「誰が」「何を」謝罪するのかも重要(1)
「何に対して謝罪する」のかと同時に、「誰が何を謝罪するのか」も重要になるでしょう。
なぜなら、今回の不当な「出陳拒否」の裁判の被告側4人はそれぞれ立場が異なっているからです。
ひとりはクラブオーナーであるだけでなく、TICAのオールブリードジャッジであり、ディレクターです。
もうひとりはクラブ代表であり、残る2人はエントリークラークでした。
エントリークラークのうちの1人は答弁書で、「TICAのショールールに則り、断る理由があると判断された」「本件各ショーはショールールに則り、適正に開催運営された」と主張しただけでなく、「業務を全うしただけの者を犯罪者呼ばわりする行為に対し、憤りを禁じ得ない」とも書いたそうですから、本人としては今なお「謝罪する」気持ちなどないかもしれません。
このエントリークラークは「エントリクラークとして支持を仰いだのはショーマネージャーに対してのみ」と強調し、クラブオーナーと代表の関与を否定していたと言いますから、なおさらのこと「謝罪する」意志は全くないかもしれません。
もうひとりのエントリークラークも「クラブとしてはTICAのショールールに計り、断る理由があると判断されたことによる決定である」と主張したとのこと。
加えて、「原告がネット上で誹謗中傷を繰り返す行為は憤りを覚える」と書き、証拠も根拠も示さず恰も原告側がネット上で何かを投稿したり書き込んだりしたかのような噓偽りを裁判所で主張したようですから、「謝罪する」気持ちなどさらさらなくても不思議ではありません。
エントリークラークとして「謝罪する」のであれば、自分たちのしてきた主張を踏まえ、「何に対して謝罪する」のかも焦点になるでしょう。