2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

リンク

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2015年8月

2015年8月31日 (月)

すっきりしない後半戦スタート

明日から9月--。ショーシーズンは後半戦に入ります。

しかし、TICAアジア公式サイトのショーカレンダーを見ると、9月27日(日)に広島のクラブのショーが予定に入っています。

一体、どういうことなのでしょうか?

TICA本部の資料によると、このクラブはTICAアジアのActive Club Listから消えています。

にもかかわらず、TICAアジアのクラブリストには依然として、このクラブが名を連ねており、辞めたはずの前代表の名前も掲載されたままになっています。

この件は、アクトのブログで以前から何度か取り上げていますし、他のページは随時更新されていますから、この広島のクラブについては何らかの意図を持って掲載し続けているとしか思えません。

何がどうなっているのか? 何ともすっきりしない後半戦スタートになりそうです。

2015年8月30日 (日)

波紋広げる”裁判悪玉論”発言(3)

TICAアジアを2分するようなことを次から次へと仕掛けてきた張本人は誰なのでしょうか?

”裁判悪玉論”を盾に取り、クラブやジャッジ、出陳者に陰に陽に圧力をかけているのは誰なのでしょうか?

自分の意に沿わないクラブ、ジャッジ、出陳者を排除しようとしているのは誰なのでしょうか?

そうした数々の言動が、結果としてTICAアジアを2分しているに過ぎないのではないでしょうか…。

アクトは単に、ルール違反を指摘し、改善を促し、不適切な人物がその立場にいるならば交代すべきであると論じているに過ぎません。

それを”誹謗中傷”だとか、”バッシング”だとか、”サイバーハラスメント”だとか言って議論をすり替え、関係ない出陳者を巻き込んでいるのは誰なのでしょうか?

裁判が終わって真の意味で”ノーサイド”になるかどうかは、ひとえに被告側が心から謝罪し反省するかどうかにかかっているのです。

2015年8月29日 (土)

波紋広げる”裁判悪玉論”発言(2)

不当な「出陳拒否」の裁判を回避する”チャンス”はいくらでもありました。

クラブオーナーが「フライヤー」に「公の場でTICAを批判した方およびその関係者のエントリーはお断りいたします(Show Rule23.6.5)」と、記載しようとしていた時--。

エントリークラークなりショーマネージャーが原文を確認し、「そんなことは書いてありません!」と反対すれば良かったのです。

実際に「出陳拒否」するかどうかについても、エントリークラークが唯々諾々とクラブオーナーの意向に従わず、TICAのエントリークラークとして毅然として「出来ません!」と言えば良かったのです。

クラブオーナーは「出陳拒否」の理由としてShow Rule 23.6.3、23.6.4、23.6.5などを次々と持ち出してきましたが、クラブ員の誰かが原文を確認し、「このケースはいずれも適用できません!」と進言すれば良かったのです。

出陳者側はエントリークラークにルールを確認するように促しましたが、その時にしっかり確認すれば「出陳拒否」など出来ないことは理解できたはずでしたが、しませんでした。

出陳者側はわざわざ事前に「内容証明郵便」を送り、「出陳拒否」を考え直すように促しましたが、被告側は全く聞く耳を持ちませんでした。

その後、出陳者側は裁判所に「仮処分命令」の申請をし、裁判官が和解を勧めましたが、これを拒んだのも被告側でした。

出陳者側が裁判を起こしたのは2014年7月11日--。

被告側がすぐに謝罪し反省すれば、訴えを取り下げる選択肢もありましたが、強硬に争う姿勢を示したのは被告側でした。

争わずにすぐに和解交渉に入る道もありましたが、それを拒んだのも被告側でした。

なぜ、「裁判」になったのか? 

なぜ、裁判が長引いたのか?

いずれも被告側が招いた結果だということがお分かりになるかと思います。

2015年8月28日 (金)

波紋広げる”裁判悪玉論”発言(1)

不当な「出陳拒否」の裁判を巡り、あたかも「裁判」がTICAアジアを2分する”元凶”のように発言している人がいると小耳に挟みました。

「裁判を起こす方が悪い」という、いわゆる”裁判悪玉論”です。

しかし、もともと裁判を起こされるような「出陳拒否」という”暴挙”に出たのは誰なのでしょうか?

なぜ、「裁判」を起こされる前に、謝罪し反省しなかったのでしょうか?

何と行っても、被告側は今回の裁判で謝罪するはめになりそうだと言うのですから、なおのこと誰が本当に悪いのか? 誰がTICAアジアを2分する”元凶”なのかは一目瞭然でしょう。

”裁判悪玉論”を持ち出すということは、仮に今回の裁判の「和解条項」において「陳謝」したとしても、心から謝罪しているわけでも反省するわけでもないことを示していると言わざるを得ません。

2015年8月27日 (木)

波紋広げる「不作」発言

猫の創出において、「不作」だとか「豊作」だとかあるとは知りませんでした。

それに倣うと、TICAアジアの前年度は「不作」だったんだそうです。

しかし、何をもってして「不作」というのでしょうか?

