「やり過ぎ」?か「当然の事」?か
おそらく誰が何をしたとしても、「やり過ぎだ!」と憤慨する人と、「当然の事をしたまで…」と理解を示す人に分かれるのではないでしょうか?
もちろん、どちらかが多数派で、どちらかが少数派ということはあり得るでしょうが…。
例えば、「名指し」。
国際社会でも、ある国を「名指し」で批判するかしないかは、それ自体が大きなニュースとなることからも、「名指し」するかしないかは重要な判断であることがお分かりかと思います。
TICAアジアリジョンの公式サイトのトップページの「お知らせ」に、あるメンバーの実名が掲載されました。
なぜ、実名を晒したのでしょうか?
どういう基準で実名を晒すことにしたのか? どういう議論を経て実名を晒すことにしたのか?
「『TICA事務局からの通達』に実名があったから…」という理屈も聞こえて来そうです。
しかし、もしそうであるなら、通達の原文を掲載し、その上で日本語訳を添えるのが筋であり、その場合でも実名部分を伏せる選択肢があっても良かったのではないでしょうか?
何もTICAアジアリジョンのトップページで実名を晒さなくても、「前クラブ代表」で済んだのではないでしょうか?
しかも、その人の名前の漢字表記を間違っているのですから、もはや言葉がありません。