集った人たちと「ともに学び」「ともに楽しむ」…
「あなたのクラブは迷惑だ」「(そっちはそっちで) 自由にやればいい」「別の猫サークルを作って楽しめばいい」--。
仮に誰がディレクターに当選したとしても、こう言ってくるようなディレクターのもとで、 どうして一致団結して公平・ 公正な道を歩めると言うのでしょうか。
3年前に「Write-in」 での当選を目指されたジャッジさんが呼びかけた、「 もっと多くの方にキャットショーに参加してもらい、 楽しみを分かち合いたい」という”理念”が、あのようなことを言うようなディレクターのもとで、どうして実現できるというのでしょうか?
アクトは小さいクラブなので、クラブ員の出入りはほとんどありませんが、それでも意見が合わないからと言って、クラブ員に「お辞めになって…」などと一方的に”排除通告”したことはありません。
クラブオーナーだろうが、クラブ代表者だろうが、ジャッジだろうが、ベテランブリーダーだろうが、 初めてショーに参加した人だろうが、 そこに集った人たちと「ともに学び」「ともに楽しむ」のがTICAのショーなのではないでしょうか。
「もっと多くの方にキャットショーに参加してもらいたい」という思い、その多くの方々と共に「楽しみを分かち合いたい」という思いは、私が大切にしてきた思いでもあります。
意見の合わない人を排除して、閉鎖的な組織にしてしまっては決して楽しくないでしょう。
多くの人が参加し、みんなで協力してこそ楽しさは2倍、3倍になり、それを分かち合ってこそさらに楽しさは4倍、5倍に膨らむのだと、私は思っています。
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