”暴挙”か”愚行”か?不当な出陳拒否再び(12)
「Cat Showに原告らが現れることは非常に不快なこと…」
アジアディレクターを務めるリジョンショーショーマネのこの発言について、私は何度も自分の中で反芻してみました。
確かに、裁判で訴えられたわけですから、「不快なこと」と感じても、ある意味において当然かもしれません。
「訴えるなんて…」「裁判を起こすなんて…」と思っても不思議ではないでしょう。
しかし、それは訴えられた側が明らかに無実であり、それにもかかわらず裁判を起こされた場合に限られるのではないでしょうか。
今回のケースを詳細に見て行けば分かるように、どう考えても「明らかに無実」とは言えません。
中立な立場で客観的に眺めても、「裁判において事実関係をはっきりさせ、司法の判断を仰ぎたい」という原告側の主張の方に、十分な説得力があると思いますし、おそらくこのブログを読む多くのTICAアジアメンバーも同様の意見だと思います。
そうであるなら、冒頭のアジアディレクターの発言は自分勝手で思慮に欠けると言わざるを得ません。
なぜなら、非常識な”逆恨み”でしかないからです。
本当に「不快」に思っているのは、何ら正当な理由も根拠もなく、不当に出陳を拒否されている原告の方なのではないでしょうか?
いきなり出陳拒否されたことは「不快」でしょうし、正当性のある理由も根拠もなく拒否されて「不快」でしょうし、噓八百を並べ立てられるのも「不快」でしょう。
本来なら話し合いで解決できるはずのトラブルを、労力と費用をかけて裁判に訴えなければならなくなったことも「不快」なはずです。
もし、”不快指数”なる指標があるなら、被告側より原告側の方が圧倒的に大きいと思うのが自然ではないでしょうか?
たとえ、どちらかが「不快」という気持ちを抱いたにしても、それは双方が感じていることであり、「不快だ」という感情を理由に、23.6.5を捻じ曲げて解釈して出陳拒否するなど常識ある社会人のすることではありません。
冒頭の発言から、アジアディレクターがいかに組織のトップとしての資質と資格を欠いているかが如実に分かるのではないかと思います。
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