「責任逃れ」「矮小化」「当事者意識なし」
まるで企業不祥事の悪いところだけ、身に付けているようなトップが趣味の世界にもいます。
いるどころか、2代続いてそうなると、もはや”自浄作用”の働かせ方もないのではないかという絶望感に見舞われてしまいます。
よくある「責任逃れ」のひとつが、「私は知らなかった」とか「私は承認しなかった」という類いでしょう。
こうした認識だから、問題は火だるま式に大きくなり、手に負えなくなるのです。
さらに「矮小化」して済まそうとする考え方も大問題です。
「大きな問題ではない」とか、「ルール的には問題ない」とか、「重箱の隅をつつくようなことを言うな」とか…。
とは言え、こうした事は「当事者意識」がまるでないトップだから仕方ないのかもしれません。
「裁判に訴える方が悪い」とか、「弁護士に何も言うなといわれている」とか言うのは、「当事者意識」が皆無だからとしか考えられないのです。
※本日も2本をアップする予定にしています。2本目は18:00の予定です。

《「日経ビジネス」12月7日号の特集「謝罪の流儀」から》
いるどころか、2代続いてそうなると、もはや”自浄作用”の働かせ方もないのではないかという絶望感に見舞われてしまいます。
よくある「責任逃れ」のひとつが、「私は知らなかった」とか「私は承認しなかった」という類いでしょう。
こうした認識だから、問題は火だるま式に大きくなり、手に負えなくなるのです。
さらに「矮小化」して済まそうとする考え方も大問題です。
「大きな問題ではない」とか、「ルール的には問題ない」とか、「重箱の隅をつつくようなことを言うな」とか…。
とは言え、こうした事は「当事者意識」がまるでないトップだから仕方ないのかもしれません。
「裁判に訴える方が悪い」とか、「弁護士に何も言うなといわれている」とか言うのは、「当事者意識」が皆無だからとしか考えられないのです。
※本日も2本をアップする予定にしています。2本目は18:00の予定です。

《「日経ビジネス」12月7日号の特集「謝罪の流儀」から》
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