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2015年7月

2015年7月31日 (金)

此の期に及んでようやく(1)

不当な「出陳拒否」を巡る今回の裁判を通じ、アクトと私にとってプラス面がなかったわけではありません。

此の期に及んでようやく…と言うべきか、2年前のアクトのショーを巡る被告側4人の認識に微妙な変化が出てきたようなのです。

2年前のアクトのショーについて被告側はこれまで、「世界中から日本人は皆グル」だと言われているとか、「世界中の猫愛好家からのブーイング」とか、散々非難してきましたが、先の第7回期日では「世界中のTICA会員より反響があり…」と言い換えてきたというのです。

「反響」は中立的な概念の言葉ですから、そこに「いい」「悪い」の判断の入り込む余地はありません。

「『日本のずる』と評して日本全体の不正を連想させる書き込みがあるなど目に余る状況です」といった恣意的に誇張した言い方に比べれば、格段の”進歩”と言えるでしょう。

ですから、世界中のTICA会員から「反響」があったということをもって、アクトや私に”罪”を着せることは出来なくなったというわけです。

それにしても、裁判を起こされないと、こうした人としての常識的な認識すら正せないとは私には全く理解できませんし、それは人として実に恐ろしいことだと思わずには居られません。

2015年7月30日 (木)

エルメスのバッグにも動物愛護の波

ジェーン・バーキンさんの声明にはちょっと驚きました!

つい先日、ジェーン・バーキンさんが「エルメス」に対し、バッグの名称から自身の名前を外すよう求めていることが明らかになったのです。

彼女の声明によると、「私の名を冠したエルメスのハンドバッグを製造する過程で殺処分されるクロコダイルへの残酷な処置を知るに至った。国際基準に則った改善処置が適用されるまで、バーキン・クロコの名を外すようエルメスに依頼した」--。

さらに、「靴やハンドバッグ、ベルトなどに使われるため、毎年多くの爬虫類が殺されている」と指摘し、こうした製品を身に着けないよう訴えているそうです。

「エルメス・バーキン」のクロコと言えば、400万~500万円する高価なバッグですが、動物愛護団体のPETA(People for the Ethical Treatment of Animals)」によると、1つ作るためにクロコダイル2~3匹が必要で、残酷な方法で殺されるまで狭いコンクリート製の容器に押し込まれていると言います。

動物愛護の活動の現状と今後の方向性をしっかり理解しておかないと、いつどういうことでキャットショー団体自体がその標的にならないとも限りません。

動物愛護の波が確実に広がりを見せるなか、ショー会場での”動物虐待”まがいの行為など、言語道断であることがお分かり頂けると思います。

2015年7月29日 (水)

猫界ではなぜ許されない?(3)

「何と情けない体たらくか」--。安保法案が衆院を通過した翌日のある新聞の1面にこんな言葉で始まる記事が載りました。

与野党双方の衆院議員に向けての言葉ですが、この文章を「上から目線」だかと「議員をバカにしている」とか非難する人はいないでしょう。

しかし、もし私が猫の団体やその理事会に対し、「何と情けない体たらくか」と、このブログで書いたらどうなるでしょうか?

恐らく、私やアクトを潰すチャンスを虎視眈々と狙っている人たちは、鬼の首を取ったかのように非難し、すぐボードメンバーに報告したり、私の会員資格を剥奪すべきだという「プロテスト」を準備したりすることと思います。

しかし、一般国民として普通に許されている「言論の自由」「表現の自由」が、どうして猫の団体にあっては大きく制限されなければならないのでしょうか?

そこにこそ、猫界が抱える根本的な問題の根、しかもそれは単なる趣味の世界を超え、人間としての根本原則の問題があるのではないでしょうか…。

2015年7月28日 (火)

猫界ではなぜ許されない?(2)

私がもし、TICAについて「無能力・無責任で、これが失敗の最大の原因である」と書いたらどうなることになるでしょう?

「誹謗中傷を書いた」とか「バッシングした」とか「ショールール23.6.5にある『協会の権益、猫の幸福、もしくはクラブやショー自体の繁栄を妨害する』行為だ」と再び騒ぎ立てるのでしょうか?

冒頭の文章は舛添都知事が自身のブログで書いたものです。新国立競技場建設問題に絡み、「文科省は、無能力・無責任で、これが失敗の最大の原因である」と書きました。(※全文は
http://ameblo.jp/shintomasuzoe/entry-12052495115.html

都知事はさらにこう続けます。「JSCも文科省からの出向者で固めており、文科省に抵抗できない。文科省・JSCに仕事をさせれば、また失敗する」--。

それだけではありません。舛添知事は23日の講演でこの問題を巡り、「きちんと役人に責任を取らせるべきだ」「組織の長が信賞必罰為をしなければ、その組織は腐りきっていく」「それが出来ないなら長はは辞任して下さい」と言い切りました。

民主主義国家にあってはこうした「批判」は許されているどころか、こうした「批判」が出来るからこそ、「悪」や「不正」「失策」が白日の下に晒され、正されていくのではないでしょうか?

