「我見を離るべし」の教えどおりに…(1)
「我見」なる言葉をご存知でしょうか…。「自分だけの偏った見方や狭い考え」を意味します。
仏教で言うところの「我執」と意味的には同じと考えていいでしょう。
「正法眼蔵随聞記」に、道元禅師の言葉として「我見を離るべし」と出てきますから、こちらを知っている方のほうが多いかもかもしれません。
この「我見を離れる」の中には、自分の偏狭な信念や自分で勝手に作り上げたルールなどに固執して、その基準で「他人を裁かない」ことも含まれます。
そして、TICAアジアを眺めるとき、余りに「我見」で満ち溢れていることに驚くばかりです。
度重なる「出陳拒否」、理不尽な「1年間の活動停止」要求、意に沿わないクラブ員を強制排除しようとする動き、クラブやクラブ員に陰に陽に圧力をかける傾向、ジャッジが一般メンバーを”犯罪者”呼ばわりする言動など、全て「我見」の為せる”技”と言えるでしょう。
一部には、アクトや私たちが「我見」の”権化”みたいに喧伝する人もいるようですが、それこそ「我見」に基づいた”レッテル”貼りと言わざるを得ません。
なぜなら、だからこそ私たちは「我見を離るべし」の教えどおり、自分たちの信念や正義感などに固執してその基準で他人を裁かないことに決め、日本の裁判所に全ての判断を委ねることにしたのです。
※本日も2本をアップする予定にしています。”夕刊”の配信は18:00の予定です。
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