時代の流れと真逆に進むTICAアジア(6)
「多様性」と「いじめ」の間に相関関係があることはみなさんも異論のないところではないでしょうか。
組織内で「多様性」が失われるにつれて「いじめ」は増え、逆に「多様性」を認める雰囲気が醸成されるにつれて「いじめ」は減っていきます。
「多様性」というと抽象的な概念なので実感しにくいかもしれませんが、「いじめ」は目に見える具体的な言動ですから分かりやすいともいえるでしょう。
ですから、「いじめ」や「嫌がらせ」が多発する組織においては、たとえ「多様性」が目に見えなくても、失われていることが分かります。
では、TICA Asiaはどうでしょう?
「いじめ」や「嫌がらせ」を見聞きすることはないでしょうか。
それに”加担”したことはないでしょうか。
自ら率先して、「いじめ」や「嫌がらせ」をしたことはないでしょうか。
もちろん、「いじめ」や「嫌がらせ」の”加害者”には、いじめている自覚がないという特徴があり、「いじめ」ではなく”排除”しているだけだとの”詭弁”で正当化する人もいますから、なかなか難しい面はあります。
しかし、”被害者”が存在している以上、”加害者”がどう思っていようが、「いじめ」や「嫌がらせ」はあったと考えるのが今の社会の流れです。
そのことは、「セクハラ」で象徴的に語られているように、男性側がどのような気持ちでそうしようが、受けた女性側が「嫌な思い」をしたならば、それは「セクハラ」であるのと一緒です。
「いじめ」や「嫌がらせ」が蔓延し、常態化し、それを誰も止めようとせず、逆に”加担”する側が増えるなら、「多様性」が急速に失われつつあることの証拠でもあります。
私が言いたいのは、「多様性」の重要性を認識し、「多様性」を認める努力をすることが、結果的に「いじめ」や「嫌がらせ」をなくすことにつながるということです。
「多様性」を否定する組織風土がある限り、個々の「いじめ」や「嫌がらせ」をやめさせても、モグラ叩きのように形を変えた次の「いじめ」や「嫌がらせ 」が出てくるだけなのです。