キツンを見れば、アジリジョンのベストキツンは世界の2ndベストキツン--。

アジアリジョンのベストキャットは世界のベストブリード--。

IWを獲得したアジアリジョンの猫は例年と比べて減ったわけではありません。

まして受賞を楽しみに「アワード・パーティ」に集まったブリーダー、出陳者にとって、目の前で「不作」と言われてどう思ったことでしょう…。

自分のクラブの猫がいい成績を取らなければ「不作」なのでしょうか?

それとも自分の意に沿うブリーダーや出陳者の猫がいい成績を取らなければ「不作」なのでしょうか?

こんな疑問の声が出ていると聞いてとても残念に思いました。

2015年8月26日 (水)

ボードによる”ボード改革”(3)

新会長が提案する議案では、418.16についても修正を求めています。

418.16は「No action may be taken against an Approved Allbreed judge or an Instructor without full documentation of charges against that judge and a hearing before the Board of Directors except as provided in ARTICLE EIGHTEEN 418.3」となっています。

これに対し、修正案では「an Approved Allbreed judge or an Instructor」の部分を削除、その代わりこの部分を「any Judge」に変更するとしています。

これはどういうことかと言うと、現在は完全な証拠書類と「公聴会」がない限り、公認オールブリードジャッジ及びインストラクターに関しては「No Action」とすることが出来る、となっているものを「どのジャッジも」にすることを意味します。

418.16はある意味、公認オールブリードジャッジとインストラクターに対する”特権的”なものでると言えましたが、これを変えるわけです。

ベテランジャッジでも新米ジャッジでも、処分の手続きを同じ扱いにすることは当然であり、私から見ればもっと早く見直してもよかったのではないかと思えます。

(※418.3 If a judge is not an active member of an active TICA club, a current judging license may not be issued or an advancement may not be granted. The Board may, however, take into consideration other contributions made by the judge to the cat fancy in general)

2015年8月25日 (火)

ボードによる”ボード改革”(2)

ジャッジが降格された場合あるいは昇進が否決された場合に開くことが出来る「公聴会」について、現在のJudging Programはジャッジ資格によって差を設けています。

418.13は「A Probationary Specialty judge」の場合、「A hearing is not necessary」

418.14は「An Approved Specialty Judge」の場合、「A hearing is not necessary」

418.15は「A Provisional Allbreed judge」の場合、「A hearing is recommended」

つまり、現状ではSPジャッジの場合、「公聴会」は必要ないとされているのです。

これに対して、新会長の提案では418.13~15を削除するとしています。

要はジャッジの資格で差を付けるのではなく、ジャッジである以上、公平に「公聴会」の機会を与えようという意図が読み取れます。

これはジャッジの資格が高い人たちの”特権”をなくすことを意味しますし、ボードにとっては「説明責任を果たす」という役割が増えるわけですから、ボードメンバーとしては二の足を踏んでもおかしくない案件とも言えます。

それだけに今回の提案の行方に、私は注目しています。

2015年8月24日 (月)

ボードによる”ボード改革”(1)

「身を切る改革」--。

どこかの政党がこんなキャッチフレーズを掲げていましたが、議員定数削減を巡る議論を見ても分かるように、自分たちの利害が直接関係するルールを自分たちで変えるというのはなかなか難しいものです。

それはTICAという組織にあっても同じであり、ボードによる「ボード改革」は一筋縄では行きません。

しかし、新会長のもと、ここに来てちょっと変化が出てきたようです。

9月上旬に開かれるアニュアルボードミーティングに向け、会長自らが「Judging Program」の修正案を提案しているのです。

その一例が418.7の修正案です。

418.7 In the event a judge's license is not renewed, and there are extenuating circumstances of which the Board is unaware, the judge may ask the Board for a hearing. However, the Board is under no obligation to grant the hearing

ジャッジライセンスが更新されなかった場合、ボードが知り得なかった酌量すべき事情がある時には公聴会の開催を要望できるわけですが、「However, the Board is under no obligation to grant the hearing」と書いてあるように、ボードは「公聴会」開催の義務を負わないとも書いてあったわけです。

修正案によると、「ask the Board for a hearing. However, the Board is under no obligation to grant the hearing」を削除、それに代わって「request a hearing within 45 days of the denial date by notifying the EO and copying the JA」に変更するとしています。

新会長は提案理由について、「TICA is 36 years old and it is time for our Judges to receive due process and be granted a hearing」とも述べています。

