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2015年1月

2015年1月31日 (土)

被告側「証拠」の不可解な出来事

被告側はなぜ、「証拠」として提出しないのでしょうか--。あれだけ出陳拒否の根拠として声高に主張してきたのに…。

今回の裁判を巡る被告側の対応の不可思議はいくつもありますが、そのひとつに「証拠提出」の不可解な出来事があります。

昨年4月23日の「審尋」の際、アジアディレクターを務めるクラブオーナー側はアクトのブログのプリントアウトを何十枚も裁判所に証拠として提出(結果として被告側資料扱いとなる)しましたが、今回は提出してきていないのです。

切り札の証拠として温存しているのでしょうか、あるいは分が悪いと思い直したのでしょうか…。

今回の裁判でも、出陳拒否に対し、アジアディレクターら被告側が最大の根拠としたのは、アクトのブログでした。

そうであるなら、アクトのブログを「証拠」として提出するのが一番手っ取り早いと思うのですが、裁判戦略上の深謀遠慮があるのか、証拠提出していないのです。

しかし、そもそもおかしな話です。

アクトのブログに公序良俗に反したり、名誉棄損に値する誹謗中傷が書いてあったのなら、ブログ運営会社に通報すればいいわけですし、警察に被害届を出す手もあったわけです。

仮に、「TICAが全て」であり、「TICAのルールに従うことが全て」であるなら、アクトのブログについて「プロテスト」するのが常識的な対応ですが、それもしませんでした。

それとも今後、アクトのブログに代わる出陳拒否の新たな理由と根拠を持ち出してくるつもりなのでしょうか…。

2015年1月30日 (金)

余りに遅きに失した”方針転換”

なぜ、あのときに出陳拒否を撤回せず、今になって受け入れに方針転換するのか--。多くのメンバーがそう思っているのではないでしょうか。

昨年4月23日に時間を戻したいと思います。

この日、東京地裁で不当な出陳拒否に対する仮処分命令の申し立てに関する「審尋」が行われました。

「審尋」は申し立てた側と申し立てられた側がそれぞれの意見を主張する場で、裁判官はアジアディレクターを務めるクラブオーナー側に出陳受けれを促しましたが、オーナー側は頑として聞き入れませんでした。

そこで、出陳拒否された側はいったん、仮処分命令申し立てを取り下げ、今回の本格的な裁判になったというわけです。

あのとき、オクラブオーナー側が、裁判官の促した通りに出陳を受け入れていれば、損害賠償請求の裁判が起きることはなかったでしょうし、このクラブに続いて出陳拒否するクラブも出てこなかったかもしれません。

TICAに対する出陳拒否を巡る「プロテスト」も、こんなに数多くはならなかったはずです。

今振り返れば、あのときにクラブオーナー側が裁判官の言葉に応じず突っぱねたことが、”傷口”を大きく広げ、TICAそしてTICAアジアに大きな混乱をもたらしたと言えます。

そればかりか、判決など出ていないのに「勝った」「勝った」と喧伝し、それをTICA本部に報告したばかりに議事録の虚偽記載につながったことを思えばなおさらです。

もちろん、今回の出陳受け入れが本当の意味での事態収拾につながるのかどうかはまだ分かりませんが、そうであるなら余りに遅きに失したと言わざるを得ません。

2015年1月29日 (木)

「事の重大性」を知らしめた効果

不当にエントリーを拒否された出陳者が「プロテスト」もせず、裁判も起こさずに、ただ泣き寝入りしていたらどうなっていたでしょうか…。

アジアディレクターら被告側の”要求”を飲まない限り、半永久的に出陳拒否は続いていたことでしょう。

「プロテスト」をしなければ、TICAアジアにおいて不当な出陳拒否が平然と行われていたことをTICA本部とボードが知ることもなかったわけです。

その意味では「プロテスト」した結果がどうであれ、TICA本部に知らしめる役割を担った点は大きいと言えるのではないでしょうか。

裁判も同じです。結果は出ていませんが、これについても、判決とは別に「事の重大性」をTICA本部とボードに知らしめる効果は大きかったと言えるでしょう。

組織内部の自浄作用が働かず、裁判という”外圧”によってしか動かないとしたら残念なことですが、それでもTICAアジアの正常化に向けた兆しが見え始めたことはいいことなのだと思いたい気持ちです。

2015年1月28日 (水)

本人の意思か?代理人のアドバイスか?

裁判という側面から考えるなら、アジアディレクターをはじめとする被告側4人が代理人を立てた点を抜きに、今回の方針転換は考えられないのではないでしょうか…。

代理人を立てた以上、代理人のアドバイスや指示を無視して、被告側が勝手に判断し、動くとは考えにくいからです。

ですから、今回の出陳拒否の方針転換は、被告側代理人のアドバイスに基づくものか、仮にそうではなくアジアディレクターが自身の考えで方針転換したものだとしても、代理人も了解した上でのことと考えられます。

弁護士は依頼人の最大利益を求めて動きますから、出陳拒否の方針転換が被告側に何らかの”利益”をもたらすと考えているということになります。

もちろん、そこには単純なプラスの”利益”だけでなく、”損失”や”リスク”を減らすことによる実質的な”利益”も含まれますから、そのどちらなのかは分かりません。

ただ、ある視点、ある局面では不利になるように見えても、総合的な判断としてはプラスに働くと見て、出陳を受け入れることにしたと考えるべきなのでしょう。

2015年1月27日 (火)

すればいいのになぜしない?

