今になって飛び出して来た「出陳拒否」の新たな理由とは⑧
2014年7月に第1弾となる「出陳拒否」裁判の訴えが提起されてから早くも4年以上--。
前アジアディレクターがオーナーのクラブにおける3つのショーでの「出陳拒否」裁判は、東京高裁における和解で被告側(前アジアディレクター、当時のクラブ代表者、エントリクラーク2人)が、「出陳拒否」したことを「深謝する」として終わりました。
加えて言えば、前アジアディレクターと当時のクラブ代表者は”謝罪”しただけではなく、解決金まで支払ったわけです。
TICA Asia Region Showの「出陳拒否」に関しては、2017年10月に訴えが起こされ、こちらも1年余りが過ぎました。
「出陳拒否」した方が悪かったのか、「出陳拒否」された方にされるだけの理由があったのか--。
本来であれば誰の目にも明らかであるように思えますが、前アジアディレクターだったクラブオーナーらは違うようです。
もちろん、Asia Region Showより前の3つのこのクラブのショーとは、被告側の顔触れが同じではないという事情があるかもしれません。
東京高裁で和解した3つのショーのエントリクラークと、2014年のTICA Asia Region Showのエントリークラークは違うからです。
被告側の構成メンバーが変われば、主張が変わってもおかしくありませんし、TICA Asia Region Showのエントリークラークが「東京高裁の和解なんて、私は関係ありません」と言ったとしても、それは確かにその通りと言えます。
しかし、そうした事情があるにしても、この期に及んで「出陳拒否」の理由らしき事情として、原告であるアクトクラブ員が「裁判を起こしたからだ」というのはどうなのでしょうか。
私には余りに社会常識とかけ離れた主張としか思えませんし、私の目には”悪足掻き”としか映りません。
東京高裁の和解において「深謝する」としたことが噓偽りない真実であるなら、TICA Asia Region Showの「出陳拒否」についても真摯に反省し、心からの”謝罪”を表明し、それをしっかりとした形として示すことが必要であると思います。
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