「対決姿勢」が”墓穴を掘る”
何事においても”対決姿勢”が騒動の火に油を注ぎ、最終的に”墓穴を掘る”事態になりますが、得てして当事者は気付かないようです。
「東京五輪公式エンブレム」問題を見ても分かるように、自らの非を認め、”和解”を探る機会は何度もありましたが、デザイナー、大会組織委ともに「模倣していない」「似ていない」の一点張りで、”対決姿勢”を取り続けました。
ベルギーの劇場のデザイナーも態度を硬化させ、結局、IOCを提訴しましたし、往生際悪く”対決姿勢”を続けたために、「原案」を公表せざるを得ず、かえって新たな疑惑を生むという悪循環に陥ったのは報じられている通りです。
事態が深刻であればあるほど「対決」を選ぶのではなく、「和解」を選んだ方が得策なのですが、利害打算や責任逃れの意識が強くなると読みが甘くなり、こういう事態を招くと言えます。
今回の騒動について、あるコメンテーターは「自分に非があるなら、すぐに謝る。非がなく本当に間違いであるなら、『言いがかりだ』と主張し訴訟も辞さない強さを示す。それが出来ないなら黙っているか、何もしない方がいい」と話していました。
ホリエモンこと堀江貴文氏も自身のツイッターを更新し、「本当に模倣じゃないと主張したいんなら最後まで諦めるべきでない。諦めた時点で負け」と、つぶやきました。
不当な「出陳拒否」を巡る猫裁判も同じです。
出陳者側はセオリー通りに、出陳拒否の理由が「言いがかりだ」と主張し、訴訟も辞さない強さを示しました。
しかし、一方のクラブ側は非があるにもかかわらず、すぐ謝ることをせず、”対決姿勢”を取り続けたのでした。
しかも、被告側は途中から変心の理由を説明することなく、出陳受け入れに方向転換したのです。
ホリエモンの言葉を借りるなら、「本当に23.6.5に該当する行為があったと主張したいなら最後まで諦めるべきではない」--。
要は裁判の決着を見届けるまでもなく、「諦めた時点で負け」だったということなのです。