アジアディレクターらが裁判で主張するところの、「TICAが全て」「TICAのルールが全て」で、TICAにおいて「プロテスト」の手続きがしっかり整っているとするなら、ひとつの疑問が湧きます。

アクトのブログに不満があるなら、なぜTICAのルールに則って「プロテスト」の手続きを踏まず、唐突に出陳拒否という強硬手段に出たのかということです。

それは、リジョンセクレタリーも同じです。

確かに、セクレタリーは「プロテスト」を申し立てましたが、そうであるならなおさらのこと、「プロテスト」の手続きに則って粛々と進めればいいだけなのに、なぜか、アジアディレクターを務めるクラブオーナー同様、出陳拒否という強硬策を取りました。

もうひとつの別のクラブもそうです。TICAの異議申し立て手続きを使わずに、敢えて出陳拒否という”暴挙”に出たのでした。

3つのクラブとも、「ショールール」に基づいて…と主張するのでしょうが、余りに恣意的な拡大解釈であったり、誤訳に基づく適用であったりしたことは何度も指摘してきた通りです。

ショールールの23.6を適用するなら、その前に適用対象とする問題を「プロテスト」して明らかにするのが、TICAのルールにおける「デュー・プロセス(適正手続き)」であるはずです。

私がボードメンバーのひとりであったなら、「まずはディレクターに解決を要請する。それで解決しないなら『プロテスト』をする。その結果をもって、23.6を適用して出陳拒否をするのが常識あるTICAメンバーの良識ある手順である」と、主張したことでしょう。

「TICAのルールに従って…」と言いながら、実際にはそうしていないところに、この3つのクラブの問題の本質があるように思えてなりません。

2015年1月26日 (月)

みなさまのご協力に感謝致します!!

昨日は、多くの出陳者のみなさまの参加とともに、ジャッジ、クラークの方々のご協力を得て、今年初めてのアクトのショーを無事に開催することができました。

ありがとうございました!!

みなさんご存知のような状況ですから、アクトがショーを開くに当たっては多くのハードルがありますが、昨日は新たなジャッジさんにも加わって頂くことができました。

ショーを開くにはまずジャッジさんがいなければ計画も立てられません。

その意味で、アクトのショーに当初から参加して頂いているジャッジさん、さらには遠く九州からご参加頂いたジャッジさんも含めて、感謝したいと思います。

そうしたジャッジさんの熱意も通じてか、エントリーもショーを開くごとに多くなりつつあり、感謝に堪えません。

このあと2月、3月、4月と、ショーを開く予定にしていますので、今回以上のショーにしていきたいと思っています。

まだまだ数多くの至らぬ点も多いかと思いますが、順次、改善して行きたいと思っていますので、お気付きの点がありましたら、遠慮なく指摘して頂ければと思います。

みなさんのご要望やご指摘を反映していくことで、日本におけるTICAのショーがさらにより良いものになっていくことと信じています。

アクトのショーに参加する出陳者がさらに増え、アクトで審査するジャッジさんの輪がさらに広がることを願ってやみません。

2015年1月25日 (日)

裁判の早期終結に向けた”メッセージ”?

アジアディレクターがクラブオーナーの出陳拒否を巡る方針転換は、裁判を早期に終結するという”サイン”や”メッセージ”なのでしょうか…。

と言うのも、このクラブオーナーは昨年10月4~5日の「アジアリジョンショー」での出陳拒否を巡り、出陳者側代理人とのやり取りの中で以下のようなことを書いた文書(昨年9月28日付)を送っていたからです。

「○○氏(拒否された出陳者の名前)の猫の出陳は拒否を致します。この裁判が終わるまでこの方針は貫きます」

この発言が本心だったなら、出陳拒否をしないということで、裁判を終える意思を示したと考えてもあながち間違いとは言えないはずです。

このクラブのショーは2月1日以外に、まだ今シーズンは3~4月にかけて4回もありますから、出陳を認め続けるのか、それとも再び出陳拒否に転じるのか注目したいと思います。

2015年1月24日 (土)

TICAのルールを守ることを断念?

出陳拒否の方針を転換することで、仮にTICAのボードに対して”解決の意思”を示せても、日本における裁判で必ずしもプラスに働くかどうか分かりません。

なぜなら、アジアディレクターを務めるクラブオーナーは昨年4月23日の「審尋」において、「出陳拒否を撤回することもありません。もし撤回をしたらTICAのルールを守ることができなくなります」と書いた文書を裁判所に提出しているからです。

この理屈から言うなら、出陳拒否の方針転換は「TICAのルールを守る」ことを”放棄”したこととも受け取れます。

アジアディレクターの「審尋」が本心なら、TICAのボードの一員としてなぜ「TICAのルールを守ることができなくなる」ような方針転換をしたのか…。

素人考えかもしれませんが、この理由を合理的な根拠とともに明らかにできなければ、少なくとも裁判でプラスになるとは思えません。

2015年1月23日 (金)

資質を問う”リトマス試験紙”の役割

エントリーを不当に拒否された出陳者による「プロテスト」はいくつも出されましたが、今回の冬のボードに向けて提出された「プロテスト」の中に、これまでとはちょっと違う経緯が盛り込まれた「プロテスト」が含まれています。

それは、アジアリジョンセクレタリーが代表を務めるクラブが昨年11月8~9日に開いたショーに関する「プロテスト」です。

このケースで出陳者は、エントリーを拒否されるとすぐにアジアディレクターに報告し、解決を要請しました。

つまり、この「プロテスト」に関しては、問題解決を要請した出陳者と、要請を受けたアジアディレクターのやり取りが”証拠”として提出されているのです。

この要請は、ディレクターの資質を問うひとつの”リトマス試験紙”の役割も担っていました。

アジアディレクターはクラブオーナーとして自ら出陳拒否の先頭に立っているわけですが、それはあくまでクラブオーナーとしての立場…。

しかし、それとは別にアジアディレクター(TICAボードメンバーの一員)としての立場があり、セクレタリーが代表を務めるクラブで出陳拒否が起きたわけですから、リジョンディレクターとして中立公平な立場で解決に努める義務がありました。