もし、「批判」が許されず、正当な根拠ある「批判」であっても、それが処分や処罰の対象であるなら、猫界は民主主義的な組織でないことを意味します。

「批判」が許されない、「批判」すると罰せられる風潮がある限り、その組織が健全に発展することはあり得ません。

2015年7月27日 (月)

猫界ではなぜ許されない?(1)

「解体的な出直しを迫られる」「抜本的な見直しが避けられない」「再生に向けた課題は重い」--。

これらは東芝の不適切会計事件を巡り、実際に紙面に掲載された新聞記事の一部です。

お分かりのように、これらの言葉の数々は全て猫の世界にも当て嵌まります。

しかし、猫の団体においては、こうしたことを書くことが許されないというのです。

もし、私が猫の団体について、このブログで「解体的な出直しを迫られる」「抜本的な見直しが避けられない」「再生に向けた課題は重い」と書いたなら、私とアクトを潰そうと目論む人たちは「否定的なことを書いた」とか「攻撃的なことを書いた」とか「批判した」とか言って一斉に非難の声を上げることでしょう。

一般の新聞記事より、ブログの方がもっと自由に個人の意見や見解、思いを綴れるはずですが、猫界は”真逆”なのです。

世間一般で許されている、そして民主主義の根幹である「言論の自由」や「批判精神」がどうして猫界では否定され、陰に陽に圧力をかけられる対象となるのでしょうか?

私には不思議でなりません。

2015年7月26日 (日)

臆測が臆測呼ぶ大量アブセント

このブログでも21日に取り上げましたが、ちょうど1週間前のショーでひとりのジャッジだけ、ABリングでの「アブセント」が多く、「10頭ファイナル」出来なかった問題について臆測が臆測を呼んでいます。

先日、指摘した通り、「アブセント」は出陳者の正当な権利ですから、それ自体何の問題もないのですが、7頭全てのブリーダー・オーナーが主催クラブ員系列だったことが”状況証拠”となり、臆測を呼ぶ原因になっているようです。

「アクトクラブ員の猫をファイナルで上位に入れた」からという理由を挙げる人もいます。確かに、先週末のショーでは2ndベスト、その2週前のショーではベストでした。

「このジャッジが代表を務めるクラブのショーでアクトに近いとされるジャッジを招いた」という理由も聞こえてきます。言われてみれば確かにその通りでした。

「前年度のあるショーで、この主催クラブのオーナーのリングで大量アブセントがあったことに対する”意趣返し”をした」という人もいます。ただ、確かにそうした事実はありましたが、その意趣返しをこのジャッジにする直接の理由は見当たりません。

「主催クラブ員の猫に良い成績を付けないから」といった声も聞かれますが、これも定かではありません。

いずれにしてもはっきり言えるのは単なる偶然ではないだろうと言うことです。何らかの「意図」があったとしか思えません。

もちろん、その「意図」に”大義”があり、正しいのであれば問題はありませんが、単に言うことを聞かせるためにそのジャッジに圧力をかけたり、嫌がらせしたりするためであってのアブセントなら、大問題と言えるでしょう。

2015年7月25日 (土)

「他山の石」とすべき東芝事件(4)

「上司に逆らえない企業風土」--。

事件が起きた原因のひとつとして指摘されましたが、逆に言えば再発防止には「逆らえる風土」「批判できる風土」が欠かせないということになります。

では、どうすれば風通しのいい組織風土になるでしょうか?

トップが恣意的な判断で暴走しないための工夫はいくつもありますが、テルモでは以下のような取り組みをしているそうです。

ひとつは権威主義的な風潮を排除すること…。テルモでは役員も含め社内の呼称は全て「さん」付けにしていると言います。

翻って、猫の世界はどうでしょう?

ジャッジを「先生」と呼ぶこと、あるいは「先生」と呼ばれることを良しとする風潮があるのではないでしょうか…。

そう呼び、呼ばれることを通じ、意識するしないを別にして権威主義的な雰囲気が万延しているように思えます。

テルモのもうひとつの試みが、部下も上司を評価する「360度評価」の導入です。社長も例外ではない点が特徴です。

「意見がいいやすいか」など15項目について評価を受け、結果は社内ネットで公表しているそうです。

しかし、猫の世界ではジャッジもディレクターも決して評価を受けることはありません。

東芝事件を「他山の石」として学ぶべき点は、小さな趣味の世界と言えどもたくさんあると言えるのではないでしょうか?