一般出陳者には全く関係ないルール改正ですが、ボードのガバナンス(統治)のあり方の見直しにつながるとても重要な一歩であると、私は考えています。

2015年8月23日 (日)

裁判、第9回期日は9月3日(木)

不当な「出陳拒否」を巡る裁判の第9回期日は9月3日(木)午後4時半から開かれるそうです。

和解による解決を巡っては、被告側の「周辺の関係者」なる人物が反対しているわけですが、被告側がその意向に従い、あくまで和解拒否を貫くかどうかが焦点になりそうです。

被告側は、仮処分命令の審尋の際も、裁判官が和解を勧めたにもかかわらず、それを拒否した経緯があり、その意味では拒否を貫いても不思議ではありません。

ただし、仮処分命令の時は原告側が申請を取り下げたため、和解を拒否しても特にどうということはありませんでしたが、今回は和解を拒否すれば「判決」が出ます。

原告側は和解でも「判決」でも構わないわけですから、ひとえに被告側がどちらを選ぶかということになりそうです。

2015年8月22日 (土)

「周辺の関係者」なる人物(4)

「周辺の関係者」なる人物と聞いて思い浮かんだのが、原告であるアクトクラブ員の勤務先に2回にわたり電話をかけて来て、TICAのことで言い掛かりを付けた人物です。

未だにこの人物の正体は不明ですが、もし、和解に反対しているという「周辺の関係者」と同一であるなら腑に落ちます。

と言うか、この人物の他に思い浮かびません。

以前、クラブオーナーがサイトに書いていたことが正しいとするなら、その人物は被告側のクラブ員ではないことになります。

被告側のクラブではクラブオーナーに異を唱えたり、逆らったりするクラブ員はいませんから、その点でも筋が通ります。

もちろん、「周辺の関係者」なる人物がひとりとは限りません。複数いるかもしれません。

しかし、決して表には出て来ない卑怯な闇の人物など、およそ猫界に相応しくないことだけは間違いないでしょう。

TICAアジアの正常化と健全化のためにも、言いたいことがあるなら正体を明かして堂々と主張して欲しいものだと思います。

2015年8月21日 (金)

「周辺の関係者」なる人物(3)

あくまで一般論ですが、「周辺の関係者」に何らかの意図があるとすればひとつだけ考えられます。

それは「控訴」を狙うという裁判戦略です。

和解に応じてしまえば、裁判はそこで終わってしまい、「控訴」することは出来ません。

しかし、和解を拒否して「判決」に持ち込めば、「判決」を不服として「控訴」する道も拓けます。

とは言え、被告側代表自身が個人としては和解による解決をしたいと考えているフシがあるにもかかわらず、被告側に和解を拒否させて争わせ続けることが、常識ある社会人の考えることなのでしょうか?

私は甚だ疑問に感じます。

TICAアジアにとって残念なことですが、「周辺の関係者」なる人物が裏で糸を引いている限り、解決への道は遠のくばかりと言わざるを得ません。

2015年8月20日 (木)

「周辺の関係者」なる人物(2)

「周辺の関係者」なる人物は、被告側に和解を拒否させてどうしようというのでしょうか?

和解を拒否すれば、当然のことながら裁判所から「判決」が出されます。

「周辺の関係者」なる人物は、「判決」に持ち込みたいと考えているのでしょうか?

一般論としてならあり得ない話ではありません。

ただし、それはひとつの前提条件があります。和解より「判決」の方が有利になると考えられる場合です。

しかし、今回の不当な「出陳」拒否を巡る裁判において、被告側が勝訴する見通しは極めて小さいとみられています。

なぜなら裁判所が和解の基本方針として、被告側に陳謝させる方向になっているからです。

となれば、「判決」に持ち込んだとしても基本的にはその方向での「判決」内容になり、和解を拒否するのは時間の先延ばし効果しかありません。

「周辺の関係者」なる人物の真意はどこにあるのでしょうか?

TICAアジアの混乱を長引かせて、この人物にどんな利点があるのでしょうか?
 

2015年8月19日 (水)

「周辺の関係者」なる人物(1)

被告側が個人としては和解してもいいと思っているにもかかわらず、横やりを入れて来て”阻止”しようという人物とは誰なのか?