ところが、アジアディレクターはそれを果たしませんでした。

まさに解決能力がないことを白日の下にさらしたやり取りだったというわけです。

もしこれを読んだら、TICAの新会長や他のディレクターはどう思うか…。容易に想像は付きます。

リジョンディレクターとして、他のクラブで起きた出陳拒否の問題を中立公正に裁くには、まずは自分がオーナーのクラブで襟を正さねばならないと思ったかどうか…。

もちろん、人の心の内まで分かるはずはありませんが、TICAのボードが総意として「まずは自分がオーナーのクラブで襟を正すべき…」と、考えたとしても不思議ではありませんし、そう望むのが健全なボードだと私は思います。

2015年1月22日 (木)

人生いろいろ、理由もいろいろ

人は得てして、ひとつの理由のせいにする傾向がありますが、何事においても理由はひとつではありません。

アブセントするのだって、ひとつやふたつどころか、10ぐらいある様々な理由を総合的に勘案して最終的にアブセントするかどうかを決めるわけです。

傍から見るほど、そんなに単純ではありません。

アジアディレクターを務めるオーナークラブが出陳拒否の方針を転換した理由も、ひとつやふたつではないと考えるのが妥当でしょう。

そのうちのひとつとして考えられるのが、23~25日に米国で開催予定のTICAボードミーティングです。

今回のボードに向けては、このクラブが実質的に主催した昨年10月4-5日のアジアリジョンショーにおける出陳拒否と、リジョンセクレタリーが代表を務めるクラブの昨年11月8~9日のショーにおける出陳拒否を巡る「プロテスト」が提出されています。

実際に審議入りするかは不明ですが、いつまでたっても解決しないばかりか、裁判沙汰になり、TICAのボードにまでその影響が及ぼうとしている事態を、TICAの新会長、そして他のディレクターがどう見るか…。容易に想像できるのではないでしょうか。

しかも、そのうちのひとつは「リジョンショー」です。TICAの30年以上の歴史の中で、「リジョンショー」を舞台に出陳拒否が起きたのは初めてではないでしょうか…。

TICAのボードが「リジョンショー」における出陳拒否を重く見てもおかしくありません。

地位や立場が上がれば上がるほど、結果責任を問われます。

事態を収拾できない最終的な責任はトップが負うというのが、万国共通でしょう。

TICAアジアに関しては、もちろんアジアディレクターがトップであり、全ての結果責任を負わねばなりません。

一般的な国際企業であれば、自ら進んで辞任しているか、解任されている事態です。

そう考えれば、アジアディレクターが冬のボードを目前に控え、何らかの解決の兆しをボードに示したいと考えても不思議ではありません。

2015年1月21日 (水)

速報! 出陳拒否されず!!

アジアディレクターを務めるオーナークラブの2月1日のショーで、これまで拒否され続けてきた出陳者のエントリーが受け付けられたことが明らかになりました。

エントリークラークから「添付ファイルの内容で受け付けましたので、内容をご確認ください」とのメールが届いたそうです。

それにしても不思議なのは突然の方針転換の「理由」です。

何が起きたのか…。何が起きているのか…。

この出陳者のエントリーを拒否したクラブは3つありました。

アジアディレクターがオーナークラブの方針転換で、残る2つのクラブも出陳拒否を改めるのでしょうか…。

それとも出陳拒否を続けるのでしょうか…。

2015年1月20日 (火)

驚き呆れ果てた被告側の「主張」(6)

「本来、自ら主催するキャットショーにおいて、誰の猫を出陳させ、誰の猫を出陳させないかについては、主催者が任意に決定できる」--。

「そもそも自ら主催するキャットショーについて、誰の猫を出陳させるか否かは被告らの自由である」--。

仮に、被告側がしたというこれらの主張が正しかったとすると、どんなことが起こるか想像して見てください。

例えば、Xさんからエントリーが入ってきたとしましょう。

ショーマネで自分の猫も出陳するAさんは「この猫が出てくるとうちの猫が負けてしまうので拒否しましょう」と言うかもしれません。

しかし、クラブ員のBさんは「うちの猫には影響はないし、それにあそこのブリーダーさんにはお世話になっているから、受け付けましょう」と主張するかもしれません。

一方、クラブ員のCさんは「あのオーナーからはこの前、意地悪されたから拒否してほしい」と訴えるかもしれません。

とは言え、エントリークラークのDさんは「キャットカウントが上がれば、みんなに恩恵があるのだし、受け付けましょう」というかも…。

主催者が任意に決定できるなら、1頭1頭についてこんな議論をせざるを得なくなるのではないでしょうか…。

もちろん、どこかのクラブのように、オーナーの”鶴の一声”でクラブ員全員が従うのなら大した問題ではないかもしれません。

しかし、もしそうなら、主張も変えるべきでしょう。

「本来、自ら主催するキャットショーにおいて、誰の猫を出陳させ、誰の猫を出陳させないかについては、クラブオーナーが任意に決定できる」--。

「そもそも自ら主催するキャットショーについて、誰の猫を出陳させるか否かはクラブオーナーの自由である」--。

2015年1月19日 (月)

驚き呆れ果てた被告側の「主張」(5)

被告側が、「『TICAが定めた内規』に従うことを求められているのみである」と主張したことは1月13日のブログで触れた通りです。

しかし、そう言う当の被告側は「TICAが定めた内規」に従っているのでしょうか?

