前アジアディレクターが300万円の賠償求め提訴(10)
前アジアディレクターは、「ハラスメント」裁判内での「反訴」を取り下げて、別の訴訟として改めて訴えを起こしたわけですが、内容的にはほぼ同じものでした。
ただひとつの大きな違いは、「反訴」の証拠として提出していたアクトブログの1本を取りやめ、そのブログに対する訴えも引っ込めたことです。
では、なぜ1本だけ外したのでしょうか--。
引っ込めた1本はどのブログというと、2016年7月9日の「『答弁書』のあの勢いはどこへ?」というタイトルの記事でした。
私は冒頭、被告側のエントリークラーク2人が東京地裁に提出した「答弁書」から引用し、以下のように書きました。
「ネット上で誹謗中傷を繰り返す行為は許しがたいもので憤りを覚える」(2月ショーのエントリークラークの「答弁書」)--。
「(出陳拒否は)断ることがあると判断されたことによる決定である」(同)--。
「原告○○及び原告△△は、理由なく出陳を断られてはいない」(4月ショーのエントリークラークの「答弁書」)--。
「業務を全うしただけの者を犯罪者呼ばわりする行為に対し、憤りを禁じ得ない」(同)--。
そして、私は、「あれから2年が経とうとする今、クラブ代表者を含めた被告側3人は、この『答弁書』以降、沈黙しつづけています」と綴りました。
さらに続けて書きました。
「『答弁書』において、あれだけ勢いよく”拳”を振り上げて、原告側を批判したわけですから、「陳述書」においてもしっかりと責任ある主張を陳述するのが筋と言えます」
「それとも、振り上げた”拳”の持って行き場がなく、このままうやむやにして”フェイドアウト”しようとしているのでしょうか…」
「いずれにしても、子供や孫がいる世代の大人なわけですから、間違った主張をしたり、誤った「答弁書」を書いたなら、ひとつひとつ丁寧に謝るべきでしょう」--。
そうしたら、前アジアディレクターは自分の名誉が毀損されたとして、このブログも「反訴」の訴えに盛り込み、証拠として提出してきたわけです。
しかし、このブログが前アジアディレクターについて一切触れていないことは誰が読んでも明らかでしょう。
それにもかかわらず、前アジアディレクターはこのブログが前アジアディレクターに対する「人身攻撃」だと裁判所に訴え出たわけです。
私にしてみれば、これこそ裁判を”利用”した私に対する”人身攻撃”であり、まともな大人としての常識を遙かに逸脱したものと思わざるを得ないのです。
(続く)
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