そもそも、どういう事情と経緯で、今回の不当な「出陳拒否」裁判に関与してきたのでしょうか?--皆目分かりません。

ただ少なくとも、この混乱を長引かせるという意味において、何らかの“悪意”を持った人物と言わざるを得ません。

仮に今回の不当な「出陳拒否」を巡る裁判が終わったとしても、”黒幕”まがいの人物が裏で糸を引き続ける限り、TICAアジアが真に正常化されることはないのかもしれません。

2015年8月18日 (火)

新たな展開か?「出陳拒否」裁判の行方

8月10日、第8回期日が開かれました、

関係者の話を総合すると、裁判所側は和解の提案をしているそうですが、被告側が抵抗を示していると聞きます。

しかも、不思議なのは被告側代表は個人としては和解による解決をしたいと考えているフシがあるものの、「周辺の関係者」なる人物が反対しているというのです。

一体、「周辺の関係者」なる人物とは誰なのでしょうか?

TICAのディレクターでさえ、その意向に沿わざるを得ない「周辺の関係者」とはどんな人物なのでしょうか?

この人物が実は「出陳拒否」の”黒幕”だったのでしょうか?

ここに来て、「裁判」は新たな展開を迎えようとしているのかもしれません。

2015年8月17日 (月)

”TOP 15 Finals”をどう考えるか?(5)

ついでなので「ファイナル率」を使って、キャットカウントに応じた適切なファイナルインの頭数はどのくらいかを考えてみました。

「ファイナル率」は当然のことながら、カウントが1~5頭の時は”もれなくファイナル”ですので100%です。

その後、カウントが増えるごとに変わり、25頭を超えると、その後はどんどん下がって行きます。(カウントが100頭なら「ファイナル率」は10%)

そこで、適正な「ファイナル率」の範囲を25~40%と設定します。(これは現在のカウントが20~25頭の時の「ファイナル率」の範囲です)

特にカウントが増えた場合でも25%を維持するにはどうすればいいかを考えてみました。

カウントが40頭の場合、10頭ファイナルだと「ファイナル率」は25%ですから、40頭を超えた場合にファイナルインの数を増やす必要があることが分かります。

例えば50頭ならファイナルインの頭数は12~13頭、60頭なら15頭にすれば25%前後になります。

こうして考えていくと、カウント80頭の場合にはファイナル頭数を20頭、カウント100頭の場合にはファイナル頭数を25頭にすれば、「ファイナル率」25%を維持できます。

とは言え、ロゼットを用意したり、ファイナル表彰の時間も考え合わせれば、20頭、25頭に及ぶファイナル表彰は現実的とは言えません。

おそらく、こうしたことから、ファイナルインの上限としての”TOP 15 Finals”の発想が出て来たのかと思います。

別の発想としては、ある一定頭数(例えばカウント40頭とか45頭とか)を超えた場合、頭数に応じて段階的にファイナルインの頭数を増やしていくということも考えられます。

50頭までは”TOP 10”とし、52頭になら”TOP 11”、54頭になら”TOP 12”、56頭になら”TOP 13”、58頭になら”TOP 14”、60頭になったら”TOP 15”といった具合です。

これを40頭から段階的に導入するという、また別の選択肢もあるでしょう。

いずれにしても、日本のショーが何らかの恩恵を受ける形での”ファイナル改革”も全く夢物語ではないことがお分かり頂けると思います。

2015年8月16日 (日)

”TOP 15 Finals”をどう考えるか?(4)

ファイナル表彰の頭数を10頭から15頭に増やそうという試みを、”ファイナル改革”のひとつと位置付けるなら、もっと様々なレベルで多くの意見や議論があっていいようにも思います。

例えば、キャットカウントが20頭までは「TOP 5」の表彰で、その後、カウントが1頭増えるごとにファイナル表彰頭数も1頭ずつ増える仕組み--。

ジャッジの間からも時折り、「20頭の中から5頭を選ぶのはきつい」という感想を耳にします。

現在は21頭だと「TOP 6」、22頭だと「TOP 7」というようになっていますが、これを20頭以上なら「TOP 10」にして、19頭なら「TOP 9」、18頭なら「TOP 8」というようにしてはどうかと言う意見があってもいいと思っています。

”TOP 15 Finals”の導入がキャットカウントの多いショーのためであるなら、キャットカウントが少ないショーのための新たな試みがあってもいいのではないかという発想です。

”TOP 15 Finals”と抱き合わせで導入したっていいはずです。

ディレクターがボードで議論するだけでなく、一般メンバーも交えて自由な発想と意見で”ファイナル改革”を幅広く話し合ってこそ、風通しが良く、活気ある組織になると、私は思うのです。

2015年8月15日 (土)

”TOP 15 Finals”をどう考えるか?(3)

