「正しい」か「正しくない」かしかない(5)
「人の迷惑、省みず…♪」とくれば、「やって来ました!○○マン♪」と続くフレーズが頭をよぎります。
猫界もまた、何か事があると、すぐ「みんなが迷惑している」みたいなことを耳にします。
しかし、ここには3つの”罠”が潜んでいるのを忘れてはなりません。
ひとつは「みんな」という「匿名性」の”罠”--。「みんな」とは一体、具体的に誰と誰を指すのか、決して明らかにはしません。
ふたつ目は総称の”罠”です。「迷惑」の具体的な中身を決して明らかにしません。
単に気に入らない人や嫌いな人物を、「迷惑」という総称のもとに排除しようとしているだけのケースが往々にしてあります。
そして、もうひとつ最も重要なのは、もともとの発端に関して、決して「正しい」ことか、「正しくない」ことか、善悪の判断を決して示さないという”罠”です。
「正しい」ことが「正しく」行われていない結果として、誰かや組織に悪影響が及び、その結果として何らかの痛みを伴う改革や身を切る改革が必要なら、それは「迷惑」とは言いません。
「正しい」ことが「正しく」行われているにも拘わらず、誰かが個人の利害関係だけに基づいて問題を起こし、その結果として周囲に悪影響を及ぼしているのであれば、確かに「迷惑」であり、本人が謝罪し、反省し、言動を改めるまで”隔離”や”排除”も仕方ないでしょう。
しかし、多くのケースは、「みんなが迷惑している」という 風評を流してある種の「レッテル」を貼り、締め出そうとする「印象操作」に過ぎません。
こうした風評はたちが悪く、どこをどう追及しても「白黒」の決着はなかなかつきません。
一方、裁判で争うということは、こうした”罠”に陥ることなく、理路整然と議論が進み、誰にでも「白黒」がはっきり理解できる結論を得られる点において、とても有意義と言えるでしょう。