そもそもの出発点は、不当に出陳拒否してきたことでした。

なぜ、「不当に」なのかと言えば、被告側がTICAのルールを捏造したことが発端でした。

被告側が2月1~2日に開いたショーフライヤーには、「公の場でTICAを批判した方およびその関係者のエントリーはお断りいたします。(ShowRule23.6.5)」」と書かれていました。

ルールの捏造、虚偽記載は明らかに、「TICAが定めた内規」に背いた言動と言えます。

「ショールール23.6.4を適用した」という”理屈”を持ち出してきたこともありましたが、「TICAが定めた内規(ルール)」の原文を良く読まず、誤訳に基づいて勝手に解釈しただけのことでした。

「ショールール23.6.5」についても同様に、「TICAが定めた内規(ルール)」の原文を良く読まず、誤解を生む和訳に基づいて間違って解釈しているだけでした。

こうした数々の言動のどこに、「『TICAが定めた内規』に従うことを求められているのみである」という資格があるといえるのでしょうか?

仮に、その主張が正しいとしても、被告側にそれを言う資格はありません。

そもそも、被告側が「TICAが定めた内規(ルール)」に従っていれば、不当な出陳拒否などすることは決してなかったのですから…。

2015年1月18日 (日)

栄える人、敗れる人…

どんな組織や人が栄え、どんな組織や人が破滅していくのか--。

そんなに難しい”問い”ではありません。

TICAに関して言うなら、「ルール」や「スタンダード」を正しく理解することが「栄える道」であり、正しく理解せず捻じ曲げたり捏造したりすることが「破滅への道」であることは疑う余地がないでしょう。

しかし、一方でアジアリジョンを束ねるセクレタリーは、、「ルール」や「スタンダード」を正しく理解することを呼びかける私たちを「根拠や理由、ルール等に縛られた哀れな人たち」と言っていますから、残念な限りです。

スッタニパータ経典でもこんな言葉があります。

「理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる」- -。

TICAアジアにおいて、「理法」を愛し、アクトのサイトを通じて知識を深めるメンバーが増えることがTICAの発展につながると思っています。

2015年1月17日 (土)

「愚」であると考えれば、すなわち”賢者”

スッタニパータ経典に「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること--これがこよなき幸せである」という言葉があります。

しかし、そこは原始仏典のひとつだけあって、なかなか難しい問題を孕んでいます。

とういのも、この経典を最後まで読めば分かりますが、仏陀によると「悟りを開いていない人」は凡人であり、すなわち”愚者”だからです。

つまり、「賢者」に親しもうにも、親しむべき人など、ほんとんどいないことになっているからです。

ですから、もうひとつの原始仏典である「ダンマパダ」をひもとく必要があるのです。

そこにはこう書いてあります。

「もし愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、『愚者』だと言われる」

「愚かな者は生涯、賢者につかえても、真理を知ることが無い」

西洋哲学で言うところの「無知の知」と似た考え方と言えるかと思います。

「賢者に親しん」だり、「尊敬すべき人々を尊敬」したりするという他人任せではなく、自らが愚かであり、無知であることを知るところからスタートし、自らを尊敬できるようになる努力を積み重ねることこそが、”こよなき幸せである”と、私は思うのです。

2015年1月16日 (金)

驚き呆れ果てた被告側の「主張」(4)

誤解を生みやすい表現を逆手に取っての戦略でしょうか…。あるいは誤解を生む訳だと分かった上で意図的に悪意ある解釈をしたのでしょうか…。

TICAのショールール23.6..4の日本語訳に致命的な誤訳があったことは指摘した通りですが、新たに23.6.5について誤解を生む和訳が発覚しました。

不当な「出陳拒否」で訴えられた被告側は間違った日本語訳に基づいて「出陳拒否」したことが、裁判を通じて明らかになったのです。

ショールールの日本語訳によると、23.6.5は「出陳行為前や出陳者自身が協会の権益、猫の幸福、もしくはクラブやショー自体の繁栄を妨害する」となっています。

原文はどうなっているかと言うと、「Prior conduct of the entry and/or exhibitor is detrimental to the best interest of the association or the welfare of cats or the club and/or its show」です。

このブログで英文法を説明しなければならないこと自体、情けない話ですが、誤解を生む和訳があり、それを分からずに適用して、不当な「出陳拒否」を強行したアジアディレクターらがいるのですから、仕方ありません。

まず、主語は何かというと、「Prior conduct」です。「Prior」は「以前の」「過去の」という意味で、具体的な用例としては「prior arrest(逮捕歴)」などがあります。

この後に続く「of the entry and/or exhibitor」は、「Prior conduct」にかかる修飾句で、それに対する述語が「is detrimental(有害な、弊害をもたらす)」です。

「to the best interest of the association or the welfare of cats or the club and/or its show」は述語の「detrimental」にかかる修飾句となります。

要するに、この規定は過去においての言動を対象にしているわけです。

しかし、日本語訳はあたかも2つの文章から構成されているように訳しています。

それは「出陳行為前」と「出陳者自身が協会の権益、猫の幸福、もしくはクラブやショー自体の繁栄を妨害する」というものです。

アジアディレクターをはじめとする被告側は23.6.5の和訳に基づいて解釈して、「出陳拒否」したのです。

その証拠に、被告側は裁判において、原告が繁殖した猫を持つオーナーの猫を出陳拒否した理由について以下のように主張したそうです。

このオーナーの猫の出陳を認めると、「関係者である原告○○や訴外○○(私)がキャットショーに来場し、クレームを述べるなどしてショーの運営に支障が生ずる可能性が認められたことは明らかで、やはり本件ショールール23.6.5に該当するものである」

