キャットショーに来場し、クレームを述べるなどしてショーの運営に支障が生じる可能性が認められたことは明らか」などという主張は、私からすると”被害妄想”的なものと感じざるを得ません。

たとえ司法の場での主張であったとしても、こうした根拠や裏付けに乏しい主張は”攻撃”的であり、”嫌がらせ”としか私には思えないのです。

私やアクトクラブ員が過去に「キャットショーに来場し、クレームを述べるなどしてショーの運営に支障」を生じさせたことがあると言うのなら話は別です。

しかし、今日に至るまでそのようなことをしたことがないのに、あたかもそうするかのような主張をすることはまさに”敵意”と”害意”の表れとしか私には映りません。

2019年2月22日 (金)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(9)

民主主義の根幹を支えるのは「言論の自由」であり、「言論には言論で対峙する」というのは民主主義社会で生きる私たちの基本中の基本原則です。

ですから私は、被告側エントリークラークがどのような言動を取ろうとも、「言論には言論で対峙する」という姿勢を堅持しています。

司法の場で争うのも、ある意味、「言論で対峙する」ことのひとつだと私は考えています。

それ以外の手法・手段は使いませんし、仮に何らかの「関係」の「悪化」があったとしても、言論の場以外において持ち出すことは原則、ありません。

ですから、仮に私たちとTICAアジアリジョンのメンバーの一部の間で、被告側エントリークラークの主張通り、「関係が悪化していた」としても、それは言論の場においてであって、それ以外の場ではあり得ません。

実際、それが事実であり、真実であることは、常日ごろのTICAのショーにおいて私たちが参加していても、「関係が悪化していた」ことを理由に何も起きていないことが立派な証拠になることは、みなさん自身がよく理解されていることだと思います。

それに対して、「出陳拒否」は明らかに、「言論には言論で対峙する」という民主主義の基本原則を逸脱した行為であることは疑う余地がないでしょう。

司法の場においてなお、「関係が悪化していた」との根拠や裏付けが定かでない一般論を持ち出して、「ショーへの抗議も行われることは明らか」と主張することは”誹謗中傷”と何ら変わらない一方的な”レッテル貼り”と思わざるを得ません。

「関係」を「悪化」させ、それを”拡散”させて、他の無関係な一般出陳者まで巻き込もうとしているのは誰なのか…。

まさに、「原告屋和田及び原告○○(アクトクラブ員)とTICAアジアリジョンのメンバーの一部はACC4月ショーを契機として、関係が悪化していた」「このような中で原告○○の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らかであり、キャットショーへの円滑な運営が阻害され、ショーにとって有害となる」という被告側エントリークラークの主張が如実に物語っているのではないでしょうか。

2019年2月21日 (木)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(8)

被告側エントリークラークは昨日のブログに対し、もしかすると「何もしていないわけではない」と反論するかもしれません。

なぜなら「共同申立人」のひとりとなって、アクトの公認取り消しと私たちのTICAメンバー資格の剝奪を求めて「プロテスト」を申し立てているからです。(※TICA本部の受理日は2014年3月12日)

しかし、この「プロテスト」は、前アジアディレクターがオーナーのクラブにおける2014年2月ショーの「出陳拒否」に関連し、私がアクトのブログに書いたものを「プロテスト」の根拠らしき事情にして、アクトの公認取り消しと私たちのTICAメンバー資格の剝奪を求めたものでした。

そして、この「出陳拒否」は前アジアディレクターと当時のクラブ代表が高裁の和解において「深謝する」とした上で、解決金の支払いにまで応じているわけです。

従って、正当な根拠に欠ける”筋違い”で”的外れ”な「プロテスト」であったことは明らかになっていると言えるでしょう。

それでも、被告側エントリークラークら申し立て側の主張にわずかでもそれなりの根拠が残っており、アクトのブログが問題であったとしても、ひとつの大いなる疑問が浮かんできます。

それは、なぜTICA本部(あるいはTICAのBoard)は、この「プロテスト」を棚上げにしたまま5年近く”放置”しているのか?という疑問です。

被告側エントリークラークら申し立て側の主張が正しいなら、”放置”しておくことなどできないはずです。

すぐにでもアクトに対し、あるいは私に対し、アクトのブログの閉鎖なり、執筆・投稿停止を命じてきたはずですし、そうしなければならないはずです。

ですが、「プロテスト」が申し立てられてから、その後、Board決議で棚上げになったとしても、5年近く”放置”していること自体、アクトのブログが被告側エントリークラークが“騒ぎ立てる”ほどに問題のあるものではないことの証左と言えるのではないでしょうか。

それにもかかわらす、あれから5年以上も経つ今なお、被告側エントリークラークは

原告屋和田及び原告○○(アクトクラブ員)とTICAアジアリジョンのメンバーの一部はACC4月ショーを契機として、関係が悪化していた

このような中で原告○○の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らかであり、キャットショーへの円滑な運営が阻害され、ショーにとって有害となる

と主張しているのです。

こうして丁寧に見てくれば、「関係が悪化していた」のではなく、被告側エントリークラーク側が自ら「関係」を「悪化」させたのであり、その上で「ショーへの抗議も行われることは明らか」と根拠に欠ける主張をしたことが分かるかと思います。

2019年2月20日 (水)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(7)

「関係が悪化していた」と聞くと、あたかも両者(私たちとTICAアジアリジョンのメンバーの一部)のおかれた状況を中立的に表現しているように感じてしまうかもしれません。

しかし、人間関係において、自然に「関係が悪化」することはまずなく、大抵はどちらか(あるいは双方)が「関係」を「悪化」するようなことをしているわけです。

被告側エントリークラークからすれば、それはアクトの2013年4月29日のショーであり、アクトのこのブログなのかもしれません。(前アジアディレクターにあっては私たちが裁判を起こしたことも加えるかもしれません)

