戦後70年に関連して思う(3)
「未来志向」なる言葉が空疎に聞こえてなりません。
それは日本の外交も、身近な趣味の世界も全く同じです。
猫の世界においても多くの人が「未来志向」を求めているのは確かでしょう。
しかし、「未来志向」は単に望むだけで実現するものではありませんし、実現するためには前提条件もあるのではないでしょうか…。
そんな考えを巡らせていたら、ある新聞の「社説」で以下のような文章を目にしました。
「未来志向はよいことだが、過去への発言が踏み込み不足では、未来への発言も色あせる」--。
別の新聞の「社説」ではこんなことが書いてありました。
「首相は未来志向の談話を目指したい、と述べている。しかし、過去をきちんと総括した上でこそ評価されることを銘記すべきだ」--。
私も全く同意見です。
被告側も、そして「未来志向」を口にする一般メンバーも、余りに過去の出来事について無関心過ぎるように思えてならないのです。
過去の出来事をしっかり反省し謝罪して”清算”してこそ、地に足の着いた「未来志向」がスタートするのではないでしょうか…。
ドイツのワイツゼッカー元大統領の著名な警句を想い起こして頂きたいのです。
「過去に目をつむる者は、現在も盲目であり、未来も同じ過ちを犯すだろう」