猫裁判、驚くべき6年前の「陳述書」(8)
子猫が生まれた場合、どの子猫を手元に残し、どの子猫を譲渡するか--。
ブリーダーによっていろいろな判断基準があるかと思います。
「さらなる『スタンダード』に沿った猫種の創出を目指し、ショーでも一番評価が高いであろう猫を手元に残す」という人もいるでしょうし、多様な「遺伝子のプール」を確保する観点から、「ショーで活躍できないかもしれないけれど手元に残す」という人もいるでしょう。
ですから、譲渡に当たって「自分の手元に評価の高い猫を残し、他人にはこれに劣る猫を売った」と思われるか否かなどを心配するというのは、”売り専”のブリーダーならあったとしても、「プロ集団」を名乗るブリーダーならないのではないでしょうか…。
アジアディレクターの姉は6年前の「陳述書」で以下のように述べていました。
「一般的に、キャット・ショーにおいて、ブリーダーが他人に譲渡した猫よりも、自らが手元に残した猫の方が好成績をおさめた場合、他の人達から『当該ブリーダーは自分の所に良い猫を残した』などと思われ、ブリーダーとしての評価に傷がつくことがあります」--。
アジアディレクターである妹も、6年前の「陳述書」で姉について同様のことを述べていました。
「キャット・ショー参加者から、『○○(姉のこと)は、自分の手元に評価の高い猫を残し、他人にはこれに劣る猫を売った」と思われているのではないかと、不安がっていました」--。
当時の裁判官がこの姉妹の「陳述書」を読んでどう思ったかは知る由もありません。
しかし、少なくとも私は、「他人に譲渡した猫よりも、自らが手元に残した猫の方が好成績をおさめた場合、他の人達から『当該ブリーダーは自分の所に良い猫を残した』などと思われ、ブリーダーとしての評価に傷がつく」経験などしたことがありません。
もしかしたら、この姉妹とその周辺のブリーダーだけの話なのか、このクラブ内だけの話を、「一般的に」と大袈裟に言っているだけかもしれません。
誤解なきように強調しておきますが、私は評価の高いであろう猫を譲渡すること自体に反対しているわけではありません。
評価が高いであろう猫を自分の手元に残そうが、他人に譲渡しようが、それはブリーダーの考え方の違いですから…。
そうではなくて、他の人達から「当該ブリーダーは自分の所に良い猫を残した」などと思われて、「ブリーダーとしての評価に傷がつく」ことなんてないと言うことなのです。
「プロ集団」のブリーダーなら、そんなことで評価が傷付くなんてことはなく、不安がる必要などもないのではないでしょうか。
どうして、「ブリーダーとしての評価に傷がつくことがある」のか、どうして「不安がる」のか…。それをなぜ、「一般的に」と敷衍(ふえん)して語るのか…。
どうして裁判でこういう「陳述」をするのか…。そこが問題だと思えて仕方ないのです。
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