ですが、アクトの2013年4月29日のショーについて言えば、被告側エントリークラークにも被告側エントリークラークのクラブにも損害を与えた事実はなく、TICAのルール通りに開催したものであり、このショーのルール違反に関する全てのプロテストは退けられました。

アクトのこのブログについても、いろいろな言い分はあるかと思いますが、仮に何らかの言い分があったにしても、少なくとも被告側エントリークラークは一般的な社会通念上の対応策は何ひとつ講じていないわけです。

例えば、アクトや私に、「あのブログのこの表現は事実ではない」とか、「不適切な表現である」とか、何ひとつ伝えてきませんでした。(メールも手紙も電話もしてきていません)

例えば、自身でブログを開設するなどして反論をすることもしませんでした。(今や無料で容易に個人のブログを開設できる時代であるにもかかわらずです)

それに、本当にブログにおいて私が誹謗中傷を書いたということであれば、ブログ運営業者に対し、「権利侵害」の申し立てをすればいいわけですが、それもしませんでした。

その一方で、被告側エントリークラークがしたことと言えば、まるで“意趣返し”のような、アクトクラブ員と、そのベンガル猫を譲り受けた一般出陳者に対する「出陳拒否」だったわけです。

こうして見てくれば、仮に被告側エントリークラークの主張どおり「関係が悪化していた」としても、「関係」を「悪化」させたのは被告側エントリークラークであったことが分かるかと思います。

2019年2月19日 (火)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(6)

「関係が悪化していた」とする具体的な状況を明らかにしないにもかかわらず--。

どうして「このような中で原告○○(アクトクラブ員)の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らかであり、キャットショーへの円滑な運営が阻害され、ショーにとって有害となる」と言えるのか全く理解できません。

例えば、私たちとTICAアジアリジョンのメンバーの一部の間でお互いに無視し合い、TICAの事務的な連絡でさえ滞るとか、ショー会場で顔を合わせても会釈すらしないとか…。

あるいはショー会場で、ショーの進行に関する必要なことでさえ、お互い無視し合って全く声をかけられないとか…。

私たちとTICAアジアリジョンのメンバーの一部の間で罵り合いになり、他の出陳者から「迷惑です!」と叱られる事態を招いたとか…。

こうしたことが頻繁にあったというのであれば、「このような中で原告○○の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らか」と主張する根拠になり得るかもしれませんが、全くそういう状況はなかったわけです。

裁判官ら第三者が、キャットショーでの状況を知らず、単に「関係が悪化していた」と言われれば、お互いに無視し合い、罵り合っていると思い込んでしまっても不思議ではありません。

しかし実態はと言えば、両者の関係性が損なわれたことを立証する具体的なケースはほぼ皆無であり、単に被告側エントリークラークが感情を剝き出しにして私たちやアクトを”毛嫌い”していただけではなかったのでしょうか。

少なくとも私たちは、どんな感情があろうと、それを表に出すようなことはしていません。

人として、TICAメンバーとして、出陳者としての礼儀やマナーを失したことはなく、このブログにしても国民に保障された「表現の自由」「言論の自由」の範囲内で、「おかしいことはおかしい」と指摘しているに過ぎません。

こうして考えてくればなおさらのこと、被告側エントリークラークによる、「このような中で原告○○(アクトクラブ員)の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らか」という主張は合理的な根拠を欠き、”虚偽”まがいの主張をしてでも私たちを陥れたいという被告側エントリークラークの意向の表れとしか思えないのです。

2019年2月18日 (月)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(5)

昨日ご紹介した被告側エントリークラークによる被告「準備書面」における主張を、コンパクトにして再掲すると次のようになります。

原告屋和田及び原告○○(アクトクラブ員)とTICAアジアリジョンのメンバーの一部はACC4月ショーを契機として、関係が悪化していた

このような中で原告○○の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らかであり、キャットショーへの円滑な運営が阻害され、ショーにとって有害となる」−−。

しかし、そもそも私たちと「関係が悪化していた」という「TICAアジアリジョンのメンバーの一部」というのは誰のことを言っているのでしょうか。

そして、それが本当に「関係が悪化していた」と言えるものであり、仮に「悪化」していたとして、その度合いはどのようなものだったでしょうか。

被告側エントリークラークはこれらについて何ひとつ説明していません。(※説明しようとしないと言った方が正確かもしれません)

例えば、前アジアディレクターにしても、前セクレタリー(現Asia East Region Director)にしても、元アジアディレクターにしても、TICAに関する事務的なやり取りは当時も今も変わらずに普通にしています。

ショー会場でも顔を合わせれば会釈はしますし、必要に応じて普通に話もします。

強いて言えば、必要以上に無駄話はしないといったところであり、「関係が悪化していた」というよりは「良好な関係であるとは必ずしも言えない」と言った方が正確です。

それにもかかわらず、被告側エントリークラークは「ACC4月ショーを契機として、関係が悪化していた」と断定したのです。

そして、「このような中で原告○○の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らかであり、キャットショーへの円滑な運営が阻害され、ショーにとって有害となる」と主張したのです。

私には、「関係が悪化していた」という”印象操作”を施してレッテルを貼ることで、私たちを”排除”しようと目論んだだけとしか思えないのです。

2019年2月17日 (日)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(4)

原告屋和田及び原告○○(アクトクラブ員)とTICAアジアリジョンのメンバーの一部はACC4月ショーを契機として、関係が悪化していたものである

このような中で原告○○の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らかであり、キャットショーへの円滑な運営が阻害され、ひいては『TICAのためにならない』だけでなく、『猫やクラブ、及び/又は、ショーにとって有害」となる』」--。

