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2014年11月25日 (火)

杜撰な「プロテスト」に呆れ果てるばかり(5)

日本語と英語では、意味するところや語感が完全に一致するわけではありませんから、微妙なニュアンスの違いは仕方ないでしょう。

しかし、セクレタリーらが3月に申し立てた「プロテスト」には、明らかにニュアンスの違いを超えた意図的な翻訳や単語の使い方がされているのです。

共同申立人全員が、もし「プロテスト」をしっかり読んでいたならば、「その英語は相応しくない」とか「その訳し方では本来の文意を損なう」とか「意訳しすぎではないか」などの意見が相次いだはずです。

私にはどうしても共同申立人全員がこうした杜撰な翻訳や意図的な単語の使い方に同意したとは思えないのです。

特に、ルールやスタンダードに精通していなければならない前アジアディレクターらがどうしてこんなに杜撰で非論理的で、意図的かつ恣意的な翻訳や単語の使い方をした「プロテスト」を受け入れたのか、不思議でなりません。

もちろん中には、こうした意図的な”細工”を承知の上で、共同申立人に名を連ねたメンバーがいるかもしれません。

しかし、承知の上か承知の上でないかを問わず、共同申立人に名を連ねた以上、社会人として負うべき「結果責任」から逃げることはできません。

仮にしっかり読んでいなかったのなら、しっかり読まないで共同申立人に名を連ねたメンバーに「過失」があるのです。

その「過失」の責任は当然のことながら、名前を連ねた共同申立人ひとりひとりが負うことになることは言うまでもありませんし、立場に応じて責任の重さも違うことは改めて指摘するまでもありません。

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