猫界ではなぜ許されない?(2)
私がもし、TICAについて「無能力・無責任で、これが失敗の最大の原因である」と書いたらどうなることになるでしょう?
「誹謗中傷を書いた」とか「バッシングした」とか「ショールール23.6.5にある『協会の権益、猫の幸福、もしくはクラブやショー自体の繁栄を妨害する』行為だ」と再び騒ぎ立てるのでしょうか?
冒頭の文章は舛添都知事が自身のブログで書いたものです。新国立競技場建設問題に絡み、「文科省は、無能力・無責任で、これが失敗の最大の原因である」と書きました。(※全文はhttp://ameblo.jp/shintomasuzoe/entry-12052495115.html)
都知事はさらにこう続けます。「JSCも文科省からの出向者で固めており、文科省に抵抗できない。文科省・JSCに仕事をさせれば、また失敗する」--。
それだけではありません。舛添知事は23日の講演でこの問題を巡り、「きちんと役人に責任を取らせるべきだ」「組織の長が信賞必罰為をしなければ、その組織は腐りきっていく」「それが出来ないなら長はは辞任して下さい」と言い切りました。
民主主義国家にあってはこうした「批判」は許されているどころか、こうした「批判」が出来るからこそ、「悪」や「不正」「失策」が白日の下に晒され、正されていくのではないでしょうか?
もし、「批判」が許されず、正当な根拠ある「批判」であっても、それが処分や処罰の対象であるなら、猫界は民主主義的な組織でないことを意味します。
「批判」が許されない、「批判」すると罰せられる風潮がある限り、その組織が健全に発展することはあり得ません。