他人事と思えない東芝の”事件”
東芝の「不適切会計」問題に接するたびに、他人事ではない気がしてなりません。
と言っても、「会計」問題そのものではありません。どの団体・組織でも陥りやすい”構造的”な問題についてです。
第一に、「自浄作用」が働かなかったこと。
今回の問題は、証券取引等監視委員会(SESC)に「会計処理に不正行為があった」という内部通報で発覚しました。長年にわたって多くの社員が見て見ぬふりをしてきたというわけです。
第二に、歴代社長が今なお”我が物顔”で社内を闊歩する旧態依然の体質、それに伴う「無責任」の経営風土が問題の土壌となりました。
「旧態依然」なやり方、すぐに責任逃れする「無責任」な体質も、どこでもありがちな光景と言えます。
第三に、「財界総理」と言われる経団連会長など、ポストや栄誉に固執する歴代経営トップがいたことも東芝全体を蝕んだと指摘されています。
単なる名誉欲でポストを欲しがる人物も、趣味の世界も同じでしょう。
東芝出身で東京証券取引所の社長を勤めた人物に対しては「市場の番人として最もふさわしくない人物だった」との批判がいまだに聞こえてくるぐらいです。
国も会社も団体も組織も、「自浄作用」が働かなければ”劣化”し、崩壊していきます。
私には東芝の問題が単なる企業不祥事のひとつとはどうしても思えないのです。