「ご挨拶」という名の”怪文書”(11)
TICAのアジアディレクターが考えるところの「礼儀」とは何なのでしょうか?
私はとても疑問に感じました。
アジアディレクターは単なる個人としてでなく、クラブオーナーとしてでもなく、ディレクターの肩書を使って、以下のことをTICAのショーカタログに掲載したからです。
「私達が被告の立場で、原告の主催するショー等に参加するのは礼儀に反すると思います」
「逆に原告が被告の主催するショー等に参加するのはどうでしょうか?」
「原告と被告が同席するのですから、どちらにしても楽しく活動できる筈はありません」
アジアディレクターは回りくどい表現ながら、アクトクラブ員がこのクラブのショーに参加するのは「礼儀に反する」と暗に言っているわけです。
しかし、原告側アクトクラブ員が裁判で訴えているのは、「出陳拒否」を主導したクラブオーナーとクラブ代表、エンントリークラーク2人の合わせて4人に過ぎません。
クラブを訴えたわけでも、他の関係ないクラブ員を巻き込んだわけでもないのです。
そもそも、「原告の主催するショー」とか、「被告の主催するショー」という言い方に大きな問題があるのではないでしょうか。
こうした言い方こそ、明らかにアジアディレクターの印象操作でしょう。
訴えられていない他のクラブ員も、そして一般の出陳者も、12月17~18日のショーは「被告の主催するショー」と思って参加していたでしょうか?
そんなことはないはずです。TICA公認クラブ主催のショーであり、○○○(英語頭文字)主催のショーであると思っていたはずです。
それを敢えて、「原告の主催するショー」とか「被告の主催するショー」という言い方をすること自体が問題であり、他のクラブ、他のTICAアジアメンバーに「原告主催のショー」とか「被告主催のショー」という印象を植え付けようとする意図を感じざるを得ません。
「裁判」をショーに持ち込み、恣意的なレッテルを貼って区別することはナンセンスであり、TICAアジアの雰囲気を悪くするということがどうして分からないのでしょうか。
アジアディレクターが書いたように、たとえ「原告と被告が同席」し、「楽しく活動できる筈がない」としても、それは原告側アクトクラブ員と被告側4人の合計5人だけの話でしょう。
多くのジャッジと出陳者は裁判とは全く無関係であり、ショー会場内で裁判の議論を戦わせるわけでもないのですから、「楽しく活動できる筈がない」というのは被告側(もしかしたらアジアディレクターだけ?)の個人的な感情に過ぎないと言わざるを得ません。
裁判が「クラブ VS クラブ」ではなく、あくまで個人が個人を訴えたものなわけですから、そうした個人的な事柄は横に置いて、参加した全ての人と楽しむことこそ、常識ある大人としての「礼儀」ではないでしょうか。
原告の立場だろうが、被告の立場だろうが、ショーにエントリーしたなら、それはTICAのショーへの出陳者であり、ジャッジはジャッジとして、エントリーされた猫を「いい猫はいい」と公平、公正に評価して欲しいというのが私の考えです。
何度も言いますが、「裁判」を日頃のショーに持ち込んではならず、「裁判」に関係ないクラブ員やTICAアジアメンバーを巻き込むことがあっては決してならないと思っています。
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