続・第3のクラブ「出陳拒否」裁判、今も続く執拗なアクト”叩き”(4)
「原告屋和田及び原告○○(アクトクラブ員)とTICAアジアリジョンのメンバーの一部はACC4月ショーを契機として、関係が悪化していたものである」
「このような中で原告○○の猫の出陳を認めた場合、ショーへの抗議も行われることは明らかであり、キャットショーへの円滑な運営が阻害され、ひいては『TICAのためにならない』だけでなく、『猫やクラブ、及び/又は、ショーにとって有害」となる』」--。
第3のクラブの被告側エントリークラークは東京地裁に提出した被告側「準備書面」で、こんな主張までしました。
どういう思考回路を持てば、このような主張(=発想)が出てくるのか、私には全く理解できません。
思わず、”下衆の勘繰り”という言葉が脳裏をよぎったほどです。
これまでも、このときも、今もそうですが、私は(アクトクラブ員も同じだと思いますが…)、どのようなことを契機として、どのように個人的な関係が悪化していようと、大勢が集まるキャットショーで何か悪影響を与えるような言動を取ろうなんて考えたはありません。
それは、私やアクトクラブ員の20年弱にわたる実際の言動が証明しているのではないでしょうか。
それにもかかわらず、「ショーへの抗議も行われることは明らか」と主張するのは、悪質な印象操作と思わざるを得ないのです。
「ショーへの抗議が行われるかもしれない」ではなく、「ショーへの抗議も行われることは明らか」と断定口調で主張しているところに、私は被告側エントリークラークの”敵意”や”悪意””害意”を感じてしまうのです。
人は、自ら感じること、考えること、することしか主張しないと仮定するなら、まさにこの主張は被告側エントリークラークだったらそうするであろうということを表しているとしか思えません。
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