「正しい」か、「正しくないか」しかない(1)
「出陳拒否」に関して言えば、「正しかった」か「正しくなかった」かのどちらかしかあり得ません。
そうなると、裁判を起こされた側としては、基本的には次の2つのどちらかしかないということになります。
「正しかった」のであれば、「裁判で負けるはずがありません。裁判所には出陳拒否の正当性を粛々と主張するまでです」といったことを言うでしょう。
(※ちなみにクラブオーナーは2014年10月のアジアリジョンショーでの出陳拒否の際に、原告側代理人に対し、「出陳は拒否を致します。この裁判が終わるまでこの方針は貫きます」と”宣言”していました)
一方、「正しくなかった」のなら、常識的には「裁判を起こされるような事態を招いて申し訳ありません」などと謝るでしょう。
しかし、そのいずれでもなく、「どうぞいくらでも訴えて下さい」とか、「訴えられるのには慣れました」とか言うような発言をする場合、どう理解すればいいのでしょうか…。
世の中には、自分たち仲間内の真理だけを通そうとして、一般常識ではあり得ない世界感を押し付けては躓く人たちがいることも確かです。
しかし、まずはっきりしたのは、「裁判で勝つ」と言えなかった(「自分が正しい」と言えなかった)という事実…。
もうひとつは、「正しくなかった」ことを素直に認めて、「申し訳ありませんでした」と謝ることもできないという事実です。
そもそも、訴えられるようなことに全く身に覚えがなければ、「どうぞいくらでも訴えて下さい」などと言うはずがなく、普通なら逆に「何も悪いことをしていないのに訴えるとはとんでもない」と怒り出すはずです。
それが怒り出すことなく、変に開き直ってしまうのは、「訴えられるようなことをしてしまいました」と自ら”告白”しているようなものと思わざるを得ません。
« TICA Board Agendaが突き付ける大きな課題 | トップページ | 「予算比」と「前年実績比」は”車の両輪”のようなもの »
« TICA Board Agendaが突き付ける大きな課題 | トップページ | 「予算比」と「前年実績比」は”車の両輪”のようなもの »