「勝つために手段を選ぶ」という理由…
何かの目標に向かって歩むとき、あるいは目的を達成しようと進むとき、私は自らへの「戒め」とともに、自分に課していることがあります。
それは「勝つために手段を選ぶ」ということです。
もちろん、「何を甘いこと言っているのか…」という声が世の中に満ち溢れていることは知っています。
「きれい事を並べても勝たなければ意味がない」とか「負けてしまえば何を言っても”負け犬”の遠吠えに過ぎない」とか言う人もたくさんいるでしょう。
しかし、私の中には「勝つために手段を選ばす」「毒を食らわば皿まで」といった”戦略”はありません。
ですから、「勝つために手段を選ばす」という人たちと一緒に…と言われても無理があります。そこにどのような”大義””深謀遠慮”があったとしてもです。たとえ数はわずかであっても、「勝つために手段を選ぶ」という考えの人と一緒にやっていくしかありません。
なぜ、「手段を選ばず」ではないのか--。
「手段を選ばず」を認めてしまうと、たっとひとつだけ決してしてはならないこと、私の中にある絶対的な”禁じ手”まで認めることになりかねないからです。
それは、自分たちと相反する相手側の「手段」や「やり方」まで使ってしまうことです。
「圧力をかけるのは良くない」と言いながら圧力をかけたり、「他人に犠牲を強いてはならない」と言っておきながら、他人に犠牲を強いたりするといったことです。
それには「結果としてそうなる」ことも含みます。「裏取引はしない」と言いながら、結果として後から見れば裏取引のようなことをしたり、「人を欺かない」と言っておきながら、事情に詳しくない人から見れば結果として欺いたりしていたといったことです。
たとえそれがどんなに小さな事、些細な事であっても、そうした「手段」や「やり方」を使うことで、全ては台無しになり、それで終わりです…。
それは本人が意図してそうしたか否か、”大義”があるか否か、”深謀遠慮”があるか否かとは関係ありません。
なぜなら、どんなに”大義”を前面に押し出して素晴らしい主張や約束をしても、「実際にやってることは○○さんと同じではないか…」とみんなが思ってしまうからです。
だから、私は「○○さんと同じではないか…」と思われないように慎重に「手段を選ぶ」のです。
「勝つために手段を選ぶ」ことこそ、Positive & Constractiveな対応であり、そうした考えを持つメンバーが増えることが、組織の健全化と活性化につながると思っています。
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