時代の流れと真逆に進むTICAアジア(7)
「多様性」の重要性をいくら説いても、その重要性が分かる人と分からない人がいるのが現実であり、残念なことですが仕方ありません。
ですから、TICA Asiaにあてはめて考えるとき、「多様性」の重要性が受け入れられる”素地”があるかどうかに思いを巡らせねばならないでしょう。
「多様性」の重要性を認識し、受け入れるためには、その人に「主体性」がなければなりません。
教育論の中には、「多様性」を通じて「主体性」を育むというものもあるようですが、私は個々人の根底に「主体性」がなければ「多様性」をいくら説いても根付かないと感じています。
そこで思い当たるのが、「出陳拒否」におけるエントリークラークです。
「出陳拒否」に”加担”した全てのエントリークラークが唯々諾々とクラブオーナーらの指示に従っていました。
つまり、「主体性」がなかったと言 えます。
それはとりもなおさず、「主体的に判断する」ということの”放棄”を意味します。
組織内での「いじめ」や「嫌がらせ」に見て見ぬふりをし、傍観者として”加害者”側に”加担”してしまうのも、結局のところ、その人に「主体性」がなく、「主体的に判断する」ことができないからに他なりません。
TICA Asiaにおいて、「多様性」を認める組織風土を作り上げていくには、その前提としてメンバー、ブリーダー、出陳者ひとりひとりが「主体性」を持ち、「主体的に判断する」ことができるようでなければならないことが分かるかと思います。
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