2015年7月24日 (金)

「他山の石」とすべき東芝事件(3)

東芝の不適切会計問題が大きな衝撃だったのは、東芝が企業統治の仕組みを他社に先駆けて整え、「先進的な企業」イメージだったにもかかわず、起きたことでした。

当初、海外の投資家の間では、ある”誤解”があったと言います。

それは「東芝のガバナンス(統治)がしっかり機能しているからこそ明らかになった問題だ」と受け止め、楽観視していたと言うのです。

東芝が「監査委員会」などを備えた、いわゆる「委員会設置会社」に移行したのは今から10年以上まえの2003年のこと…。

ですから、今年4月にこの問題を初めて公表した時も、海外投資家は「『社外の目』がきちんと行き届いているからこそ問題が発覚したのだろう」と思い、「東芝は自浄作用を働かせてうまく解決するだろう」と期待していたと言われています。

しかし、実際は違いました。

「監査委員会」は機能不全に陥り、”先進的な仕組み”は絵に描いた餅になっていたのです。

実は、今回の問題は「証券取引等監視委員会による報告命令」により明らかになったのでした。決して東芝が自ら進んで調査に乗り出したものではありませんでした。

しかも、社内取締役でもある監査委員の指摘があったにもかかわらず、「監査委員会」で取り上げられなかった事実も明らかになりました。

そこにあるのは「仕組み」や「ルール」だけ作って満足し、実際の運用や中身が伴わない典型的な失敗例です。まさに「仏作って魂入れず」だったと言えます。

翻って、TICAはどうでしょうか?

ルール自体は充実しているように思えますが、全てのルールが”空文化”されず、”形骸化”せず、忠実に適用されているでしょうか?

「プロテスト」の手続きや制度は機能不全や機能マヒに陥っていないでしょうか?

そう考えれば、東芝の問題は遠い企業の出来事ではないはずです。

2015年7月23日 (木)

「他山の石」とすべき東芝事件(2)

東芝の不適切会計事件でもうひとつの大きな問題点は「監査法人が機能していたかどうか」でした。

それは「何のために『監査法人』がいるのか?」と言い換えてもいいかもしれません。

TICAアジアの問題について考えるなら、「TICA本部(あるいはTICAのボード)は機能しているか?」「何のために『TICAボード』はあるのか?」という疑問と全く同じです。

東芝事件で第三者委員会はこの問題にも触れ、会社側が「監査法人などに対して正しく説明していなかった」点を指摘しました。

TICAアジアも同様ではないでしょうか?

「プロテスト」を申し立てても、”被告側”あるいは”被告側関係者”の誰ひとりとして、TICAのボードに「正しく説明しない」のです。

東芝事件では「不適切会計は外部から発見されにくい巧妙な手法でなされていた」とも指摘されています。

TICAアジアで起こる度重なる数々のルール違反も、遠くにあるTICA本部からは「発見されにくい巧妙な手法でなされていた」と映っても仕方ないかもしれません。

極めて残念なことですが、TICA及びTICAアジアを監査する組織がなく、重大な問題が起こっても第三者委員会が調査することのないTICAアジアにあっては、その役目を「裁判所」に担ってもらうしか方法はないのです。

2015年7月22日 (水)

「他山の石」とすべき東芝事件(1)

東芝の不適切会計事件は大々的に報道されている通りです。

その中で気になったのは第三者委員会が指摘した東芝の企業風土についてです。

「上司の意向に逆らえない企業風土があった」--。

これは猫の世界にも当て嵌まるのではないでしょうか?

「ディレクターに逆らえない組織風土」「オーナーに逆らえないクラブ風土」が全くないと言い切れるでしょうか?

少なくとも、そう言い切れるのであれば、エントリークラークまで巻き込んだ組織的な「出陳拒否」など起こることはなかったはずです。

TICAアジアの場合、東芝のように「第三者委員会」の調査や報告に頼ることは出来ません。

ですから、その代わりとして「裁判」を通じて「不正」や「不正義」を明らかにし、被告側に謝罪と反省を求めて行く必要があるのです。

2015年7月21日 (火)

「カウント」は違って当たり前ですが…

このブログでも何度も取り上げていますが、「アブセント」は出陳者の正当な権利ですから、「アブセント」によってキャットカウントが変わることは当然とも言えます。

逆に、全リングでカウントが全く変わらないという方が不思議と言えるかもしれません。

その意味で、先週末のショーのチャンピオンシップのABリングのカウントが1番多いジャッジで31だったのに対し、1番少ないジャッジで24だったのも、ことさら奇妙と言うわけではないでしょう。