私たちが「キャットショーに来場し…」というのは被告側の将来の出来事に対する臆測に過ぎず、「クレームを述べるなどして…」も同様の臆測に過ぎず、「支障が生ずる可能性」も臆測に過ぎません。

もし、こんな臆測だらけのことで容易に「出陳拒否」できるなら、ルールも何も必要ありません。

「この人は暴力を振るいそうだ」「あの人はショー会場で出陳者の財布を盗みそうだ」「あの人が来るとショーの運営に支障が生ずる可能性がありそうだ」--。

臆測や邪推を巡らせれば嫌いな人からの出陳や、成績のいい猫を持つ出陳者を恣意的にいくらでも拒否できてしまいます。

ショールールの勉強をしているメンバーも多いと思いますので、ここではっきり述べておきますが、23.6.5は過去にまつわる出来事について規定したルールです。

将来についての可能性や臆測・邪推についてまで規定したものでは決してありません。

2015年1月15日 (木)

驚き呆れ果てた被告側の「主張」(3)

昨日触れた、あきれた”暴論”についてですが、アジアディレクターをはじめとする被告側はこんな言い方もしていたそうです。

「そもそも自ら主催するキャットショーについて、誰の猫を出陳させるか否かは被告らの自由である」--。

被告側の4人とは、アジアディレクターを務めるクラブオーナー、クラブ代表者、エントリークラーク2人の合計4人ですから、このクラブにおいては4人全員がこうした認識で、TICA公認と称して、ショーを主催してきたと言えそうです。

私は改めて、このクラブ以外のクラブ代表者、ジャッジ、ショーマネ、エントリークラークにお尋ねしたいと思います。

誰の猫を出陳させるか否かは、被告側が主張するように主催者の自由なのでしょうか?

みなさんの中に、こうした考えでこれまでショーを開催してきた方はいらっしゃるでしょうか?

被告側がどれだけTICAの精神を踏みにじり、TICAのショーにおける公平性、公正性を歪ませているのかが、この主張から分かるのではないでしょうか…。

2015年1月14日 (水)

驚き呆れ果てた被告側の「主張」(2)

あきれた”暴論”と言わざるを得ません…。

「本来、自ら主催するキャットショーにおいて、誰の猫を出陳させ、誰の猫を出陳させないかについては、主催者が任意に決定できる」--。

不当な出陳拒否を巡る裁判において、アジアディレクターをはじめとする被告側がこんな主張をしたそうです。

TICAのルールのどこにそんなことが書いてあるというのでしょうか?

そんなことがまかり通るなら、「この人の猫は強いから出陳を拒否しよう」「あの人の猫は成績が良くないから申し込みを受け付けよう」「あの人のことは大嫌いだから拒否しよう」ということが平然と行われるようになってしまいます。

TICAの精神、ルール無視もいいところです。

なぜなら、ショーは公平、公正に行われることが大前提であり、ショールール23.6も、ショーの公平性と公正性を歪ませない最低限の拒否理由を挙げているに過ぎません。

にもかかわらず、TICAのボードメンバーであるアジアディレクター自ら、ショーの公平性、公正性を全面否定するような主張を裁判所においてするわけですから、もはや言葉もありません。

TICAアジアのトップがTICAの精神を踏みにじるような主張をする人物であることは極めて残念でなりません。

2015年1月13日 (火)

驚き呆れ果てた被告側の「主張」(1)

不当な出陳拒否を巡る裁判において、原告側は「TICA公認のショーである限り、主催クラブ及びショーコミッティーは適法にショーを運営することを求められている」と主張しました。

しかし、これに対するアジアディレクターら被告側の反論は唖然とするものだったようです。

被告側の主張は以下のようだったからです。

「『適法』を文字通り法令に従うことを意味するのであれば否認する」

「キャットショーの運営に関する『法令』は存在せず、ただ『TICAが定めた内規』に従うことを求められているのみである

私はこれを聞いて耳を疑いました。

キャットショーは各国の「法律」「法令」に従ったうえで、TICAが定めた独自の細かなルールに基づいて開催するというのが私たちメンバーの共通認識なのではないでしょうか?

「法令」だけではありません。

様々な人々が集まるわけですから、「法令」や「ルール」で明文化されていなくても、”慣習”や”常識”“良識”に従うのも常識でしょう。

良識と常識ある社会人であり、まともなTICAメンバーであれば、「『TICAが定めた内規』に従うことを求められているのみである」とは、どう考えても出てこないように私には思えます。

こうした主張を、TICAボードメンバーのひとりであるアジアディレクターらが裁判所において公然とするところに、TICAアジアが抱える問題の深刻さがうかがえます。

2015年1月12日 (月)

いい”教え”も読む人によって台無し

世界を脅かす「イスラム過激派」…。

しかし、「イスラム教」自体が悪いわけでないことは多くの人が知っています。

要は、どんなにいい”教え”や”戒め”などが書かれていても、読む人の心が歪んでいては台無しなのです。

イスラム教だけではありません、キリスト教、仏教も同様です。

原始仏典のひとつ「スッタニパータ経典」も、この経典の中のどの言葉を”戒め”とし、どの言葉を”教え”とするか、そして読む人の心がどうかで、大きく変わります。

「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること」もいいですが、その前に次の言葉を”戒め”として心に刻むべきでしょう。

「悪い人々を愛し、善き人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破滅への門である」

2015年1月11日 (日)

邪曲にとらわれる悪い朋友を避けよ!

