”社会常識”に欠けるとしか思えない”奇妙”な「会議」の案内(28)
”欠席裁判”を何とも思わずに強いる組織風土は、社会常識に照らせば”異常”と思わずにはいられません。
5年前のアクトに対する「活動自粛」あるいは「活動停止」の提案に対する意識調査で、その対象となったアクトともうひとつのクラブは調査対象から外されていたのです。
この経緯について、前セクレタリー(現TICA Asia East Region Director)は裁判所で宣誓した上で証言しているのですが、それは余りに呆れ果てたものでした。
原告代理人:「アクトの言い分も話させた上で、そういう決定をしなかったんですか?」
前セクレタリー:「まぁ当事者に言えば、必ずそれは違うというふうに言うでしょうからね」
反論されるから“欠席裁判”を厭わないとでも言うかのようなであり、このような感覚を持つDirectorが主催する「会議」をどうして信用できるというのでしょうか?
そして、もっと”異常”なのは組織としての自浄作用が全く働かないということです。
5年前、活動自粛の「意識調査」に対して、Judgeとクラブ代表者の誰からも、「アクトの意見や賛否が入っていないのはおかしいのではないですか?」と疑問視する声はひとつも出てきませんでした。
つまり、こ意識調査に回答した全員が”欠席裁判”を容認し、肯定していたことになります。
これが社会常識ある組織、社会常識ある大人の対応と言えるのでしょうか。
それとも「趣味の世界」なのだから、“欠席裁判”をしても許されると思っているのでしょうか。
今回の「会議」に誰が出席する見込みで、そのうちの何人が5年前の「ミーティング」に出席して「意識調査」に回答したメンバーなのか、現時点では分かりません。
しかし、5年前に起きた(=起こした)ことの反省もなく、社会常識を顧みないで今回も無自覚に参加するようなら、後々禍根を残すような“種”を再び蒔くことになるでしょう。
前セクレタリーの”暴走”を防ぐには、参加者ひとりひとりが良識と社会常識を持ち合わせ、自浄作用を働かせなければならないことは言うまでもありません。
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