確かに7頭の「アブセント」は31頭の2割強を占めますし、カウントが24ということはファイナルの表彰も「トップ9」になるわけですから、主催クラブ、出陳者ともに残念だったかもしれません。

とは言え、マークドカタログを確認すると、このジャッジだけ「アブセント」した7頭のブリーダーやオーナーは全て主催クラブのクラブ員系でした。

このジャッジのリングだけは、10頭ファイナルを”犠牲”にしてまで足並みを揃えて「アブセント」しなければならない深い理由があったのかもしれません。

2015年7月20日 (月)

此の期に及んでなお(4)

被告側4人が、なぜそこまで2013年4月29日のアクトのショーを敵視するのか分かりません。

今なお、「到底フェアとはいえない方法でショーを実施したものである」(被告側準備書面(3))と、重ねて主張しているというのですから驚きです。

しかし、被告側は今回もまた、なぜ「到底フェアとはいえない」と言えるのか、正当な理由も根拠も示しませんでした。

それだけではありません。被告側自ら「公正かつ厳格なショー運営が求められていたにもかかわらず…」と言っているそうですから開いた口が塞がりません。

なぜなら、そんな主張をする一方で、自分たちのクラブのショーでは20頭以上のベンガルに”動物虐待”まがいの行為をしてキャットカウントを上げ、特定の猫の成績を上げていたわけです。

つまり、被告側の主張が正しいとするなら、”動物虐待”まがいの行為をしても、猫の名前のラベルが貼ったキャリーをリング内に持ち込んでも、猫を床から出し入れしても、小さなキャリーを審査ケージ代わりに使っても、それらは「公正かつ厳格なショー運営」の範疇に入ると言うわけです。

アジアディレクターでもあり、クラブオーナーでもあるジャッジはファイナルの際、猫の名前のラベルが貼ってあるキャリーごと審査ケージに入れて表彰していましたから、これもまた「公正かつ厳格なショー運営」の範疇に入るのでしょう。

此の期に及んでなお、どうしてこうした杜撰でいい加減な主張を裁判所に提出できるのか、その神経を疑ってしまいます。

2015年7月19日 (日)

ふたを開けて見たらビックリ!

「ふたを開けて見たらビックリ!」とは、まさにこのことを言うのではないでしょうか?

まずは昨日ショーを開いたクラブのサイトのトップページと、もしお手元にあれば「ショーフライヤー」を見て頂ければと思います。

そこには午前にAB5リング、午後にAB2リング/SP3リングと書いてあります。つまり、午前・午後合わせると、AB7リング、SP3リングになります。

クラブの公式サイト、そして「ショーフライヤー」ともそう書いてあるわけですから、全員がそう思って昨日は会場に行ったはずです。

しかし、受付を終えてカタログを見たらビックリ!

午前がAB5リングではなく、AB3リング/SP2リングになっているのです。午前・午後合わせると、AB5リング+SP5リングとなっていたのです。

どうしてアジアディレクターがオーナーのクラブにおいて、度重なるルール違反が起きるのか?

それはオーナーだけの責任ではなく、クラブ員全員が「無関心」「無責任」「無反省」なのではないかということです。

なぜなら、クラブ員誰ひとりとして、クラブサイトと「ショーフライヤー」の間違いに気付かず、仮に気付いたとしても開催前に出陳者に周知しなかったことを意味するからです。

これは「揚げ足取り」でも「重箱の隅をつつく」ものでもありません。出陳者全員に迷惑がかかる明確なショールール違反なのです。

ボードメンバーの一員であるアジアディレクターがオーナーのクラブにおいてこうしたルール違反が繰り返し起こることは異常としか言いようがありません。

2015年7月18日 (土)

此の期に及んでなお(3)

裁判所に対してでも、ある意味「杜撰」。ある意味「いい加減」なわけですが、此の期に及んでなお、被告側は2013年4月29日のアクトのショーについて自分らに都合のいいような主張を繰り返しているというのですから、改めて驚き呆れ果てます。

あのショーによって、「アジア・リジョンに対する信頼性も揺らぐ事態となった」(被告側準備書面(3))というのです。

しかし、例によって、何を以てして「信頼性も揺らぐ事態となった」かは根拠を示さず、証拠も一切提出せず、言いっ放し…。

これでは裁判を利用して、アクトや私に対する誹謗中傷を繰り返していると思われても仕方ないのではないでしょうか?

