「裁判」の最近の状況について(19)
”長丁場”の裁判の場合、最後の最後で「主張」を微妙に変えてしまうと、当初にしていた「主張」と整合性が取れないままに、結審してしまいます。
3年に及ぶ今回の「出陳拒否」裁判も、そうした例のひとつかもしれません。
前アジアディレクターだったクラブオーナーら被告側は、最後の最後の方になって「出陳拒否」を判断できるのは「ショーコミッティー」であることを認めたと思われる「主張」をしてきました。
このブログで何度も取り上げたTICAのShow Rule 23.6には、「ショーコミッティーの自由裁量で、以下の理由においてエントリーを拒否できる」となっているわけですから、当然といえば当然なのですが、被告側は正面から認めることを”拒み”続けてきました。
しかし、最後の最後の方で事実上、「認めた」ため、当初してきた「主張」と”矛盾”が生じることになってしまいました。
なぜなら、「6月ショー」のエントリークラークはショーコミッティーメンバーでもあったわけですが、「出陳拒否」の理由について、「クラブの意向」としてきたわけです。
本来なら、「クラブの意向」ではなく、「ショーコミッティーの意向」あるいは「ショーコミッティーの決定」とすべきでした。
TICAのShow Rulesを理解していれば、出陳拒否が「クラブの意向」であったなどと口が裂けても言えないはずですが、敢えて「クラブの意向」と言った背景には、このクラブにおける「ショーコミッティー」が”形骸化”していたことが挙げられるでしょう。
そして、「クラブの意向」なるものが”幅を利かせる”ようになった根底には、TICAのルールに”疎い”メンバーによるクラブの”私物化”という構造的な要因があったであろうことは容易に想像が付くのではないでしょうか。