此の期に及んでようやく(2)
昨日の続きですが、アクトのブログについても同様です。
これまで被告は「誹謗中傷」を書かれたとか、「バッシング」されたとか、根拠も理由も示さずに一方的に声高に叫んでいました。
私は「誹謗中傷など書いていないし、根拠と理由を示した上で問題点を指摘しているに過ぎない」と主張してきたにもかかわらず、私の言葉には一切耳を貸さず、「誹謗中傷だ」と言い続けてきました。
そして、今回の裁判にあっても、これまで被告側4人はどのブログのどの内容が「誹謗中傷」に当たるのかを一切、示すことはありませんでした。
しかし、先の第7回期日の準備書面(3)で、被告側は「ACCのサイトのブログにおいて被告○○(※現アジアディレクター)に対する批判的な言動に…」と、認識を改めたというのです。
「批判精神」は民主主義を健全に維持する重要な役割を果たし、日本国憲法でも「言論の自由」「表現の自由」の一環として守られていますから、何の問題もないわけです。
しかも、被告側は「批判」や「非難」ではなく、「批判的」と言い換えてきたわけです。
このことは、アクトのブログが「誹謗中傷」や「バッシング」でないことを被告側が認めたことを示し、ブログを根拠にして私に”罪”を着せることは出来ないということを認めたことを意味します。
裁判を起こさなければ、何ひとつ正せない、正しいことが実現しない組織というのはどういうものか…。みなさんにも真剣に考えて頂きたいと思います。