ちなみに、2年前のアクトのショーと、今回の裁判の「出陳拒否」が無関係であり、「出陳拒否」の理由にならないことは、裁判を通じて明らかになるようですから、それはそれでアクトと私にとってはいいことだと思っています。

2015年7月17日 (金)

「リーダーシップ」に欠けがちな要素

新国立競技場のデザイン案選定委員長だった安藤忠雄氏が昨日、記者会見を開きました。

ニュースでも大きく取り上げられたのでご存知の方も多いかと思います。

その中で彼は「リーダーシップ」について聞かれ、こう答えていたのが印象に残りました。

「『強い思い』『強い力』『強い知的能力』を持って引っ張って行かなければならない」――。

しかし、どこの国・企業・組織もそうですが、得てして「強い知的能力」を伴わず、「思い」と「力」だけで暴走するケースが多いのです。

「強い知的能力」を伴ってこその「リーダーシップ」であることを、TICAアジアのメンバー全員で共有したいと思います。

2015年7月16日 (木)

此の期に及んでなお(2)

すぐにバレルような噓はそれだけではなかったようです。

今回の不当な出陳拒否の対象となった1頭は「MEDUSA NOZOMI NAKINI ARAZU」ですが、被告側の主張によると、この猫は「シーズン半ばを過ぎた平成25年12月1日のキャットショーから出陳を開始したもので…」となっていたというのです。

2013年12月1日のショーは福岡で開かれていましたが、TICA本部の「Show Report」を確認しても「MEDUSA NOZOMI NAKINI ARAZU」はいませんし、マスターカタログにも載っていません。
http://ticamembers.org/showrep/2014/131130f.htm

そもそも、「MEDUSA NOZOMI NAKINI ARAZU」の生年月日は2013年8月2日であり、12月1日時点ではまだ生後4カ月になっておらず、エントリーできないのです。

これもまた、TICAの事情に詳しくない日本の裁判官なら騙せると高を括ったのでしょうか…。

やはり「一事が万事」。私には現アジアディレクターが自分の都合のいいように事実を捻じ曲げて虚偽報告を次々とボードに上げたのだろうと思わざるを得ないのです。

2015年7月15日 (水)

此の期に及んでなお(1)

不当な「出陳拒否」を巡る裁判は大きなヤマ場を迎えつつありますが、此の期に及んでどうしてすぐバレル噓を付くのか理解に苦しみます。

10日の第7回期日において、1年半前のディレクター選挙を巡り、被告側のアジアディレクターはこう主張したというのです。

「同じくディレクターに立候補した被告○○○○(※現ディレクターのこと)との間で選挙が行われ、結局、被告○○が大差で当選してディレクターの地位に就いたものである」(被告側準備書面(3))--。

しかし、みなさんご存知のように立候補したのは私と、2人のジャッジ(うち1人は立候補を辞退)であり、現アジアディレクターは立候補しませんでした。

立候補には立候補のための正式な手続きがあり、立候補料も支払う必要がありましたが、現アジアディレクターは何ひとつしていません。

にもかかわらず、東京地裁では堂々と自分が立候補して当選したと主張したのです。

TICAの事情に詳しくない日本の裁判官なら騙せると高を括ったのかどうかは分かりません。

「一事が万事」…。私にはこういう調子で現アジアディレクターが虚偽の報告を次々とボードに上げたのだろうと思わざるを得ません。

2015年7月14日 (火)

被害者と加害者と第三者(3)

団体や組織において「自浄能力」があるかどうか、「自浄作用」が働くかどうかと同じように、人においても「自浄能力」が備わっているかどうかが問われるべきではないでしょうか?

「自浄作用」が働けば、誰に指図されずとも、①謝罪し、②反省し、③購(あがな)い償(つぐな)う--ことでしょう。

それができないから、裁判を起こされるのであり、裁判を起こされてなお、そう思わないなら裁判所から「謝罪し、反省し、購い償う」ことを命じられることになるかもしれないのです。

それとも裁判所に命じられて謝罪し、反省し、購い償ったとしてもなお、「裁判所が命じたからそうしたまで…」と開き直り、自分たちは何ひとつ不法行為を犯してはいないと言い張り続けるつもりなのでしょうか…。

2015年7月13日 (月)

みなさまのご協力に感謝致します!

アクトとして今シーズン最初のショーを無事に終えることができました!

これもひとえに出陳者のみなさま、クラーク、ジャッジの方々のご支援、ご協力のお陰と感謝しております。

今回は2dayショーということもあり、両日とも遠方からお越し頂きましたみなさまには深くお礼申し上げます。

スムーズな猫出し、迅速・的確なクラークワーク、経験に裏打ちされた円滑な審査運びにより、とても助けられました。

とりわけ、直前、前日と怪我をされて体調が悪いなか、TICAのジャッジとしての誇りと使命感を持ち、無理をおして審査して頂きましたジャッジの方には心より感謝申し上げます。

出陳者のみなさまには新たな試みとしてロゼットとシールの代わりにトロフィーとリボンを用意させて頂きました。

Cup


気に入って頂けると幸いです。

本当にありがとうございました!!!

