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2018年8月13日 (月)

”社会常識”に欠けるとしか思えない”奇妙”な「会議」の案内(31)

かなり間があいてしまいましたが、続けたいと思います。(※このシリーズは7月22日以来となります)

大人としての社会常識があるかどうかは言葉の使い方で分かりますし、言葉の使い方がいい加減で杜撰なら、その人の考え方もやはりいい加減で杜撰と思わずにはいられません。

5年前のアクトに対する「活動自粛」あるいは「活動停止」の提案は、いまだにそれが「活動自粛」の要請だったのか、「活動停止」の要請だったのか定かではありません。

おそらく、当時、それに賛成したクラブ代表者やJudgeにおいてすら、「活動自粛」と「活動停止」のどちらに賛成したのか、分かっていなかったのではないでしょうか。

東京地裁の裁判でも、前アジアディレクターは裁判所での宣誓証言も含め、「活動自粛」を求めたと主張しましたが、前セクレタリー(現TICA AE Region Director)や「出陳拒否」した第3のクラブのエントリークラークは「活動停止」と主張しています。

「活動自粛」と「活動停止」が異なることは、沖縄で米軍機の墜落事故が起きた時の国会でのやり取りを思い起こせば明らかでしょう。

日本政府が米軍に対して「飛行停止」を求めたのか、「飛行自粛」を求めたのかでは全く違うことが分かります。

安倍首相が、実際は「飛行自粛」要請にとどまっていたにもかかわらず、それを「飛行停止」を求めたかのような国会答弁をして、立憲民主党の枝野代表が「(安倍首相は)国会でまたうそをついたのか」と追及したのです。

ちなみに「自粛」とは「自分から進んで、行いや態度を慎むこと」であり、「停止」とは「やめさせること、差し止めること」であって、自主的か強制的かの面で大きく異なります。

その意味で考えれば、前アジアディレクターはあくまでアクトの自主性を尊重した上で自粛を要請したのに対し、前セクレタリーと第3のクラブのエントリークラークは強制的にアクトの活動をやめさせようとした意図が見て取れます。

これに対して元アジアディレクターはどうだったかというと、2013年9月9日、アクトにメールを送ってきましたが、そこには「活動停止の自粛をお願いします」と書いてありました。

「活動停止」を「自粛」するって、どういうこと?と、私はこの日本語が理解できませんが、Board Memberでもある人物が頭の中で「停止」と「自粛」の違いすら理解せず、それを文章にしたらどういう意味になるのかも分からないようでは話になりません。

歴代のアジアDirectorがこういう状態(少なくとも3代続けて)で、どうして実のある議論が期待できる「会議」が開催できるというのでしょうか。

もちろん、単に四方山話に花を咲かせるだけのものであれば問題ないかもしれませんが、「議題」を募るような「会議」であれば、言葉の違いを理解せず、使い方が杜撰でいい加減では成立しないと思わざるを得ません。

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