第3のクラブの被告側エントリークラークは東京地裁に提出した被告側「準備書面」で、こんな主張までしました。

どういう思考回路を持てば、このような主張(=発想)が出てくるのか、私には全く理解できません。

思わず、”下衆の勘繰り”という言葉が脳裏をよぎったほどです。

これまでも、このときも、今もそうですが、私は(アクトクラブ員も同じだと思いますが…)、どのようなことを契機として、どのように個人的な関係が悪化していようと、大勢が集まるキャットショーで何か悪影響を与えるような言動を取ろうなんて考えたはありません。

それは、私やアクトクラブ員の20年弱にわたる実際の言動が証明しているのではないでしょうか。

それにもかかわらず、「ショーへの抗議も行われることは明らか」と主張するのは、悪質な印象操作と思わざるを得ないのです。

「ショーへの抗議が行われるかもしれない」ではなく、「ショーへの抗議も行われることは明らか」と断定口調で主張しているところに、私は被告側エントリークラークの”敵意”や”悪意””害意”を感じてしまうのです。

人は、自ら感じること、考えること、することしか主張しないと仮定するなら、まさにこの主張は被告側エントリークラークだったらそうするであろうということを表しているとしか思えません。

2019年2月16日 (土)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(3)

「乙第7号証の提案を無視し、自粛せずに活動を続けていたものである」

「このようなことがまかり通るのであれば、アジアリジョンだけでなく、世界中のクラブやショーが本件ショールールを無視する運用を始め、『TICAのためにならない』だけでなく、『猫やクラブ、及び/又は、ショーにとって有害』となる」

第3のクラブのエントリークラークが東京地裁に提出した「被告準備書面」での主張はさらに続きます。

このため、活動を自粛してもらう一環としても本件出陳拒絶はショールールに基づくものである」−−。

これには私も改めて驚愕しました。

どこをどうすると、アクトに対する「活動自粛」提案と、個々の出陳者の「出陳拒絶」が結び付くのでしょうか…。

被告側エントリークラークの思考回路は分かりませんが、被告側エントリークラークにあってはアクトが「活動自粛」しないなら、「クラブ員の出陳を拒絶しよう」となったことは想像に難くありません。

しかし、社会通念上の常識に照らしても、組織や団体に対する処分と、その組織・団体に所属する個人に対する処分は明確に区別されるべきものですが、被告側エントリークラークの考え方は全く違うようです。

これまでに明らかになっている証拠など全てを読み返しても、「活動自粛」はアクトに対するものであって、クラブ員に対するものではありませんでした。

ここで、長くなりますが、前アジアディレクターがオーナーのクラブおける3回の「出陳拒否」裁判の「判決文」から引用します。

「例えば被告らが行った意見聴取行為は、アクト4月ショーにつきショールールに違反していたことを裏付ける相当な理由、根拠を確認することすらせず、原告○○(アクトクラブ員)や屋和田に対する反論の機会も与えないまま、(中略)公然に、アクト・キャット・クラブと△△△(アクトとショーを共催したクラブ名)の1年間の活動停止という制裁を提案するものであって、意見聴取の相手方に対し、アクト4月ショーにおいて原告○○や屋和田が不正を行ったと断定できるかのような印象を与える可能性があり、原告○○及び屋和田の名誉を毀損する危険をはらむ行為であったと思われる(事実、被告□□(前アジアディレクター)の供述によっても、このアクト・キャット・クラブの「活動停止 」とは具体 的に何を禁じられたのか不明である上、「アクト・キャット・クラブ」の活動停止を求めるものであったにもかかわらず、原告○○は、平成25年ないし26年度中に7回のキャットショーへの出陳を拒否されるという、同原告個人に対する不利益処遇を受けており、上記意見聴取が原告○○個人の社会的評価を低下させた可能性がある」--。

被告側エントリークラークによる、「活動を自粛してもらう一環としても本件出陳拒絶はショールールに基づくものである」という主張がどれだけ一般常識から逸脱したものであったかが分かって頂けるかと思います。

1つの判決が絶対である、と言うつもりはありませんが、この判決が申し渡されてから1年以上経ってなお、被告側エントリークラークが冒頭のような主張をしているところに、私は被告側エントリークラークに”敵意”や”悪意””害意”を感じてしまうのです。

2019年2月15日 (金)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(2)

乙第7号証の提案を無視し、自粛せずに活動を続けていたものである」に続き、第3のクラブのエントリークラークは東京地裁に提出した「被告準備書面」で次のように主張しました。

このようなことがまかり通るのであれば、アジアリジョンだけでなく、世界中のクラブやショーが本件ショールールを無視する運用を始め、『TICAのためにならない』だけでなく、『猫やクラブ、及び/又は、ショーにとって有害』となる」−−。

アクトに対する活動自粛の提案が為されたのが2013年7月−−。

あれから5年以上経ちますが、アクトは自粛せずに活動を続けています。

ですから、もし被告側エントリークラークの上記の主張が正しいなら、「アジアリジョンだけでなく、世界中のクラブやショーが本件ショールールを無視する運用を始め」ているはずですが、そんな話は聞いたことなどありません。

アクトが「提案を無視し、自粛せずに活動を続けてい」ても、被告側エントリークラークが主張するところの事態(=
世界中のクラブやショーが本件ショールールを無視する運用を始める事態)は起きていないのです。

アクトが「提案を無視し、自粛せずに活動を続けてい」ても、「TICAのためにならない」ことも、「猫やクラブ、及び/又は、ショーにとって有害」となることも起きていないのです。