パリで起きたテロ事件の容疑者が仏特殊部隊により射殺されました。

しかし、ある報道では容疑者のひとりを知る人物が「若い頃を知る限り、こんなことをするとは思えない」という発言をしていたのが印象に残りました。

どこで「朱」に交わり、「朱く」なったのか…。

スッタニパータ経典の中で大切にしている言葉があります。

「義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人に、みずから親しむな。犀(サイ)の角(つの)のようにただ独り歩め」--。

世界においても、身近な趣味の世界においても同じ です。

「ルール」や「スタンダード」の勉強をコツコツ積み重ねましょう。

そして、義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ!

犀の角のようにただ独り歩め!!

2015年1月10日 (土)

言ってはならぬ。言わせてもならぬ。

たったひとつ”教え”を共有し、守ることで組織は大きく変わるのではないかと思えてなりません。

TICAアジアで起きてきたこと、起きたこと、そして今、起きていること…。

全てのトラブルの根源に共通しているキーワードは「偽り」です。

原始仏典のひとつ「スッタニパータ経典」にこんな言葉が載っています。

「会堂にいても、団体のうちにいても、何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。また他人をして偽りを言わせてもならぬ。また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。すべて虚偽を語ることを避けよ」

経典をひもとくまでもない、社会人としての良識と常識ですが、「偽り」がまかり通るところに“諸悪の根源”があるのではないでしょうか?

TICAアジアに「偽り」を話す人がいなくなり、「偽り」を言わせる人がいなくなり、「偽り」を容認する人がいなくなり、メンバー全員が虚偽を語ることを避ければ、一瞬にして組織は生まれ変わることでしょう。

2015年1月 9日 (金)

都合のいい”言い訳”もほどほどに…

都合のいい”言い訳”を見付けて、何かを断る人をたまに見かけます。

「親が病気で伺えません」とか「法事だったのを忘れていました」とか…。

もちろん、本当なら何の問題もありませんが、わざわざ事実確認する人などいないことをいいことに、”言い訳”に使っているとしたら困ったものです。

特に「法事」は故人を供養する仏教行事ですから、仏教に縁もゆかりもない人であれば「法事」を”言い訳”にするのも「あり」かもしれませんが、そうでなければまさに「罰当たり」と言えるでしょう。

ましてや、原始仏典のひとつである「スッタニパータ」を読み、その言葉を引用する人にあっては、「法事」を”言い訳”にするなどもってのほかです。

「報復」であるなら”蛮行”であり”凶行”

フランスの新聞社がテロに遭い、12人が殺害されました。

犯人は逃走中で詳細は分かりませんが、この週刊紙に載ったイスラム予言者の風刺画が許せず、侮辱への「報復」だと言われています。

これは遠い国の話…。そしてイスラム過激派という日本人とは縁遠い犯人の話でしょうか…。

しかし、「報復」という観点で見れば、私たちのすぐ身近な世界でも似たような構図があるのです。

「出陳拒否」です。

アクトのブログで非難されたとか、批判されたとか、何の根拠も証拠も示さずに一方的に騒ぎ立てた挙げ句、その報復としてクラブ員の「出陳拒否」という”蛮行”に及びました。

アジアディレクターがオーナーを務めるクラブの「ショーフライヤー」に、TICAのショールールを捏造し、「公の場でTICAを批判した方およびその関係者のエントリーはお断りいたします。(ShowRule23.6.5)」と記載されていたことは、記憶に新しいことと思います。

「言論の自由」に対する”暴挙”であったことは、その後、クラブ代表者(クラブオーナーの実姉)が「ブログを止めるなら出陳を認める」と言ってきたことからも明らかでした。
 
風刺画で新聞社が襲撃され、12人が命を落とすぐらいだから、趣味の世界でも「言論の自由」「表現の自由」に対する”報復”があっていいのでしょうか…。

2015年1月 8日 (木)

諸々の愚者に近づくことなかれ…

2015年は、「良識と常識の輪」をいかに広げるかをひとつのテーマにしたいと考えました。

そのために何をすればいいか--。その答えが元旦からスタートした新企画でもあります。

仏陀が、人間が幸せに至るために必要な38の項目を説いた「護経」の中で一番始めに説いたというのが「諸々の愚者に近づくことなかれ」だと、聞いたことがあります。

ミャンマーの女流作家、マ・サンダーの短編「『諸々の愚者に近づくことなかれ』と言うけれど…」は、まさに仏陀の言葉をタイトルに使った秀作でした。

一方、中国の古いことわざに「近墨必緇、近朱必赤」というのもあります。

「墨に近づけば必ず黒く、朱に近づけば必ず赤くなる」の意味で、日本では「朱に交われば朱くなる」の方が有名かもしれません。

「韓非子」に出てくる「水は方円の器に随(したが)う」も、「人は環境や友人によって、良くも悪くも変わる」という意味ですから、同じたとえと言えるでしょう。

「麻の中の蓬」も、また同じです。

まっすぐに伸びる麻の中に生えれば、曲がりやすい蓬も影響を受けてまっすぐに伸びることから、善人と交われば、自然に感化されて善人になることのたとえです。

英語でもこんな格言があります。

Keep good men company and you shall be of the number.(善人とつき合えば善人の仲間になれる)

「ルール」や「スタンダード」に詳しいメンバーと付き合えば、「ルール」や「スタンダード」に詳しくなれることでしょう。

アクトのサイトを通じて、TICAの「ルール」や「スタンダード」に精通するメンバーを増やすことで、”方円の器”を提供したいと思っています。

2015年1月 7日 (水)

TICAショーの「こよなき幸せ」とは?

