「我見を離るべし」の教えどおりに…(5)
「我見」は本当に恐ろしいものです。
なぜなら、「我見」を持つ人とは、まともな会話や人間関係が成り立たないからです。
相手のためを思って何かをお譲りしようと申し出たら、「要らない物を押し付けられそうになった」と騒ぎ出し、「それならやめておきます」と申し出を引っ込めると、今度は「嫌がらせをして譲ってくれなかった」と怒り出す…。
お食事のお誘いを受け、「申し訳ないですが、その日はどうしても都合が付きません」と返答したら、いつのまにか「あの人は私の誘いを拒否した」ということになったり…。
「こちらに責任があるので、こちらで責任を持って担当させて頂きます」と言ったのに、後から「私たちに担当させてくれなかった」と不平不満を言い回ったり…。
こうした事が起きるのは、全て「自分だけの狭く偏った意見や見方」を離れられないからに他ならないと思うのですが、「我見」が支配している人が自ら気付くことはほとんどありません。
つまり、こちらだけが「我見」を離れてもあまり意味はなく、相手も「我見」を離れていなければ、組織において人間関係のトラブルや軋轢はなくならないというわけです。
そして、単に勘違いや行き違いが起こるだけならまだしも、「我見」を離れられない人は往々にして逆恨みしたり、いつまでも根に持ったりする傾向があり、これがトラブルを複雑にし、根深いものにしていきます。
「我見」が病的なまでの「思い込み」の激しさと結び付いたら最後、「思い込み」は”暴走”し、どんなに親しそうに見えた相手に対してでさえ急に”口撃”し始めるなど、もはや誰の手にも負えません。
「我見を離るべし」を実践するのが難しいとしても、せめて「我見を離るべし」の重要性ぐらいは自覚してもらわないと、組織風土が良くなることは決してないでしょう。