「まかり通る」とは、「良くない物が世間に通用する。また悪い行為が堂々と行われる」(三省堂「大辞林第三版」)を意味します。

被告側エントリークラークが敢えて「まかり通る」という言葉を使ったということは、アクトが「活動を続けていた」ことがあたかも「悪い行為」であると暗に言っているようなものでしょう。

少なくとも、被告側エントリークラークが「準備書面」において、「まかり通る」という言葉を敢えて使ったところに、”敵意”や“悪意””害意”を持っていた証左となるのではないかと私は思うというわけです。

2019年2月14日 (木)

続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(1)

1月14日からの続編となります。

第3のクラブ(既に閉会)による「出陳拒否」(2014年6月1日ショー)を巡る裁判で、エントリークラークが今なお執拗に裁判所を舞台としてアクト”叩き”を続けている(少なくとも私はそう感じている)という話を続けます。

乙第7号証の提案を無視し、自粛せずに活動を続けていたものである」−−。

(※この「乙第7号証」とは、前アジアディレクターと前セクレタリーが提案したアクトに対する「活動自粛」を巡り、元アジアディレクターがアクトと私を除く日本のTICA公認クラブやジャッジに対して意識調査した結果を指します)

第3のクラブの被告側エントリークラークは東京地裁に提出した「被告準備書面」において、こう主張しました。

しかし、そもそもTICA公認クラブにおいて、クラブ間の問題について「提案権」があるなどとするルールは存在しないのです。

それをあたかもTICA公認クラブ(あるいはTICA公認クラブの代表)において、他のTICA公認クラブに対する何らかの「提案権」が付与されているかのように主張し、それを「無視」したことが問題であるかのように主張したわけです。

「提案権」に基づかない提案など無視しても何の問題もないと思いますが、被告側エントリークラークの理屈によれば、何らかの「提案権」なるものがあり、その「提案権」を行使したもので、それを無視したアクトは悪いということのようです。

仮に百歩譲って「提案権」なるものがルールとして規定されていたとしても、「活動自粛」というアクトに対して不利益を与える処分に関して当事者の釈明も弁明も聞かずに意識調査するというのは、一般的な社会通念から逸脱した言動と言わざるを得ません。

それを、あたかもアクトが「自粛せずに活動していた」ことが悪いかのような主張は、それが裁判所での主張であったとしても、私としてはアクト”叩き”以外の何ものでもないと思わざるを得ません。

何のルールにも基づかず、勝手に提案しておいて、「無視し」たとか、「自粛せずに活動を続け」たとか、司法の場で主張する感覚が私には全く理解できないのです。

”敵意”や”悪意””害意”なくしてこのような主張ができるというのであれば、その理由を誰か教えてほしいと思います。

2019年2月13日 (水)

前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から㉒

前セクレタリー(現Asia East Region Director)が東京地裁の本人尋問で証言したことを、なぜこれだけ取り上げているかというと、今日的に極めて重要であり、全世界のTICAメンバーにとっても重要だからです。

ブログはSNSのツールのひとつであり、今や世界中で利用が広がり、TICAにおいても同様です。

そこで書かれた内容、投稿された内容が、TICA Show Rule 23.6.5に該当するかどうかはTICAにとっての”判例”となっていくはずだからです。

私とアクトクラブ員が敢えて日本の司法の判断を仰いで”白黒”付けようとした背景には、こうした事情もあります。

実際、正当な理由なき「出陳拒否」は不当であると「プロテスト」しても、TICAのBoardは事実認定すらしようとせず、両者の言い分を一度聞いただけで、「No Action」として”お茶を濁そう”とするわけです。

しかも、正確にルールを適用しているならまだしも、「出陳拒否」の判断権者は「Club」であるという由々しき誤解までする始末です。(※TICAのルール上、「出陳拒否」を決めるのはショーコミッティーであり、クラブではありません)

もちろん、TICAのBoardには捜査権も調査権もなく、裁判所のように専門知識を持って”裁く”ことを本職とする人もいません。

そうだとしても、自分で作ったルールぐらい、Boardは正しく把握すべきだと思いますが、それすらできにという”体たらく”ですから言葉がありません。

一方、「言論の自由」「表現の自由」は民主主義各国の憲法で保障されたものであり、それが「言論の自由」の限界を逸脱したものであるか、「表現の自由」の制限を超えたものであるかは慎重に判断すべきです。

日本において、これだけ名誉毀損訴訟が司法の場で争われているわけですから、小さな趣味の世界の団体が「誹謗中傷」かどうか、名誉毀損に当たるかどうか事実認定することは至難の業ですし、逆に安易に事実認定してはならないと、私は思っています。

ここ数日紹介した東京地裁での原告代理人と前セクレタリーのやり取りを何度でも繰り返し読み返して頂きたいと思います。

SNSによる情報発信が不必要な言論統制や言論の封殺になってはいけませんし、断じて許してはならないと思っています。

自由に発言でき、自由に批判できるところに健全な民主主義が根付くのですから…。

2019年2月12日 (火)

前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から㉑

この点は極めて重要ですので、改めて主張させてもらいたいと思います。

原告側代理人:「
あなたの出陳拒絶の前に○○さん(アクトクラブ員)や屋和田さんが
           実際に何か行為としてショーで抗議をしたということはないんですよね

前セクレタリー:「ショーではありません。ブログだけです

前セクレタリー(現Asia East Region Director)は、東京地裁の本人尋問でこう証言しました。

そうであるなら、前セクレタリーは、ブログの内容が「ショーの繁栄の妨害である」「ショー自体の妨害である」ということを立証しなければなりませんが、前セクレタリーは説明を尽くそうともしなければ、立証しようともしません。