私がちょっと不思議に思うのは、今回の”TOP 15 Finals”がなぜ、カウント75頭以上の場合なのか?ということです。

「75頭以上」という前提に合理的根拠があるのかないのか、公開されている文書を読む限り、よく分かりません。

そこで、仮に”TOP 15 Finals”を導入するなら、カウントが何頭以上の場合に最も相応しいかを自分なりに考えてみました。

その際の指標として使うのが「ファイナル率」です。これはキャットカウントに占めるファイナルインの頭数の比率を「%」で示したものです。

本来、完全に公平・平等であるなら、「ファイナル率」もカウントの大小にかかわらず一定であることが望ましいわけですが、実際にはそうなっていません。

例えば、カウント5頭なら、”もれなくファイナル”ですから、「ファイナル率」は100%です。

カウントが20頭なら、ファイナルは5頭ですから、「ファイナル率」は20分の5で25%。

これがカウントが25頭になると、ファイナルは10頭になりますから、「ファイナル率」は25分の10ですから40%に上がります。

ファイナルインの確率がキャットカウントによってどれだけの差があるか、これでご理解頂けたと思います。

今回の”TOP 15 Finals”の提案も、ある意味、この延長戦上に出てきたと言えます。

キャットカウントが70、80、90、100頭と増えても、ファイナルインの頭数が10頭なのは不公平だろうというわけです。

では、カウントが75頭の時に”TOP 15 Finals”にすると「ファイナル率」はどうなるか? 75分の15で、20%になります。

現在の「ファイナル率」(カウント75頭で”TOP 10”の場合)は13.3%ですから、およそ7ポイント(%)のアップです。

「ファイナル率」20%が高いのか低いのか、議論は分かれるかと思いますが、カウントが20~25頭の時の「ファイナル率」が40~25%であることを考えると、20%では低いような気がしています。

例えば、カウント60頭の場合に”TOP 15 Finals”にすると、「ファイナル率」は60分の15で25%になりますから、私としては”TOP 15 Finals”を導入するなら、カウント60頭以上でもいいのではないかと思うのです。

カウント60頭以上と言うことであれば、日本のショーでも”TOP 15 Finals”の恩恵を受けられる可能性が出てくるというわけです。

2015年8月14日 (金)

”TOP 15 Finals”をどう考えるか?(2)

昨日の続きです。残る2つの案を見てみましょう。

④案:”TOP 10”の場合のボーナスポイントは従来通りにして、”TOP 15”の場合だけ順位に応じたボーナスポイントを50ポイントずつ引き上げるというものです。

ただ、そうなると、ただでさえキャットカウントの大きいショーでの成績が有利なのに、さらにボーナスポイントまで引き上げられると、ますますその傾向が強くなる心配があります。

さらに、新たな問題が出てくるのではないかと懸念する意見もあります。

例えば、エントリー数が70頭前後であったなら、あと5頭増えれば順位に応じたボーナスポイントも増えるわけですから、キャットカウントの”嵩上げ”や”水増し”を促しかねない恐れがあるというものです。

⑤案:”TOP 15”を導入するに当たって、TOP 10までの得点体系は変えず、11th~15thベストに対し、ABリングで100~60点、SPリングで50~10点のボーナスポイントを配分するというものです。

現在の仕組みを変えることなく、最も簡素で導入しやすいと言えますが、SPリングでの15thベストのボーナスポイントがたった10点ということになります。

さて、みなさんはどの案が一番、ふさわしいと考えるでしょうか?

2015年8月13日 (木)

”TOP 15 Finals”をどう考えるか?(1)

9月上旬にオーストリアで開催されるTICAのアニュアルボードミーティングでは、ファイナルでの上位15頭表彰(”TOP 15”)について議論される予定になっています。

導入に当たっては順位に応じたボーナスポイントの変更も含め、ルールコミッティーから5つの案が示されました。

①案:従来通り、「TOP10」を維持する。

このブログでも一度触れたことがありますが、”TOP 15”を表彰するのはカウントが75頭を超えた場合です。

あるディレクターの推計によると、”TOP 15”が適用されるショーの数は年間の5%以下であり、必要ないと主張しています。

②案:”TOP 15”導入に当たって、順位に応じたボーナスポイントを、従来の”TOP 10”ファイナルの場合も含めて一律、50ポイントずつ引き上げるというものです。

ABリングの場合、ベストだと250点、2ndベストだと240点とし、10thベストで160点、11thベストで150点となり、15thベストで110点となります。

これに対 しては、TICAのタイトルの価値を下げてしまうのではないかという懸念の声もあります。

③案:上記②案の関連で、TICAのタイトルポイントも引き上げるというものです。

今回は3つの案を見てみましたが、導入の仕方によってはタイトルポイントにも影響を与えることがわかります。

2015年8月12日 (水)

戦後70年に関連して思う(5)