2015年7月12日 (日)

被害者と加害者と第三者(2)

「過去は過去だ。忘れて仲良くしよう」「近所の仲間だろう」…。

被害者にこう言っても理解を示さないと見るや否や飛び出す“恫喝” 「あまり過去を蒸し返すと、また同じことが起きるぞ」--。

これは映画「ルック・オブ・サイレンス」の「予告」に出てくる場面の一部です。

さすがに趣味の世界でこうした”恫喝”までは出て来ませんが、それでもある重要な点が抜け落ちているのは共通しています。

①謝罪する

②反省する

③購(あがな)い償う(つぐな)う

この3つなくして、「過去は過去だ。忘れて仲良くしよう」と言われても、「はい、そうですね…」とは行かないのではないでしょうか…。

2015年7月11日 (土)

被害者と加害者と第三者(1)

元少年Aによる「絶歌」出版を機に、加害者と被害者を巡る様々な問題が再びクローズアップされています。

もちろん、猫界においても、加害者と被害者を巡る問題は全くの他人事とは言えません。

被害者がいて、加害者がいて、そして被害者でも加害者でもない第三者がいるという構図は何も変わらないからです。

時折、ショー会場で私たちに対し、「過去は過去なんだから、忘れて仲良くしましょう」と声をかけてくる出陳者がいます。

「同じTICAアジアの仲間でしょう」と…。

そうした人たちは元少年Aに子供を殺害された被害者遺族にも同じことが言えるのでしょうか?

「過去は過去なんだから、忘れて仲良くしましょう」と…。

2015年7月10日 (金)

”社会的制裁”を加える権利と根拠は?

TICAのリジョンオフィスは、メンバーに対し"社会的制裁”を加える権利はあるのでしょうか?

ルールを確かめましたが、そのようなルールはありません。同時に、”社会的制裁”を加えてはならないというルールもありませんでした。

私が思うに、そもそもそうした事態は想定していなかったのではないでしょうか…。

しかし、アジアリジョンでは起こりました。

明確な理由と根拠を提示することなく、一方的に実名をネット上にさらしたのです。これは明らかに””社会的制裁”であり、”人権侵害”です。

TICA本部がメンバーに配布する「TICA TREND」に掲載するのとはわけが違うのです。インターネット上で公表のは全世界の人に公表するのと同じなのです。

メンバー資格が「一時停止」になった理由は一切、明かされていませんから、それだけが一人歩きするだけでなく、臆測や邪推が広がることでしょう。それは”社会的制裁”
以外の何者でもありません。

それにも増して不可解なのはその経緯です。

TICA本部が「通達」を出したのが事実なら、誰かがこの件を証拠を揃えた上で報告したと考えられます。

では、誰がいつどういう形で報告したのでしょうか? それは確かな証拠と証言に基づいたものなのでしょうか? それとも単に誰かが人づてに聞いたことを鵜呑みにして臆測や邪推を交えて報告しただけなのでしょうか?

実際に現場を目撃したのは誰なのか? その時の証拠写真やビデオは存在するのか否か?

TICA本部からの「通達」が事実だとして、そこに「リジョンサイトで実名を公表すること」という一文が入っていたのでしょうか? それともTICA本部は単にリジョンオフィスに知らせただけであるのに、リジョンオフィスが勝手に判断して実名を公表したのでしょうか?

私なら、公表の仕方についてはTICA本部とだけでなく、弁護士とも念入りに相談して、”人権侵害”に当たらない公表の仕方を模索します。

そして、仮に実名を公表することになった場合はその理由についてもメンバーにお知らせします。

それが「説明責任」を果たすことだと思うからです。

2015年7月 9日 (木)

「○○向上委員会」も捨てたもんじゃない?

「諸悪の根源、○○党」「大きな態度の○○総理」「エリート意識・利権好き」「本気で○○党を倒しましょう!」--。

こんな歌詞が並ぶアイドルグループがあるというのですから驚きです。

もちろん、芸能プロデューサーによるあざとい戦略と言えばそれまでですが、猫の世界でこんなことを書き、歌い、公言したならすぐさま”出演拒否”や「プロテスト」をされて干されることでしょう。

しかし、そうでないのはそこに「言論の自由」があり、「表現の自由」があるからに他なりません。

「制服向上委員会」なるグループのメンバーによると、「私たちは右とか左とか関係なく、自分たちの未来のために よくないと思うことを言っているだけ。いろんな意見があって当たり前だと思うし、どちらの意見も言える国家であってほしいのに、今それが脅かされていることに憤りを感じます」