確かに、弁論準備手続きの段階で、アクトのブログのいくつかについて、下線を引いた上で証拠として裁判所に提出しています。

しかし、そのいずれも「ショーの繁栄の妨害である」「ショー自体の妨害である」ことを示す根拠とは到底なり得ないと思われるものでした。(※前セクレタリーにとってはその全てが根拠となり得ると考えているのだと思いますが…)

一見すると、みなさんから見れば、見解の相違に過ぎないと思えてしまうかもしれませんが、そうでないことは前セクレタリーの証拠の立証趣旨を読めば明らかです。

もし、前セクレタリーの証言が正しいなら、アクトブログに関する被告側の証拠説明書の立証趣旨には、「アクトのブログがショーの繁栄の妨害であり、ショー自体の妨害であること」と記載されるはずです。

ところが、実際に提出された証拠説明書の立証趣旨には「原告の度重なるブログでの○○○(クラブ名)及び被告への誹謗中傷」とか「キャットショーが健全に開催できない原因」と書かれているのです。

もちろん、クラブや被告側に対して「誹謗中傷」(仮に主張通りにそうであったとして…)があったり、「ショーを健全に開催できない原因」を作ったということを以て、「ショーの妨害ね」と言う人がいるかもしれません。

しかし、そこには「論理の飛躍」があって、”井戸端会議”やショー会場近くの喫煙所での雑談の範囲と言えるでしょう。

「誹謗中傷」があったとしても、なぜ「誹謗中傷」と言えるのか根拠と理由を示した上で、それが「ショーの繁栄の妨害である」「ショー自体の妨害である」ということを立証しなければなりませんが、前セクレタリーはそうした論理をすっ飛ばしていると言わざるを得ません。

こうした思考、主張の仕方はTICA Board Memberとして、そしてTICA Asia East Region Directorとしても相応しくないものであることは疑う余地はないと私は思います。

2019年2月11日 (月)

前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から⑳

司法の場(法廷)は、”井戸端会議”でもなければ、ショー会場周辺の喫煙場所でもありません。

ショー会場の喫煙場所や自身のクラブ員の集まりなどで、「あのブログは酷いわね」とか、「あのブログの内容はショー妨害よね」とか、単なる臆測で口にしても、意図的に嘘を付いて誰かを傷付けるようなことがなければ許されるでしょう。

しかし、「出陳拒否」の理由とするからには、それなりの正当性、合理性のある根拠を示す必要がありますし、法廷で証言するならやはり、しっかりとした裏付けや根拠に基づいて話さなければならないのは良識ある大人の社会常識です。

ところが、前セクレタリー(現Asia East Region Director)の東京地裁における本人尋問の証言は、まるでショー会場の喫煙場所やクラブ員の集まりなどでの会話の域を出ていないとしか私には思えません。

前セクレタリー:「
23.6.5の解釈については別に何も問題ないと思いますけど。要するに
           ショー出陳前の行為ですから、ブログの内容は。それが要するにショー
                      の繁栄の妨害であると、ショー自体の妨害であるということで判断しまし
                      た。全然問題ないと思いますけど…


いつの、どのブログの、どの内容が「ショーの繁栄の妨害」であり、「ショー自体の妨害」であるのか--。

そして、その内容はどのような根拠において、「ショーの繁栄の妨害」であり、「ショー自体の妨害」であると言えるのか--。

前セクレタリーはこれらを明確に示す必要がありますが、本人尋問で具体的に示すことも説明を尽くすこともありませんでした。

私には、単に前セクレタリーにとって「不都合な真実」を指摘され、それが気に入らないから、「ショーの繁栄の妨害」だとか、「ショー自体の妨害である」とか言って、TICAのルールを”悪用”して私やアクトの”排除”を目論んだとしか思えないのです。

2019年2月10日 (日)

前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から⑲

ここ数日の前セクレタリー(現Asia East Region Director)の東京地裁の本人尋問での証言を巡り、改めて何が問題なのでしょうか--。

原告側代理人:「
ブログが証拠というか、あなたが言っているのはブログがあるので、
           何か抗議されるかもしれない、だから拒絶してもいいということなんです
                       けれども、抗議をされるかもしれないという未来のことについて拒絶をで
                       きる根拠になっているんですか、この23.6.5は?

前セクレタリー:「
23.6.5の解釈については別に何も問題ないと思いますけど。要するに
                       ショー出陳前の行為ですから、ブログの内容は。それが要するにショー
                       の繁栄の妨害であると、ショー自体の妨害であるということで判断しまし
                       た。全然問題ないと思いますけど…


原告側代理人:「
あなたの出陳拒絶の前に○○さん(アクトクラブ員)や屋和田さんが
                       実際に何か行為としてショーで抗議をしたということはないんですよね

前セクレタリー:「ショーではありません。ブログだけです

前セクレタリーは、TICA Show Rule 23.6.5の解釈について、「別に何も問題ないと思いますけど」「全然問題ないと思いますけど」と重ねて証言しました。

しかし、私にしてみれば、TICA Board Memberでもある現Directorが、今なおTICA Show Rule 23.6.5の解釈について「問題ない」と発言しているところに、TICA Asia East Regionが抱える根深い問題があると思っています。

「申し訳ありませんでした。当時の解釈は間違っていました」というなら、まだ救いようもありますが、あれから4年以上経ってなお、「(解釈に)問題ない」と証言しているわけです。

ということは、現在のTICA Board Memberに、TICAのルールを正確に理解し、解釈できない人物が含まれているということであり、それはTICA自体にとっても非常に問題があると言えるでしょう。

TICA Board Memberは十数人いるわけですが、このような解釈をするのは前セクレタリーだけであり、TICA Asia East RegionのDirectorがまさかこんな解釈を今なおしているとは他のTICA Board Memberは夢にも思わないのではないでしょうか。

