最後の最後に起きた大問題(7)
批判を恐れずに言えば、まだ「Cat Fancier」とは何かが良く分からず、動物愛護法も充実していない国・地域ではあり得たのかもしれません。
いやもしかすると、そうした国・地域でさえもあり得ないことが、先進国の日本のキャットショーで起きたという現実を、私たちは厳粛に受け止めなければならないでしょう。
なぜなら、真の「Cat Fancier」であるなら、ショーの歴史が長かろうが浅かろうが、決してあってはならないことだったからです。
結局、こういうことなのではないでしょうか…。
こうした猫の扱いを平然と出来るということは、家でも日常的にそれに近いことをしているということ。
こうした猫の扱いをする人を見ても、何とも思わず、逆に手伝ったり、協力したりするということは、やはりその人も日常的に家でそれに近いことをしているということなのだと思います。
もちろん、気付いていたけれど、注意すると仕返しが怖くて何も言えなかったという出陳者やクラブ員がいたかもしれませんが、ショー会場でそれらの人々の言動や様子を見る限り、そこに”恐れ”や”羞恥心”のようなものは感じれませんでした。
こうした悲惨で劣悪なショーが、アジアディレクターがオーナーのクラブで平然と行われるところに、TICAアジアが抱える根深い“病巣”があるように思えてなりません。