余りに遅きに失した”方針転換”
なぜ、あのときに出陳拒否を撤回せず、今になって受け入れに方針転換するのか--。多くのメンバーがそう思っているのではないでしょうか。
昨年4月23日に時間を戻したいと思います。
この日、東京地裁で不当な出陳拒否に対する仮処分命令の申し立てに関する「審尋」が行われました。
「審尋」は申し立てた側と申し立てられた側がそれぞれの意見を主張する場で、裁判官はアジアディレクターを務めるクラブオーナー側に出陳受けれを促しましたが、オーナー側は頑として聞き入れませんでした。
そこで、出陳拒否された側はいったん、仮処分命令申し立てを取り下げ、今回の本格的な裁判になったというわけです。
あのとき、オクラブオーナー側が、裁判官の促した通りに出陳を受け入れていれば、損害賠償請求の裁判が起きることはなかったでしょうし、このクラブに続いて出陳拒否するクラブも出てこなかったかもしれません。
TICAに対する出陳拒否を巡る「プロテスト」も、こんなに数多くはならなかったはずです。
今振り返れば、あのときにクラブオーナー側が裁判官の言葉に応じず突っぱねたことが、”傷口”を大きく広げ、TICAそしてTICAアジアに大きな混乱をもたらしたと言えます。
そればかりか、判決など出ていないのに「勝った」「勝った」と喧伝し、それをTICA本部に報告したばかりに議事録の虚偽記載につながったことを思えばなおさらです。
もちろん、今回の出陳受け入れが本当の意味での事態収拾につながるのかどうかはまだ分かりませんが、そうであるなら余りに遅きに失したと言わざるを得ません。