こうした事態を放置しておくこと、見て見ぬふりをすることはTICAのためにならないばかりか、TICAの信用と評判を貶めることになることをTICA Asia East Regionのメンバーは認識すべきだと思います。

2019年2月 9日 (土)

前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から⑱

昨日、一昨日と紹介した東京地裁での尋問のやり取りはまだ続きます。

原告側代理人:「
あなたの出陳拒絶の前に○○さん(アクトクラブ員)や屋和田さんが実
           際に何か行為としてショーで抗議をしたということはないんですよね

前セクレタリー:「ショーではありません。ブログだけです

ここまで丁寧に前セクレタリー(現Asia East Region Director)の証言を見てくれば明らかでしょう。

私やアクトクラブ員がショー会場で抗議したことはない。
 ↓
私がブログを書いたことはある。
 ↓
TICA Show Rule 23.6.5は出陳者の過去の言動に対する規定である。
 ↓
従って、私やアクトクラブ員がショー会場で抗議したことがない以上、「ショー会場で抗議するおそれがある」という理由で23.6.5を適用して拒否することはできない。

しかし、前セクレタリーは理由らしき事情を2本立てで主張してきているわけです。

ひとつは過去の言動としての私のブログ、もうひとつは「ショー会場で抗議するおそれがある」という”臆測”であり、両方とも23.6.5を適用できると主張しています。

ですが、私はまさにこの2本立てにしていること自体、前セクレタリー自ら、己の主張が根拠に乏しいことを明らかにしていると思えてなりません。

なぜなら、過去の言動としての私のブログが本当にショーの繁栄やショーそれ自体を妨害したというのなら、拒否の理由としてはそれだけで十分であり、わざわざ「ショー会場で抗議するおそれがある」などいう”臆測”を主張する必要がないからです。

前セクレタリーは、私のブログが本当にショーの繁栄やショーそれ自体を妨害したと立証できないため、”論点をずらす”ために敢えて、「ショー会場で抗議するおそれがある」などいう”屁理屈”を持ち出してきたように私には思えてなりません。

2019年2月 8日 (金)

前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から⑰

昨日、紹介したやり取りの後、前セクレタリー(現Asia East Region Director)に対する本人尋問は次にように続きました。

原告側代理人:「ブログが証拠というか、あなたが言っているのはブログがあるので、
           何か抗議されるかもしれない、だから拒絶してもいいということなんです
                       けれども、抗議をされるかもしれないという未来のことについて拒絶をで
                       きる根拠になっているんですか、この23.6.5は?

前セクレタリー:「23.6.5の解釈については別に何も問題ないと思いますけど。要するに
           ショー出陳前の行為ですから、ブログの内容は。それが要するにショー
          の繁栄の妨害であると、ショー自体の妨害であるということで判断しまし
           た。全然問題ないと思いますけど…


ここは原告代理人が、前セクレタリーの証言をうまく”解析”し、証言の意図を読み取ろうと努力している姿が見て取れます。

ルールに詳しくない一般のTICAメンバーであっても、ポイントは23.6.5の解釈の仕方であって、その本質は「抗議をされるかもしれないという未来のことについて拒絶できるような規定になっているかどうか」だということが理解できると思います。

しかし、 前セクレタリーは全く違いました。

私がブログを書いたこと、そしてその内容が投稿されたのが「ショー出陳前の行為」であり、それが問題なのであって、「抗議されるおそれがある」ということは関係ないということを自ら言っているに等しいと言えます。

こんなやり取りをしていては、堂々巡りであり、
私にしてみれば”時間の無駄”でしかありません。

前セクレタリーの主張が正しく、論理的にも間違っていないのであれば、「抗議されるおそれ」があろうがなかろうが全く関係なくて、単に私がブログを書いたこと、そしてその内容が問題であったということになります。

ですから、本来なら尋問において、前セクレタリーはどうしてこのブログがショーの繁栄、ショー自体の妨害であると言えるのかを証言しなければなりませんでしたが、そこのところは合理的根拠を以て明らかにされることはありませんでした。

2019年2月 7日 (木)

前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から⑯

原告側代理人:「何かおそれがある、抗議をするおそれがあるというようなことは、この規
           定によって拒絶をする理由になっているんですか

前セクレタリー:「もちろんブログがありますから、ブログが証拠です

前セクレタリー(現Asia East Region Director)は、東京地裁の本人尋問でこう証言しました。

今、世間では「ご飯論法」(注1)だの、「論点ずらし論法」が話題になっていますが、意図してか、無意識か、前セクレタリーの証言はこうした論法にそっくりです。

原告代理人は、「講義をするおそれがある」ということが、「出陳拒絶する理由になっているかどうか」を質しているわけです。

ですから、回答は「なっています」か、「なっていません」になるはずですが、前セクレタリーはそうは証言しませんでした。

その後に「なぜなら…」と続くのが一般社会常識上の受け答えであり、その理由として説明すべきはTICA Show Rule 23.6.5の解釈の仕方であるはずです。

言い換えれば、前セクレタリーはTICAの23.6.5の規定が「
抗議をするおそれがある」というようなことによって「拒絶できる」とする理由を答えなければならなかったわけです。

それにもかかわらず、
前セクレタリーはいきなり「ブログが証拠です」と証言をしたわけです。

これは明らかに訳の分からない証言であり、この時点で前セクレタリーは”的外れ”な証言をしたことになると思わざるを得ません。

相手の質問の趣旨を瞬時に把握し、その本質を見抜いて正確に回答することは、TICA Board Memberにとっても重要な能力・資質だと思いますが、この短いやり取りだけ見ても、前セクレタリーにはそうした資質・能力が欠けているとしか思えないのです。