アジアディレクターを含め、全てのTICAボードメンバーに伝えたいメッセージです。

2015年7月 8日 (水)

強い明確な意志と意図

明確かつ強い意志と意図を持って…と思わざるを得ません。

TICAアジアリジョンの公式サイトでの「お知らせ」に関してです。

名指しで実名をさらされた前クラブ代表の名前の漢字表記は訂正されましたが、アジアリジョンオフィスは依然として実名で晒し続けています。

「この人が一体、何をしたんですか?」「何があったんですか?」という問い合わせがアクトにも入って来ていますから、事情を良くつかめていないメンバーも多くいるのかもしれません。

しかし、この人が実際に何をしたのか? そしてそれを誰が目の前で目撃したのか? あるいは何かをしたという証拠はどこにあるのか?--などについては依然として詳らかには明らかになっていません。

新聞記事でもそうですが、実名をさらすからにはそこに正当な理由がなければなりません。そうでない場合は実名報道を控えるのが常識です。

なぜなら、不当な人権侵害につながるからです。

従って、アジアディレクターとリジョンオフィスはなぜ、実名をさらしたかの明確な根拠と理由を示す必要があります。

TICA本部が実名をさらすことを求めた(あるいは認めた)のであれば、TICA本部の責任も出てくることでしょう。

2015年7月 7日 (火)

「民意」を盾に取るのもいいですが…

ギリシャの国民投票はEUが求めていた「緊縮案」に6割が反対しました。

チプラス政権は今後、「民意」を盾に新たな強硬姿勢を打ち出すものとみられます。

一方のEUとしても、ギリシャ側が公正な国民投票を実施したわけですから、「民意を尊重する」必要に迫られることは間違いありません。

猫界で言えば、さしずめ「クラブ員意」といったところですが、猫界でたちが悪いのは「クラブ員意」が公正かつ適法な手続きによって得られたものではない点にあります。

本人の承諾なく、勝手に「プロテスト」の共同申立人名簿(89人)に名前を入れておいて、「TICAアジアメンバーの総意だ!」などと言われても、それは何の効力もないばかりか、”私文書偽造”の疑いまであるわけですから、別の意味で大問題と言えます。

ちなみに一部のメンバーは「既に過去の事…」と誤解しているようですが、この「プロテスト」の審議は決着したわけではなく、一時的に”棚上げ”されているに過ぎません。

つまり、今なお90人のTICAアジアメンバーがアクトの公認取り消しと私たちのメンバー資格剥奪を訴え続けているのです。

「民意」を盾に取りたい気持ちは分からないでもありませんが、本人の承諾を得ないで名前だけ勝手に拝借するような違法行為に手を染めてはなりません。

違法行為はTICAのルール違反であるだけでなく、日本の法律に則り裁判で裁かれることを肝に銘じるべきでしょう。

2015年7月 6日 (月)

裁判、第7回期日は7月10日(金)

「出陳拒否」を巡る裁判の第7回期日は7月10日(金)午前11時から開かれるそうです。

裁判は現在、論点整理のための「弁論準備手続」に入っているわけですが、次回が論点整理上の大きな”ヤマ場”となるようです。

次回期日で論点整理上の主張と証拠が全て出揃えば、一挙に次の段階へと進むことになりそうです。

原告側の主張は訴状と一切変わっていませんから、被告側がどう出てくるかに注目が集まりそうです。

2015年7月 5日 (日)

「やり過ぎ」?か「当然の事」?か

おそらく誰が何をしたとしても、「やり過ぎだ!」と憤慨する人と、「当然の事をしたまで…」と理解を示す人に分かれるのではないでしょうか?

もちろん、どちらかが多数派で、どちらかが少数派ということはあり得るでしょうが…。

例えば、「名指し」。

国際社会でも、ある国を「名指し」で批判するかしないかは、それ自体が大きなニュースとなることからも、「名指し」するかしないかは重要な判断であることがお分かりかと思います。

TICAアジアリジョンの公式サイトのトップページの「お知らせ」に、あるメンバーの実名が掲載されました。

なぜ、実名を晒したのでしょうか?

どういう基準で実名を晒すことにしたのか? どういう議論を経て実名を晒すことにしたのか?

「『TICA事務局からの通達』に実名があったから…」という理屈も聞こえて来そうです。

しかし、もしそうであるなら、通達の原文を掲載し、その上で日本語訳を添えるのが筋であり、その場合でも実名部分を伏せる選択肢があっても良かったのではないでしょうか?

何もTICAアジアリジョンのトップページで実名を晒さなくても、「前クラブ代表」で済んだのではないでしょうか?

