メンバーの「声なき声」に耳を澄まして(4)
東京都心では11月としては54年ぶりに初雪が降り、史上初めてとなる積雪観測となりました。
雪に”音”があることを知ったのはかなり以前のことでした。
ある人がこんなことを言っていたのです。
「雪がしんしんと降るとき、音のすることを知ってる人はどのくらいいるだろう。その音は蚕が桑を食べる音より小さい」--。
私は、TICAアジアメンバーの「声なき声」に耳を澄ませるというのは、雪の”音”を聞くのと同じようなことではないかと思いました。
聞こうと思わなければ決して聞こえてきません。寄り添い、向き合い、じっと耳を澄ませなければ決して聞こえてこないのです。
もし、TICAアジアメンバーの間で、リジョン運営への”無関心”が生じてしまっているとしたら、それはアジアディレクターとリジョンスタッフがメンバーと出陳者の「声なき声」に耳を澄まして来なかったところに原因があったのではないかと思うのです。
それが前回選挙の時の極めて高い「棄権率」に表れた気がしてなりません。
しかし、そのような状況も、この3年間で少しずつ変わって来たのではないでしょうか。
なぜなら、このブログで取り上げる様々な出来事は、メンバー・出陳者の「声なき声」の代弁者として綴ってきたものだからです。
そして、「声なき声」に真摯に耳を傾け、耳を澄ませば澄ますほど、「声なき声」はいろいろなところから自然に集まって来ることが分かりました。
もし私に、他の候補者にはない”強み”があるとすれば、それはこの3年間、聞き続け、集め続けたTICAアジアメンバー・出陳者の「声なき声」の積み重ねであると思っています。
それは、私の全く知らないところで起きた出来事もあれば、「そう言えば…」と思い当たる出来事もあります。
この経験は、もし私がアジアディレクターに当選したなら、活きてくると思っていますし、リジョン運営に最大限活かしていかなければならないとも思っています。
みなさんと力を合わせ、「声なき声」を形にして具体的な改善策につなげていければと思います。
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