杜撰な「プロテスト」に呆れ果てるばかり(12)
セクレタリー自身がもしかすると、「署名活動」と「プロテスト」の手続きを混同しているのかもしれません。
何かを陳情したり嘆願したりする際の「署名活動」と、TICAの「プロテスト」の手続きは全く異なりますが、その根本的な違いを理解していないのかもしれません。
そもそも「プロテスト」は、異議申し立ての手続きであり、中身の事実の信憑性、論理的な立証、そこから導き出される主張の妥当性こそが重要です。
ですから、相手側に重大なルール違反があり、TICAとして何らかの処罰を下す必要性があれば、プロテストを申し立てたのがたとえ1人であったとしても、しなければならないと私は思っています。
逆に、「プロテスト」の主張がただの言いがかりに過ぎず、論理の組み立てが破綻(はたん)していては、共同申立人が何十人いようが、何百人いようが全く無意味なのです。
ですから、もし、論理破綻した杜撰な「プロテスト」を何十人、何百人で申し立てたとしたなら、それこそTICAアジアにはまともな社会人としての自覚がないメンバーが何十人、何百人もいるんだということをさらすことになってしまいます。
物事には何にでも「出来」「不出来」があるように、「プロテスト」にも「出来」「不出来」があります。
共同申立人全員は仕上がった「プロテスト」を読んで、「確かに『プロテスト』としてしっかり筋が通っていて、いい出来ですね」「これなら誰もが納得できる内容の出来だ」と評価して共同申立人に名を連ねたのでしょうか?
前アジアディレクターをはじめとする共同申立人ひとりひとりに、「プロテスト」の出来具合をどう評価したのか聞いてみたい気持ちです。
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