「ご期待に添えなかった」のは「力不足」?
このブログで何か書くと、内容をよく吟味することなく、すぐ「バッシングしている」とか「見苦しい」とか言われますが、それぞれがそれぞれの立場で正しい言動を取っているにもかかわらず、重箱の隅をつついて”誹謗中傷”しているわけではありません。
今日のテーマは、TICAアジアのアワードカタログに掲載されたアジアディレクターの「ごあいさつ」に関してです。
1つは、「今年はディレクター最後の年で、就任のときにお約束した…」のくだりです。
これを読み、何人のメンバーが当時の「所信表明」や「公約」を振り返って確認されたか分かりませんが、これを読むとあたかも「就任のときにお約束した」のはここに書いたことだけで、果たせなかったのは北海道でのショーの開催だけのような印象を受けます。
しかし、実際はそうでなかったわけですから、とても違和感を覚えました。(もちろん、カタログの紙幅が限られているという事情があったかもしれません)
もう1つは、「大変な3年間でした。未だ続いています。私の力不足で皆様のご期待に添えなかった事をお詫び致します」というくだりです。
「お詫び致します」というところを評価するメンバーもいるかもしれません。
しかし、その前段の部分(「大変な3年間でした。未だ続いています。私の力不足で皆様のご期待に添えなかった事」)については、まるで”他人事”のようで、大きな違和感を抱かざるを得ませんでした。
もっと、はっきり言えば”当事者意識”に欠けているのです。
「大変な3年間」になったのは、全て自分が”種”を蒔いた結果であり、「未だ続いている」のも、「続いている」のではなく、自らの意思で”続けている”に過ぎません。
「私の力不足」という言葉は、第三者が起こしたトラブルの解決に奔走したけれど、解決に至らなかった場合などに使うもので、自分で引き起こした問題について使う言葉ではありません。
従って、「お詫び」という言葉はあっても、何に対する「お詫び」かが全く筋違いであり、実質的には何ひとつ「お詫び」していないに等しいと言わざるを得ないのです。
TICAアジアをPositive & Constructiveな方法で立て直すに当たって、問題を起こした当事者の「お詫び」や「謝罪」は欠かせませんが、単に言葉が並べばいいわけでないことも当然でしょう。
何に対して「お詫び」するのかが的確でなければ、それは決して「Positive」にも「Constructive」になることもないのです。
最後に、一番引っ掛かったのは「あと4カ月しっかりとディレクターの責を務めます」という部分です。
なぜなら、「大変な3年間」になったのは、「ディレクターの責」が何であるかを理解せず、自ら先頭に立って次々と問題を引き起こしたところに根本原因があったからです。
筋違いな「お詫び」の言葉と併せ、どうやって「しっかりとディレクターの責を務め」られるというのでしょうか…。疑問に思わざるを得ません。
※本日は2本をアップする予定にしています。2本目は18:00の予定です。