しかも、その人の名前の漢字表記を間違っているのですから、もはや言葉がありません。

2015年7月 4日 (土)

”嫌気”が差すのも当たり前?

「嫌気が差した」と思う人は多いかもしれませんが、今に始まったことではないのではないでしょうか。

いや、今の状況の方がましかもしれません。

少なくとも「正義」や「理念」や「良識」があるか否かを主な争点とし、TICAアジアを健全な組織として再生するためにどうすればいいかを真剣に考えているわけですから…。

しかし、仮に組織が再生しても、そこで活動するメンバーが変な先入観を持ち、それを周囲に押し付け、巻き込むようでは「嫌気が差す」ことはなくならないでしょう。

ライバル心か嫉妬心か分かりませんが、「あの出陳者はルール違反をしている」と勝手に妄想を抱いてショー会場内外でこっそり付け回し、「あの人を『プロテスト』するから一緒にどう?」なんて執拗に迫られたら、ショーを楽しめるはずなどありません。

もちろん、何か重大なルール違反が本当にあって、証拠もあるというならまだしも、本人の妄想と邪推に過ぎないわけですから、証拠など出て来るはずがありません。

そんな”秘密警察”まがいのメンバーがいる限り、真の意味でまともな組織に生まれ変われないのは確実です。

本当にそこに違反があれば、妄想や邪推を抱かなくても、こそこそ付け回さなくても、明白な証拠は容易に手に入るのです。

ショー会場で”秘密警察”ごっこや”探偵”ごっこもしたいというジョークなら、話はまた別ですが…。

2015年7月 3日 (金)

”贔屓客”がいる店、いない店

”贔屓客”がいるお店は繁盛し、”贔屓客”がいないお店は衰退する--。

こう思う人が多いかもしれませんが、果たしてどうでしょうか?

「贔屓」はもともと、「鼻息を荒くして力んだり力を込めたりする」の意味で、転じて「特定の人を助けたり目をかけたりする」という意味になりました。

しかし、それが度を過ぎ、やり過ぎて”贔屓客”だけのために力添えし、”贔屓客”もそれに呼応してガヤガヤ、ワーワー大騒ぎするようでは、一般の客がいなくなってもおかしくありません。

趣味の集まりも同じではないでしょうか…。

先週末のショーは”贔屓客”によってガヤガヤ、ワーワー大騒ぎする光景は見られず、ゆったりのんびり静かに時間が過ぎましたが、同時に充実した雰囲気を感じることが出来ました。

”贔屓客”がいないからと言って必ずしも衰退するものではなく、逆に”贔屓客”が大騒ぎするようなお店こそ、一般客が遠のき衰退していくのではないかと思いました。

2015年7月 2日 (木)

どこにでもいる”懲りない”人

どこの世界にも一人や二人はいるんだなぁ~と、つくづく思いました。

いわゆる”懲りない”人たちです。

ある自民党議員の言論弾圧発言…。党から厳重注意処分を受けたにもかかわらず、再び「懲らしめなければならない」「広告は自粛すべきだ」と記者団に答え、またまた党から厳重注意処分を受けました。

小さな趣味の世界も同じです。

”懲りない”人は何度でも同じ”虐め”を繰り返しますし、たとえそれをやめたとしても手を替え品を替え、違うルール違反を犯します。

野党から相次いでいる「おごりがあるとしか思えない」という指摘は、趣味の世界も共通するでしょう。

なにしろ小さな趣味の世界とはいえ、”権力の座”に就いている人の言動なのですから…。

2015年7月 1日 (水)

どのクラブのショーでもTICAのショー

「あなたはどっちの側?」--。

残念ですが、TICAアジアでは未だにこうした悩みを抱える出陳者が多いようです。

いや、出陳者だけではないでしょう。「アクトのショーだけは受けない」というジャッジも今なお多いわけですから、そうした傾向が出陳者にも暗い影を落としている側面は否めません。

しかし一方で、アクトの審査を引き受けるジャッジが増えていることもまた事実です。

もちろん、誤解のないように強調しておきますが、アクトの審査を引き受けることにしたからといって必ずしも”アクト派”になったわけでも、アクトの応援に回ったわけでもありません。

どのクラブのショーであってもTICAのショーであることに変わらず、TICAのジャッジとして公平、公正に猫を審査するという原点に立ち返り、TICA のジャッジとしての中立的な立場を貫いているだけに過ぎません。

ですから出陳者も、「どのクラブのショー」ではなく、「あくまでTICAのショー」であるという認識を持つことが大切なのではないでしょうか…。

それがTICAアジアの健全化に向けた大きな推進力になると思っています。

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