「ブラック」批判後の明暗を分けたもの(2)
昨日の続きです。ダイヤモンド・オンライン(DOL)の特別レポート「ワタミとユニクロ『ブラック企業』批判後の明暗を分けたものは何か?」の抄録をご紹介します。
「ワタミへの風当たりが強くなったのは2012年からだが、それが『バッシング』に発展したのは13年夏だ。『一企業の醜聞』から、『社会問題』へとステージがあがったのだ」
「では、ここで当の渡辺氏はどう対応しているか」
「我々はブラックではない。ブラック企業の基準もあいまいだ(2013年8月3日「日刊スポーツ」)
「要するに、いわれのない誹謗中傷を受けているという強気のスタンスを打ち出したのだ。この後しばらくして登場したインタビューでも、『評判を悪くしたい人がいる』『プロパガンダ』などと一貫として『被害者』という立場を貫いている」
「しかし、この3ヵ月ほど前、やはり『ブラック企業』の誹りを受けていたファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は、渡辺氏とまったく異なる対応をしている」
「『朝日新聞』のインタビューでこのように語っているのだ。『問題がなかったわけではなかった。グローバル化に急いで対応しようとして、要求水準が高くなったことは確か。店長を育てるにしても急ぎすぎた反省はある』(2013年4月23日『朝日新聞』)」
「全面的に同意はしないながらも『問題』の存在を認め、『反省』という言葉も用いている。このような両者の違いは、時間が経過していくとより顕著になっていく」
「全国紙やテレビを賑わしたユニクロの発表があった。『非正規社員1万6000人を正社員化』というやつだ。ここでも柳井会長は『反省』を前面に押し出す」
「たとえば、『日本経済新聞』(2014年4月12日)は、《「部下は部品ではない」「部下の人生を預かる」――。これまでの失敗を自分に言い聞かせる発言が相次いだ》なんて調子で、柳井会長の“改悛”を強く印象づける報道をしている」
「奇しくも同時期に『ブラック企業』イメージを打ち消す『対策』を公表した2社だが、その後のトップの発言はとても同じ問題に取り組んでいるとは思えぬほどかけ離れたものとなっている」
「ワタミの桑原前社長は、『東洋経済』のインタビューで『ブラックだなんて全然思っていない』『労使関係は存在しない』という発言をした」
「根拠のない噂のために苦しんでます、というわけだ。とにかく『口が裂けてもブラックを認めない』の境地に達しているのだ」
「そんなワタミと対照的に“改悛”路線を突き進むのがユニクロだ。14年の年末、学生向けの講演会を終えた後の取材で、柳井会長は『疑惑』を暗に認めるような思い切った発言をしている」
「昔の我々の会社には、ブラック企業のような部分もあったと思う。それはなくなってきた」「世界中の社員には、何人かブラック企業のようなことをやっている人はいるかも知れないが、会社としては容認していない」(朝日新聞2014年12月20日)
「今年1月、就任前の清水社長は、日本経済新聞の取材に対して、『世間のブラック企業との批判を真正面から受け止める必要がある』と、ユニクロの柳井会長の後を追いかけるような姿勢をみせはじめた」
「ユニクロはトップがいち早く『反省』と『改悛』を見せた。ワタミは2年間ほど『事実ではない』とつっぱねたが、いよいよ耐えきれなくて『反省』を見せはじめた。この2社の差を乱暴に言ってしまうと、最初に非を認めたか、追いつめられて非を認めたのか、という違いだろう」
※明日は「なぜワタミはユニクロのような対応をとれなかったのか」という核心に迫った部分を紹介します。