昨年12月21日のTICAのクリスマスショーは今なお、心に心地良き余韻を残してくれています。

生き生きとし、躍動感に溢れたジャッジの姿を今年も期待したいところです。

原始仏典のひとつ「スッタニパータ経典」の第2章4節「こよなき幸せ」にはこんな言葉があります。

「深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること──これがこよなき幸せである」

おそらくこれはTICAのジャッジにも通じる言葉でしょう。

「深いスタンダードの知識があり、ハンドリング技術を身につけ、コメントがみごとであること」

こうしたジャ ッジに巡り合えることがTICAのメンバー、出陳者、ブリーダーにとっての「こよなき幸せ」であるように思えます。

2015年1月 6日 (火)

偶然か?必然か? 今年の干支は…

今年は12年に1度巡ってくる「未(ひつじ)年」です。

何をいまさら? と思われる方もいるかもしれませんが、「羊」という漢字にまつわる話を聞くと、なにやら因縁めいた気分になります。

私も知らなかったのですが、「美」や「善」、「義」など価値観を示す漢字には「羊」の文字を含んでいるものが多いそうです。

確かに、言われてみればその通りですね…。

これは、漢字の原型が出来たころ、「羊」を神事に用いることが多かったからだと、ある新聞のコラムに書いてありました。

遠い昔、訴訟を裁く時などには、「羊」を通じて神の判断を仰いでいたらしいとも言います。

その年に、TICAアジアを舞台にした不当な出陳拒否の裁判が本格化するのは、単なる偶然とは思えません。

これを時代の必然と思い、裁判所にはしっかり正邪を分かってほしいものだと思います。

2015年1月 5日 (月)

杜撰な「プロテスト」に呆れ果てるばかり(35)

ここにきて、新たに重大な”疑惑”が浮上してきました。

セクレタリーらが3月に申し立てた「プロテスト」は、前アジアディレクターらが共同申立人に名を連ねているものの、現アジアディレクターの名前は入っていません。

しかし、複数の共同申立人の話を総合すると、現アジアディレクターが裏で関与していたようなのです。

「共同申立人名簿」の元になったものは、現アジアディレクターが集めた「署名活動」であったとの複数の証言があります。

果たしてそれは事実であり、真相なのでしょうか?

現段階では”状況証拠”に過ぎませんが、その証言通りだとすると、これまでの数々の”疑 惑”の辻褄(つじつま)が合います。

「署名活動」で集めた名前を、「プロテスト」の「共同申立人名簿」に使ってしまおうと考えたのであれば、余りに浅はかで、余りに愚かとしか言いようがありません。

さあ仕事始め! さて何を思う?

今日が仕事始めの方も多いかと思います。

さて、今年は何を心に誓って仕事に取り組むべきか…。

そんなことに思いを巡らせていて、「スッタニパータ経典」にこんな言葉があるのを見付けました。

「恥じることを忘れ、また嫌って、『われは(汝の)友である』と言いながら、しかも為し得る仕事を引き受けない人--『この人は(わが)友に非ず』と知るべきである」

この言葉を”反面教師”とし、今年は「為し得る仕事」を積極的に引き受け、一度、引き受けたなら完遂することを誓いたいと思います。

そう言えば、昨年は”ドタキャン”なんてことがありました。

スッタニパータ経典を少しでも読んでいれば、”ドタキャン”なんてことはあり得なかっただろうと思うと残念でなりません。

2015年1月 4日 (日)

杜撰な「プロテスト」に呆れ果てるばかり(34)

「そもそも『プロテスト』って、一体どういうものなのでしょうか?」--。

セクレタリーらが3月に申し立てた「プロテスト」について、共同申立人のひとりに「なった経緯について聞かせて下さい」と言ったら、逆にこういう質問が返って来ました。

「初めて聞きました。どういうものか教えて下さい」--。こう話す共同申立人もいます。

余りに杜撰な…という表現を通り超して、余りに卑劣なやり方に言葉もありません。

どうしてこういう人たちまで共同申立人になっているのでしょうか?

ここまで来ると、“疑惑”は“確信”に変わるほかありません。

「共同申立人名簿」は捏造されたもので、そこには「プロテスト」を読んでもなければ理解してもおらず、まして同意などしていない人が多数含まれるという”疑惑”です。

「共同申立人名簿」は「プロテスト」の主体が誰であるかを示す重要なものです。

それが”捏造”されたものであるなら、「プロテスト」自体の有効性も失われます。

”捏造”か否か、徹底した調査が必要なことは言うまでもありません。

2015年1月 3日 (土)

杜撰な「プロテスト」に呆れ果てるばかり(33)

何かを売る際だけでなく、何かを依頼したり、お願いしたりする際に「説明義務」が欠かせないのは言うまでもありません。

では、セクレタリーは「プロテスト」を提出するのに当たって、「Co-signer」や「共同申立人」とはどういうものかをしっかり共同申立人全員に説明したのでしょうか?

単純な「署名活動」とは違うこと…。「共同申立人」という立場の重さ、その責任…。

もちろん、前アジアディレクターやジャッジはその辺の事情は詳しいでしょうが、果たして残る85人はしっかり理解した上で「共同申立人」になったのでしょうか?

