異論なくても思惑の違いは残る?
ある新聞のコラムにこんな文章が載っていました。
「『IS壊滅』の旗印にはどの国も異論はあるまい。しかし、結集しても思惑の違いは残る」
「それがもとで新たな紛争になり、犠牲が重なっては協調の効果はうせる」
「個別の国の利害を超えて、平和への努力が実を結び、同時テロを契機に『暴力なき世界』が築かれたとなれば、歳時記の候補ともなろう」--。
小さな趣味の世界においても、ある種の”旗印”に「異論はあるまい」と思えることもあります。
とは言え、たとえ結集したとしても「思惑の違いは残る」であろうことも確かでしょう。
個別のクラブの利害を超えて、「罰金」や「禁止」処罰を契機に「ルール違反なき世界」が築かれることを祈りたい…。
このコラムを読んでそんな気持ちになりました。