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2016年5月 2日 (月)

猫界における「プロ意識」について考える(15)

アジアディレクターがネットサイトのインタビューで話している「キャットショー」は随分、気楽で楽しいところのようです。

開催するすべてのキャットショーは「一般の方も入場し見学することができる」わけですし、「気軽に参加することができ、飼い主同士が猫談義に花を咲かせています」「気にいった猫がいたら、そのブリーダーとその場で子猫を譲り受ける交渉をすることも可能です」とも話しています。

実際、そうですし、TICAアジアメンバーの多くがそう思っていると思います。

そして、それは10年前も6~7年前も、そして今も変わらないはずです。

ところが、アジアディレクターの姉に言わせると、TICAのショーは全く違う様相を呈します。

3月29日のブログでも触れましたが、「キャット・シ ョーに参加した者であれば、いかに会場が静謐であり、ちょっとした会話でもどれほど目立ってしまうかが分かると思います」(姉が東京地裁に提出した「陳述書」)--。

ちなみに、「静謐」の意味は「静かで落ち着いていること。また、そのさま」(デジタル大辞泉)であり、「深夜、書斎に過ごす静謐なひととき」などと使います。

どうしてこうも妹と姉でキャットショーの雰囲気について言うことが違うのでしょうか…。

ここには、屁理屈だろうがなんだろうが、自分の主張を通すためなら、たとえ裁判所であろうと、何でも言いかねない姿が見て取れます。

そこにあるのは「プロ」の姿ではなく、「アマ」以下であると言われても仕方のない姿ではないかと思えてなりません。

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