仮に、丁寧に説明しなかっ たのであればセクレタリーの“罪”は重いでしょうし、セクレタリーから充分な説明があった上で「共同申立人」になったのであれば、全ての責任は共同申立人も負うべきものになります。

セクレタリーが「共同申立人」とはどういうものかについて、共同申立人全員に説明したかどうかも「公聴会」や裁判の際には重要な焦点となるでしょう

なんと8カ月もかかるとは…

物事を正しく認識し、正しく判断するのは良識と常識の第1歩だと思うのですが、それにしても8カ月もかかるとは…。

アジアディレクターを務めるオーナーのクラブサイトから、4月の「審尋」について「これを裁判といい、主張が通った事を勝ったと言った所で、それがどれ程の罪になるのでしょうか? ウソを言っている訳では有りません」と書いたクラブ員宛のメッセージが消えました。

同時に、サイト上でTICAメンバーや弁護士の実名を晒した「審尋」に関する「通知書」や「取下書」も削除しました。

年明けとともに削除したようですから、間違い(あるいは勘違い)だったと気付くまで8カ月以上かかった計算になります。

8日(木)に裁判の第3回期日を控えていますから、「このままではまずい…」と思ったのかもしれません。

しかし、事はそう単純ではありません。

このクラブサイトに行ってみれば分かりますが、トップページの冒頭には今なお、「2014 Spring Board Meeting 議事録」(和訳)のリンクが張ってあるのです。

もちろん、そこにはTICA本部が”虚偽記載”があったと認め、アニュアルのボードで虚偽部分を削除するとの決議をした文章がそのまま日本語訳で掲載してあります。

TICA本部はその部分を「春の議事録」(英文)から即座に削除しましたが、アジアディレクターは今も削除を頑(かたく)なに拒んでいるようです。

アジアディレクターはもしかするとこころの底では、「日本の裁判所は、本件原告が提訴した憲法関連訴訟においても当該クラブ側に有利な判断を行った」といまだに信じているのかもしれません。

スッタニパータ経典にはこんな言葉が並んでいます。

「嘘をついてだますならば、これは破滅の門である」「嘘をついてだます人─賤しい人で あると知れ」--。

2015年1月 2日 (金)

杜撰な「プロテスト」に呆れ果てるばかり(32)

TICAの「公聴会」であれ裁判であれ、焦点はひとつであり、共同申立人に対する質問は簡単なことです。

「あなたはセクレタリーから『プロテスト』の文書を手渡され、それを読んだ上で『プロテスト』の『共同申立人』になることに同意しますか?」と聞かれたかどうかです。

何度も指摘してきましたが、これは単なる「署名活動」とは全く違います。

訴えた相手を罰することを求める異議申し立て文書であり、TICAにおける正式な手続きです。

もし、セクレタリーが「プロテスト」という言葉を出したとしても、「Co-signer」あるいは「共同申立人」という言葉を出さずに同意を求めてきたのなら、それは騙したのと同じで責任はセクレタリーにあるでしょう。

セクレタリーが仮に「プロテスト」という言葉を口にしても、文書を確認させようとしなかったのなら、やはり騙したのと同じです。

「プロテスト」という言葉を出していなかったとしたら、”犯罪”に近い卑劣さと言わざるを得ません。

前アジアディレクターをはじめとする89人全員に、同じ説明をしたかどうかは不明です。

あるクラブ員には詳しく説明し、あるクラブ員には全く説明をしなかったことも考えられます。

その点もまた徹底的に明らかにしなければならないでしょう。

今年も浅草寺のおみくじに挑戦!!

全国の寺社でも「凶」の出る確率が一番高いとも言われる「浅草寺」のおみくじ--。

今年も挑戦してきました!

これまで「凶」続きだったこともあり、今年こそは!と気合を入れたところ、なんと「大吉」をゲットしました!!

こよなき幸せ…と感じたところ、そういえば「スッタニパータ経典」にこんな言葉があったのを思い出しました。

「悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしない事、これがこよなき幸せである」…。

悪をやめ、悪を離れる人が増え、善良で良識ある”賢者”の輪を広げていきたいと、年の初めに願いました…。

2015年1月 1日 (木)

杜撰な「プロテスト」に呆れ果てるばかり(31)

もともと杜撰な「プロテスト」でしたから仕方がないのかもしれません。

それにしてもセクレタリーもTICA本部も、ある意味で軽率過ぎたのではないでしょうか…。

それはこういうことです。

なぜ、セクレタリーはこの89人を「プロテスト」の「Co-signers」とにしたのかということです。

「プロテスト」の「共同申立人名簿」には、はっきりと「Co-signers to Protest」と書いてあります。

TICA本部の公式サイトの「議事録」を見ても、春のボードの「決議14」にはっきりと「the complaint by ○○○(セクレタリーの名字) and 89 others」と書いてあります。

なぜ、TICA本部は「議事録」においてまで「the complaint by 89 others」と明記してしまったのでしょうか…。

私が言いたいのは、セクレタリーもTICA本部も、89人を敢えて「共同申立人」にする必要性などなかったのではないか…ということなのです。

先日も触れましたが、借金の「保証人」の話にたとえるなら、「共同申立人」は「連帯保証人」に似た、極めて重大な責任を負う立場です。

ですから、89人を敢えてそうした重い立場にする必要など、さらさらなかったのではないとと思うのです。

もちろん、前アジアディレクターをはじめとする共同申立人の中には、敢えてそうした重い責任を負う立場になりたかったメンバーもいたのかもしれませんが、89人全員が後々まで様々な責任が付いて回る「共同申立人」になりたかったとは思えないのです。

裁判、第3回期日は1月8日13:30~

延期になっていた裁判の第3回期日は、1月8日(木)13時30分からに決まりました。

これまでの第1回(9月8日)、第2回(10月27日)は、被告側が代理人弁護士を立てない”本人訴訟”で臨んできていましたが、次回期日からは弁護士が入ることになります。

被告側弁護士が原告の訴えに対してどのような主張、あるいは反論をしてくるのかが注目されます。

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