今回の裁判の「和解」が、「真の和解」につながるかどうかは、ひとえに加害者側の姿勢に委ねられています。

というのも、「出陳拒否」だけみても、今回の裁判の対象以外に5回もあり、それらは依然として未解決だからです。

私とアクト、そしてアクトのショーに対するパワハラまがいの誹謗中傷の数々についても、いまだに加害者側からの謝罪はありません。

アクトのブログを含め、「言論の自由」「表現の自由」を弾圧しようとしてきたことに対しても、いまだ謝罪はありません。

アクトのクラブとしての公認取り消し、私とクラブ員の会員資格剥奪を主張するメンバーが90人いる事実も依然として変わりません。

「真の和解」に至るか否か、そして未来を切り拓く意志があるかどうかは全て、こうした加害者側の対応にかかっているのです。

2015年8月11日 (火)

戦後70年に関連して思う(4)

「真の和解を行い、未来を切り拓くべきだ」--。

安倍首相の戦後70年談話に関する報告書を巡り、中国の王毅外相がこんなことを話したとの報道がありました。

この言葉は身近な趣味の世界においても同じではないでしょうか…。

今回の不当な「出陳拒否」の裁判が仮に「和解」で幕を閉じたとしても、それは単にあるひとつのクラブの2回の「出陳拒否」についてのことだけです。

そして、その「和解」ひとつ取ってみたところで、書面に「謝罪」や「陳謝」などの文字が記載されたからといって、それで「真の和解」を果たしたと言えないのは当然ではないでしょうか?

「痛切な反省」とともに、「心からのおわび」があってこそ、「真の和解」につながり、未来を切り拓くことにつながると、私は思っています。

2015年8月10日 (月)

戦後70年に関連して思う(3)

「未来志向」なる言葉が空疎に聞こえてなりません。

それは日本の外交も、身近な趣味の世界も全く同じです。

猫の世界においても多くの人が「未来志向」を求めているのは確かでしょう。

しかし、「未来志向」は単に望むだけで実現するものではありませんし、実現するためには前提条件もあるのではないでしょうか…。

そんな考えを巡らせていたら、ある新聞の「社説」で以下のような文章を目にしました。

「未来志向はよいことだが、過去への発言が踏み込み不足では、未来への発言も色あせる」--。

別の新聞の「社説」ではこんなことが書いてありました。

「首相は未来志向の談話を目指したい、と述べている。しかし、過去をきちんと総括した上でこそ評価されることを銘記すべきだ」--。

私も全く同意見です。

被告側も、そして「未来志向」を口にする一般メンバーも、余りに過去の出来事について無関心過ぎるように思えてならないのです。

過去の出来事をしっかり反省し謝罪して”清算”してこそ、地に足の着いた「未来志向」がスタートするのではないでしょうか…。

ドイツのワイツゼッカー元大統領の著名な警句を想い起こして頂きたいのです。

過去に目をつむる者は、現在も盲目であり、未来も同じ過ちを犯すだろう

2015年8月 9日 (日)

戦後70年に関連して思う(2)

「おわびがない反省は空論だ」--。

中国国営通信の新華社は、安倍首相の戦後70年談話に向けた有識者懇談会の報告書が「おわび」の必要性に触れなかったことについてこう論評したそうです。

私は第2次世界大戦の歴史観については知識も乏しく、話す資格はありませんが、人としての原点に立つなら、「おわびがない反省は空論だ」という主張に共感を持ちます。

そして、それは猫の世界においても同じではないでしょうか? 全くと言っていいほど「おわび」も「謝罪」もないからです。

「出陳拒否」など、その最たる例ではないでしょうか…。

「反省」したのか定かではありませんが、「出陳拒否」を改めれば「おわび」も「謝罪」の必要性もないとの態度に映ります。

しかも、「おわび」や「謝罪」を求めるアクトクラブ員に対して、「正義を振りかざすな」とか「正論を押し付けるのは虐めと同じだ」みたいな非難をする人もいる始末です。

「おわび」と「反省」はそもそも”セット”ではないかと思うのですが、そうでないと思う人がいるところが私には全く理解できないのです。

2015年8月 8日 (土)

戦後70年に関連して思う(1)

「原爆を落とした米国が悪いのか」、あるいは「原爆を落とさなければならない戦争を起こした日本が悪いのか」--。こういう議論がいまだにあることは確かです。

みなさんはどちらの意見か分かりませんが、身近な問題に置き換えればより理解が進むのではないでしょうか?

