「ご挨拶」という名の”怪文書”(10)
「陳述書」は大切な証拠のひとつですし、裁判記録として裁判所に永久に保管されるわけですから、いい加減な記憶を頼りに適当に書き連ねて出すことなど基本的にあり得ません。
あるジャッジが原告側の証人として提出した「陳述書」も、そのジャッジが思い付くままに書き連ねた文書をそのまま提出したわけではないのです。
原告側アクトクラブ員も間に入って推敲に推敲を重ね、さらにそれを原告側弁護士2人が入念にチェックしてから東京地裁に提出しました。
その過程では何度も、加筆したり、削除したりという作業を繰り返しました。
というのも、「陳述書」で”嘘偽り”を書いたり、誰かの名誉を毀損するような中傷めいたことを書いたりすれば、原告側のプラスになるどころか、足を引っ張りかねないからです。
へたをすれば、「陳述書」を書いた証人自身が名誉毀損などで訴えられかねないわけですから、二重三重に慎重にチェックした上で提出するというわけです。
それは私の「陳述書」についても同じでした。
従って、このジャッジが裁判所に提出した「陳述書」には、基本的に「過激」な内容が含まれていることなどあり得ないのです。
私はこうした事情を知っているからなおさらのこと、なぜアジアディレクターが「内容はとんでもなく過激なものでした」とショーカタログで書いたのか理解できないのです。
「過激」は「①度を越して激しいこと。また、そのさま。②考え方ややり方が世間の常識からひどくかけ離れていること」(デジタル大辞泉)を意味します。
その点で、このジャッジの「陳述書」に、日本語の正しい意味における「過激」な内容が書かれていなかったことだけは確かだといえると思います。
※本日も2本をアップする予定にしています。2本目は18:00の予定です。
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