”出来レース”では出陳者は減るばかり
東京五輪の公式エンブレム問題では”パクリ”とともに、”出来レース”なる言葉が注目を集めました。
キャットショーの世界でもかねて”出来レース”疑惑が囁かれ、その疑惑は解消するばかりか、ますます深まる傾向にあるようです。
自分のクラブ員や親密なクラブのクラブ員の猫しかファイナルに入らないとか、ベストを貰えないといった”疑惑”は今に始まったことではありませんが、一部のクラブではその傾向が強まっているとの声もあります。
これでは出陳者が減り、離れていっても仕方ないでしょう。
もちろん疑惑が事実かどうかは分かりません。
しかし、”出来レース”をはなから否定する前に、”出来レース”とは何か、どういうことを”出来レース”というのかについての正確な知識を持つことが重要ではないでしょうか。
おそらく一般的には、「表向きは真剣に競い合っているように見えながら、結果は事前の話し合いで付いている」と理解しているメンバーが多いのではないでしょうか?
ですから、「”出来レース”などあるわけない」「『ある』と言うなら証拠を示しなさい」という反論が出てくるわけです。
しかし、いわゆる”出来レース”の定義の中には「お互いの腹の探り合いで結果が決まっている競争や勝負」も含まれるのです。
こうした”出来レース”の場合、証拠の示しようがありません。
つまり、”出来レース”疑惑は証拠があるかないかで判断したり、それで解決できたりする問題ではなく、疑惑自体をなくす努力をする しかないということになります。
それはジャッジが「説明責任を果たす」ことに尽きます。
なぜ、その猫がBOBになるのか、なぜファイナルに入るのか、なぜその順位なのか--。
逆に、なぜその猫はBOBにならず、ファイナルに入らないのか--。
「スタンダード」に則って正確に、そして丁寧に説明することしかないのです。
しかし、「説明」が”独り善がり”であっては意味がありません。
「出陳者の納得」を得て、初めて「説明責任」を果たしたことになる点を忘れてはなりません。
仮にどれだけ正確に丁寧に説明したつもりでいても、「出陳者の納得」を得られなければ、責任を果たしたことにはならないのです。
TICAアジアで起き ている審査結果を巡る様々な問題の多くは、ジャッジの説明に何かが欠け、出陳者が「確かにその通りね」とか「なるほど、そういうことなのね」と納得出来ていないところに原因があるように思えてなりません。
「説明責任」を果たす努力を地道に重ね、”出来レース”を少しずつでも解消していくことが、結局はTICAアジアの再生への一番の近道だと考えています。