注1)ご飯論法=「朝御飯を食べました?」という質問に対して、「朝御飯」を食べたにも拘わらず、平然と「食べていません」と答える論法です。答えた側は「パンを食べたが、ご飯(コメ)は食べていない」というものです、論点をずらし、はぐらかしているわけです。

2019年2月 6日 (水)

前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から⑮

ちょっとあいだが空きましたが、1月30日の続きです。

確かに「抗議」されるというのは、誰でも嫌なものだと思います。

アクトクラブ員は職業柄、日々「抗議」を受けているでしょうからどうだか知りませんが、正直言って私も「抗議」を受けるのは嫌です。

しかし、だからと言って「抗議」されるおそれがあるという、曖昧模糊とした理由で「出陳拒否」するというのは、少なくとも私の良識と常識を遙かに超えています。

正当な「抗議」であれば、たとえ気持ち的に嫌なものであっても、地位と立場、職務に応じて”受けて立つ”のは当然でしょう。

それに仮にSNSで何を書かれようが、そうしたSNSで書くという行為と、ショー会場に来て「抗議」するという行為は明確に区別すべきですし、私は区別しています。

TICAのBoard MemberであるDirectorもTICA公認クラブの主宰者もRegionスタッフも、「この2つの行為は明確に区別できなければならないのではないでしょうか。

はっきり言えば、発想があまりに貧弱で浅薄で短絡的であり、一般のTICAメンバーであればそうであっても許されても、組織を運営する立場のTICAのBoard MemberやDirector、TICA公認クラブの主宰者にあっては、決してあってはならない発想だと思います。

しかも法廷で、前セクレタリー(現Asia East Dirctor)は、私とアクトクラブ員が過去において、ショー会場で「抗議」したことはないとまで自らはっきりと証言しているわけです。

こうして考えてくると、前セクレタリーが主張している「出陳拒否」の理由らしき事情は、”こじつけ”、”詭弁”、”屁理屈”でしかないとしか思えないのです。

結局のところTICAのルールを体よく”悪用”してアクトクラブ員の排除を目論んだと思われても仕方ないのではないでしょうか。

そして、それを”首謀”し、“主導”したのが、前セクレタリー(現Asia East Dirctor)であったというところがTICAアジアが抱える最大の問題ではないかと私は思うのです。

2019年2月 5日 (火)

「チェックしていさえすれば…」の教訓

全豪オープンテニスネタをもうひとつ。

大坂なおみ選手のコメントの誤訳が広がり、日本の複数のメディアが訂正するという騒動が起こりました。

あまりご存知ないTICAメンバーの方にいきさつを紹介すると、次のようになります。

大坂選手が所属契約を結ぶ食品メーカーが、大坂選手の肌の色を実際よりも白く表現したことに対し、「ホワイトウォッシュ(非白人を白人のように描くこと)ではないか」といった指摘があり、アニメ広告動画を削除していた件です。

これについて聞かれた大坂選手が、「なぜ騒いでいるかわからない」と言ったという報道が広がったのでした。

しかし、その後、「原文に照らし合わせると、誤訳だ」との指摘があり、訂正につながったというわけです。(朝日新聞では27日に、「訂正・おわび」記事を掲載しています)

ちなみにコメントを文字起こしした原文は、「But I think for me...I don't...like, I get why people would be upset about it」、日本語だと「でも、私は...このことが、物議を醸しているのは理解できます」となるということです。

さて、きょうの”お題”はここからです。

なぜ、誤訳が起きたのか? それは起こるべくして起きたのか? それとも普通なら起こらないのに起きてしまったのか?

最近の報道に、スポーツライター/大学常勤講師による次のような記事がありました。

【検証】なぜ大坂なおみ選手の誤訳報道が起こってしまったのか?

それによると、「実は現場の記者たちがしっかり取材の手順を踏んでいれば、今回のミスは起こらずに済んでいた」「残念ながら今回のミスは、明らかに現場記者の不手際といわざるを得ない」というのです。

なぜ、そう言えるのかについては記事をそのまま引用します。

「というのも、全豪オープンのような大きな大会になると、公式会見場で実施される記者会見はメディアの質問から選手たちの答えまですべてを文字にしたスクリプトがメディアに無料配布されるからだ」

「もしそれを入手できなかったとしても、スクリプトを作成する企業(『ASAP Sports』)が同社サイト上ですべて公開しているので、必ずチェックすることができるのだ」

「大坂選手の会見も公式会見場で実施されたもので、現在も同社サイトで誰でも大坂選手の発言のすべてを確認することができる。つまり記事を配信する前に記者たちが念のため大坂選手の発言をスクリプトでチェックしていさえすれば、事前に誤訳に気づいていたはずなのだ」--。

TICA Asia East Regionが健全に発展しない組織風土のひとつには、DirectorもセクレタリーもRegion Officeスタッフもショーコミッティーもクラブ代表も、自分勝手な思い込みで判断して物事を進め、決してルールを事前に「チェック」する、ルールを原文で「チェック」するという基本動作をしない傾向があります。

正当な理由なき「出陳拒否」、TICAのShow Ruleを無視したリング形式のショー開催など、これまでの”ミス”を数え上げればきりがありません。

先のスポーツライターの言葉を借りれば、「クラブの代表やショーコミッティーたちがしっかりショー開催の手順を踏んでいれば、ルール違反は起こらずに済んでいた」「残念ながら数々のルール違反は、明らかに事前のチェックを怠ったDirector、セクレタリー、クラブ代表、ショーコミッティーの不手際といわざるを得ない」--。

※「前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から」は休みました。

2019年2月 4日 (月)

