「不作」発言のもうひとつの側面
「不作」発言がTICAのジャッジとして言語道断であることは言うまでもありませんが、それとは別に、私は思うところがあります。
それは結局のところ、「不作」発言は”天に唾した”結果に過ぎないように思えることです。
仮に実際問題として「不作」だったのであれば、それはどうしてなのか考えてみれば明らかでしょう。
ジャッジが「スタンダード」に沿って正しく審査し、ブリーダーや出陳者を啓蒙し、正しく導いてきたのなら、「不作」になるはずがありません。
逆にジャッジがクラブ員や親しいブリーダーなど属人的関係を優先してファイナルインさせたり、特定の猫を不当に「出陳拒否」して健全な競争を歪めさせているのならどうでしょう?
「スタンダード」に沿った猫種の創出にそれほど情熱をかけずとも結果が付いてくるなら、誰も情熱を注がなくなり、結果として「不作」になるだろうからです。
もちろん、ジャッジだけの責任ではありません。ブリーダーや出陳者の自覚と責任も問われるでしょう。
クラブ員であることなど属人的関係を優先する審査結果に満足して好成績を喜んでいる限り、そして特定の猫が「出陳拒否」で参加出来ないために好成績を収めたことを「ラッキー!」と喜んでいる限り、「ス タンダード」に沿った猫種の創出からますます遠ざかるでしょう。
TICAのジャッジとして、「スタンダード」に基づく猫種の創出を促し、後押しし、導くという自覚と責任感があるなら、少なくとも自分が導いてきたであろうブリーダーや出陳者を前に、「不作だ」などという発言は決して出て来ないはずなのです。
私はこうした”負の連鎖”を断ち切ることが健全なTICAアジアにつながると信じています。