「悪いのは誰か?」ここでも”議論のすり替え”
裁判を起こす方が悪いのか? それとも裁判を起こされる方が悪いのか?
猫界における”議論のすり替え”は「東京五輪公式エンブレム」問題でも見られます。
大会組織委が中止理由に挙げた「国民の理解が得られない」--。
これは暗に「デザインを理解できない国民が悪い」と国民に責任があるかのような言い方です。
デザイナーも同じです。
同氏は「エンブレムにつきまして」のコメントで、「一部のメディアで悪しきイメージが増幅され…」「私自身や作品への疑義に対して繰り返される批判やバッシング」があったことなどを理由に挙げ、「今回の取り下げに関して私自身も決断致しました」と説明しました。
しかし、数々の”パクリ”疑惑を探し出し、正当な根拠と証拠を示したのは紛れもなく、”ネット民”でした。
”ネット民”がいなければ、疑惑の数々は埋もれたままになり、仮に噂に上がったとしても、根拠なき臆測として闇に葬られてしまったことでしょう。
”ネット民”が批判しなければ、そして”ネット民”がブログで書き、SNSで投稿しなければ、いまなお「エンブレム」は使われ続けていたことでしょう。
それをあたかも”ネット民”のせいで取り下げざるを得なかったかのようなデザイナーの主張は理解できません。
猫界も全く同じ構図です。
もし、私がブログで書き続けず、出陳者が裁判を起こさなければ、いまなお不当な「出陳拒否」が続いていたことは間違いないのです。