「それでも練習を、努力を続けます…」という言葉の重み

内村航平選手のロングインタビューと並んで、気になった著名アスリートの発言が最近あったのでご紹介します。

全豪オープンテニスで、ジョコビッチに敗れて準優勝になったナダルの試合後のコメントです。

今後も頑張ります。戦い続けます。もっと良いプレーをしようと頑張ります。たまには勝てない大会もあります。怪我と戦うこともあります。今夜みたいに歯が立たない相手もいます。それでも練習を、努力を続けます。やれることを全てやり、将来のチャンスをつかみたいと思います」--。

出陳者として、ブリーダーとして、そしてJudgeとして、立場を様々に代えても胸にずしっと来る言葉ではないでしょうか。

例えば、ベテランJudge。Judge歴を重ねると、いろいろな“称号”が付くようですが、それは単に経験年数だけを表彰したものではないはずです。

「今後も頑張ります。勉強し続けます。もっと良い審査ができるように頑張ります。たまには間違うこともあります。それでも勉強を、努力を続けます。やれることを全てやり、理想のJudgeに近づきたいと思います」と、心の底からはっきりと言い切れるでしょうか。

日々のショーにおいて、常に初心に帰り、諦めることなく修行僧のようにStandardを読み返しているでしょうか。

ナダルのような気持ちを持つJudgeが増えれば、自ずとTICA Asia Eastは健全な組織として、自然に発展していくように思いました。

※「前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から」は休みました。

2019年2月 3日 (日)

「仙人になりたい…」と言えるほどまでに勉強を積めるか?

2大会連続で個人総合金メダル、全日本選手権10連覇など偉業を達成してきた体操界のスーパースター、内村航平選手のロングインタビューが目にとまりました。

長いインタビューでしたが、最後に語った言葉が印象的でした。

体操界の仙人になりたい。それくらいまで代表で戦って、体操のすべてを知り尽くしたい。だから、今もまだ修行中なんです」--。

翻って、TICAのJudgeはどうでしょうか…。

「猫界の仙人になりたい。それぐらいまで勉強して、Standardののすべてを知り尽くしたい。だから、今もまだ修行中なんです」と言えるJudgeがどれだけいるでしょうか。

TICAでは新しいCommitteeとして、「Judging Committee」ができ、Judgeの育成機能も担うようですが、果たして理想のTICAのJudgeとしてどのような「像」を描いているのでしょう?

拠って立つ定義付けをはっきりしなければ、育成策は迷走するだけではないかと心配です。

「子は親の背中を見て育つ」と昔から言います。

Judging Committeeメンバー全員が「猫界の仙人になりたい。それぐらいまで勉強して、Standardののすべてを知り尽くしたい。だから、今もまだ修行中なんです」と言えるようであれば、あえて定義付けする必要もないのかもしれませんが…。

※「前セクレタリーは法廷で何を証言したか-「尋問調書」から」は休みました。

2019年2月 2日 (土)

「参加費を取って、出来レースまがいのやり方」…

「M-1グランプリ」を舞台としたお笑い界での「審査」を巡る大騒動は、改めて言及するまでもないでしょう。

それに続き、今度は「R-1ぐらんぷり」の3回戦で敗退したピン芸人が、運営側に対する不満を大爆発させて話題となっていることをご存知でしょうか。

私は意図的に落とされたと思っている

あれだけウケて落とされたら誰でも怒ります

2000円の参加費を取って、出来レースまがいのやり方

本気でおもしろいピン芸を決める気がないのなら、おもしろくねー奴が、おもしれーと思ってる芸人集めて仲良くコンテストごっこしてれば?

この件でスポーツ新聞の記者が次のようなことを指摘していますので、引用します。

「参加者の不満を解消するためには予選会から審査員を随時入れ替えることも必要だろう。少人数で何年も同じ顔ぶれだとマンネリ化しやすく、基準も曖昧になりがちだ」

「人数を多くして、最高点と最少点をつけた審査員の点数を省いて平均値を取るなどして公平性を保つのもありだ」

「ここ数年、『審査員の〇〇が好き嫌いで決めている』『審査員が仲の良い女性芸人に肩入れしている』などと、根も葉もないウワサ話まで聞こえてくるほどだった」

「そもそも演者の誰もが納得して笑える大会を実現するのはハードルが高い。だからこそ私情を挟まない厳正なジャッジを望む」--。

どこの世界も同じような問題を抱えていることが分かります。

ただ、私がこのブログで指摘したいのは、上記のこともさることながら、「お笑い界」でさえ、メディアのチェック機能が働くということです。

私がこのブログにメディアとしてのチェック機能、監視機能を担わせている理由はそこにあるのです。

※「前セクレタリーは法廷で何を証言したか-『尋問調書』から」は休みました。

2019年2月 1日 (金)

【TICAルール改正】クラーク更新料の支払い期限が変更に!

クラークのみなさんに”朗報”です!

いつも年度末(4月末)の忙しい時に、クラークの更新料も払わなくてはならなかったと思いますが、1月17~19日に開催されたTICA Board Meetingにおいて、クラーク更新料の支払期限(時期)に関する改正案が可決しました。

Clerking Programでは51.2.5.1において、5月1日までに5ドルを支払うことになっていましたが、これが更新テストの提出期限前までに改正されました。

51.2.5.1 Payment of TICA membership dues and a $5 annual recertification fee on or before May 1 of each year. the due date for the re-certification exam.

確かに、クラーク更新料の支払いを忘れてしまうクラークも少なくなかったかと思います。

この改正が通ったことで、4月末までに5ドルの更新料を支払っていなくても、更新テストは届き、更新テストの提出期限前に支払い手続きを終えれば済むようになりました。

※「前セクレタリーは法廷で何を証言したか-『尋問調書』から」は休みました。

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