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2018年2月25日 (日)

時代の流れと真逆に進むTICAアジア(10)

TICA Asiaに決定的に欠如しているものは何でしょうか。

このシリーズでは、「多様性(diversity)」や「受容性(inclusion)」を取り上げてきましたが、もうひとつ挙げるとすれば、それは「勇気」でしょう。

世の中を見回せば、ありふれた市民的「勇気」というものを至るところに見つけることができますが、TICA Asiaという小さな趣味の世界ではほぼ皆無と言っていいでしょう。

どうすれば、これだけ集ってくるのかと不思議なぐらい、「勇気」の欠如した人々の集団です。(もしかすると、実生活では「勇気」を表に出すけれど、趣味の世界では決して表に出さないだけかもしれませんが…)

しかも、こんな小さな趣味の世界で必要とされているのは、世界のテロ組織に立ち向かう「勇気」とか、オウム真理教のような集団と闘う「勇気」ではなく、「それは違うでしょう」「それはおかしい」という類いのちょっとした「勇気」なのです。

ですが、みなさんご存知のように、それすらも全く出て来ない、そうしたちょっとした「勇気」すら”圧殺”してしまうかのような組織風土には驚かされるばかりです。

ちょっとした「勇気」には、高尚な知識や高邁な倫理観など必要ありません。

社会常識と、それこそちょっとした良識のかけらさえ持っていれば、自然と出てくるはずなのです。

「勇気」ある人--。こういうと、あたかもそうした精神的素養をあらかじめ持っている人のように思ってしまいますが、私は違うと考えています。

では、どうして誰にでもあるはずの「勇気」が出て来ず、ただただ見て見ぬふりをして黙認するだけになってしまうのでしょうか。

どうして、ひとりひとりの小さな「勇気」が封じ込められてしまうのでしょうか。

世界各地で、様々な場面で、「勇気」を持って声をあげる人が増えている世界のなかで、TICA Asiaだけ、時代の流れと真逆に進んでいるとしか思えないのです。

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