「裁判を起こした出陳者が悪いのか」あるいは「裁判を起こさなければならない事をしたクラブオーナーが悪いのか」ということです。

歴史に「if(もしも)」を持ち込んでも意味はないと言われますが、それでも日本がもっと早く降伏していれば原爆投下は避けられたのは事実でしょう。

そもそも、戦争を始めなければ「原爆投下」などなかったことも事実でしょう。

それと全く同じように、そもそも「出陳拒否」などしなければ「裁判」など起こさなかったし、もっと早く「出陳拒否」を素直に反省し、謝罪していれば「裁判」にならなかったことも事実です。

そして、「裁判」を起こしたからこそ、被告側が「出陳拒否」を改めたということも、また厳然たる事実だったことを忘れてはならないでしょう。

2015年8月 7日 (金)

裁判、第8回期日は8月10日(月)

不当な「出陳拒否」を巡る裁判の第8回期日は8月10日(金)午後4時30分から開かれるそうです。

これまでの流れからすると、被告側による「原告側の訴えは棄却されるべきだ」という主張は退けられる見通しですから、被告側は和解に応じるか、判決を得るかのどちらかを選ばねばなりません。

ただし、和解と言っても、原告側有利の和解になるでしょうし、判決に期待すると言っても被告側有利な判決になるとは到底思えません。

仮処分申請の時のように和解を拒否して「勝った!」「勝った!」の大合唱をすることで、メンバーを欺くことはもはや出来ないのです。

なぜなら、今回は判決が待ち構えているからです。それも事実上の被告側”敗訴”となりそうな状勢ですから、応じるも拒否するも”地獄”といったところではないでしょうか…。

一方、原告側としては、「出陳拒否」される理由も根拠もなかったことが示され、不当な「出陳拒否」であったことが認められればいいわけですから、和解でも判決でも構わないということになるのだと思います。

いずれにしても今回の裁判が大きな”ヤマ場”に差し掛かったことは確かでしょう。

2015年8月 6日 (木)

リングタイプの変更はどうでもいい?(3)

さらに昨日の続きです。

「返金に応じないのは納得がいかない!」と、怒り出す出陳者が居たらどうでしょう?

というか、怒る出陳者が出てきて当然だと、私は思うのです。

なぜなら、ジャッジの変更と同じくらいリングタイプの変更も重要だと思うからです。

さて、その「納得がいかない!」と怒り出した出陳者がTICA本部にクレームしたり、「プロテスト」を申し立てたとしたとしましょう。

そうしたら、TICA本部から「クラブ側は事前に『クラブサイト』と『フライヤー』に間違いがあったという連絡を出陳者にメールで送ったそうですし、ショー開始前に会場内で正しいリングタイプをアナウンスしたそうですから、問題ありません」という回答が返って来たとします。

しかし、みなさんは事前にリングタイプ変更のメールなど貰っていないのです。

それでも、みなさんは納得できますか?

クラブや私に対して何の不平不満も文句も言わず、「何の問題もないショーだ」と納得しますか?

「自分に都合のいいようにTICA本部に噓の報告をしないで下さい!」と怒り出しませんか?

もし、7月18日のショーのようなリングタイプ変更がまかり通るなら、リングタイプを事前に明示する必要はなくなります。

これで本当にまともなキャットショーと言えるのでしょうか…。

2015年8月 5日 (水)

リングタイプの変更はどうでもいい?(2)

昨日の続きです。

もちろん、出陳者の中には「ABリングでもSPリングでも関係ないわ」という人がいるかもしれません。

しかし、一方で「クラブサイトやフライヤーに書いてあったリングタイプと違うではないですか!」と、私に詰め寄る出陳者が居てもおかしくありません。

その時、私が以下のように答えたらみなさんはどう思うでしょうか?

「すみません。私は10リング全てSPだとクラブ員に言いましたが、それがサイトにもフライヤーにも反映されなかったようです。TICA本部にも全てSPリングで申請しています」--。

みなさんは「そうでしたか…。それなら仕方ないですね…」と納得しますか?

いえ、それで収まらないかもしれません。返金を求める出陳者が出て来たとしましょう。

「リングタイプがクラブサイトや『フライヤー』と違うんだから返金して下さい」--。

その時、私が「返金は致しません」と突っぱねたら、みなさんはどう思いますか?

7月18日のショーで起きたことはこういうことなのです。

2015年8月 4日 (火)

リングタイプの変更はどうでもいい?(1)

7月18日(土)に起きたこと…。

極端な例を使って分かりやすく説明すれば以下のようになります。

例えば、アクトがサイトで「次のショーは10リング全てABリングのオルタネイティブショーをします」という案内を掲載したとします。

アクトが配布した「ショーフライヤー」にもそう書いてあったとします。

みなさんは「10リング全てABリング」だと思ってエントリーし、出陳料を振り込みました。

しかし、ショー会場に行ったらビックリ! すべてSPリングになっていました。

それでもみなさんは何ひとつ文句を言うことなく、「そうだったんだ」と言ってそのままショーに参加されますか?

2015年8月 3日 (月)

”罪”を逃れるためなら平気で噓をつく?

どんな噓を付いても通ると思っているからでしょうか…。

それとも、決してバレないと確信しているからなのでしょうか…。

7月18日のショーの実際のリングタイプが、クラブサイトと「フライヤー」に書いてあったのと違っていた問題で、新たな事実が発覚しました。

それはクラブ側がTICA本部に対し、「申し込みのあった出陳者には事前にメールで変更を知らせた」と報告したのです。

もし、それが事実なら、少なくとも私と、私がエージェントを務めた猫のオーナーのところには来ていませんし、当日、この件で会場内で話した別の出陳者の元にもメールは来ていないのです。

噓か事実か? 考えられることは2つです。

罪を逃れるために平気で噓を付いたのか…。

あるいは、意図的に自分たちの意に沿わない出陳者にはリングタイプ変更のメールを送らなかったか…。

そもそも、申し込みのあった出陳者全員にメールを送るぐらいなら、クラブサイトとそこに掲示した「フライヤー」の記載を訂正した方が楽だったのではないでしょうか。

私は当日、このショーのショーマネジャーに返金を求めた際、ショーマネから「リングタイプの訂正をメールで送ったはずです」とはひと言もいわれていません。

ですから、”罪”を逃れるために後から噓の理由を付けてTICA本部に報告したとしか思えないのです。

アジアリジョンが健全な組織か否かは、7月18日に申し込んだ出陳者全員が判断出来ることなのです。

事前にリングタイプ変更のお知らせをメールで受け取りましたか?

2015年8月 2日 (日)

此の期に及んでようやく(3)

アクトのブログに関し、被告側4人が主張してきたような「誹謗中傷」や「バッシング(非難、叩き打ちのめす)」がなかったことを、ここに来てようやく被告側も認めたのは大きな前進と言えます。

というのも、もしアクトのブログで「誹謗中傷」を書かれ、「バッシング」されたと主張し続けるつもりなら、現時点でもなおそう主張し、どのブログがそれらに当たるのか証拠として裁判所に提出したはずだからです。

しかし今回、被告側が主張したのはアクトのブログに被告側のひとりに対して「批判的な言動」があったということ。そしてその証拠として被告側が提出したのは2013年12月8日、2014年2月18日、同年3月8日のブログだけだったということです。

みなさんにも今一度、この3日分を読んで頂ければと思いますが、一般的な新聞記事やコラムと何ら変わらない内容・表現です。

もし、これらが「批判的な言動」であったとして、何らかの処分や処罰を与えられるなら、民主主義を否定したも同然でしょう。

さて、大詰めを迎えつつある今回の「出陳拒否」を巡る裁判--。

被告側が主張するように、アクトのブログの「批判的な言動」がTICAのショールール23.6.5に書いてある「協会の権益、猫の幸福、もしくはクラブやショー自体の繁栄を妨害する」に当たり、クラブ員に対する「出陳拒否」が正当化されるなら原告の訴えは棄却されるでしょう。

しかし、アクトのブログが「言論の自由」「表現の自由」の範囲内であり、「協会の権益、猫の幸福、もしくはクラブやショー自体の繁栄を妨害する」ものでないなら、原告の訴えが棄却されることはないのです。

事実上の原告勝訴の判決、もしくは原告側の訴えが盛り込まれた和解になる道筋が見えてきたと言えるのではないでしょうか。

2015年8月 1日 (土)

此の期に及んでようやく(2)

昨日の続きですが、アクトのブログについても同様です。

これまで被告は「誹謗中傷」を書かれたとか、「バッシング」されたとか、根拠も理由も示さずに一方的に声高に叫んでいました。

私は「誹謗中傷など書いていないし、根拠と理由を示した上で問題点を指摘しているに過ぎない」と主張してきたにもかかわらず、私の言葉には一切耳を貸さず、「誹謗中傷だ」と言い続けてきました。

そして、今回の裁判にあっても、これまで被告側4人はどのブログのどの内容が「誹謗中傷」に当たるのかを一切、示すことはありませんでした。

しかし、先の第7回期日の準備書面(3)で、被告側は「ACCのサイトのブログにおいて被告○○(※現アジアディレクター)に対する批判的な言動に…」と、認識を改めたというのです。

「批判精神」は民主主義を健全に維持する重要な役割を果たし、日本国憲法でも「言論の自由」「表現の自由」の一環として守られていますから、何の問題もないわけです。

しかも、被告側は「批判」や「非難」ではなく、「批判的」と言い換えてきたわけです。

このことは、アクトのブログが「誹謗中傷」や「バッシング」でないことを被告側が認めたことを示し、ブログを根拠にして私に”罪”を着せることは出来ないということを認めたことを意味します。

裁判を起こさなければ、何ひとつ正せない、正しいことが実現しない組織というのはどういうものか…。みなさんにも真剣に考えて頂きたいと思います。

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »