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2014年8月

2014年8月31日 (日)

これも何かの”奇縁”なのか

別に私自身、裁判に詳しいわけではありませんが、実はこのクラブオーナーの裁判を比較的近くから眺めるのはこれで2度目になります。

前回は2009~10年にかけて。やはり被告はこのクラブオーナーとその実姉でした。実姉が繁殖した猫の譲渡を巡るトラブルでした。

ですから、今回は訴えの内容が全く異なるものの、被告側がどんな戦い方をするかはある程度、想像がつきます。

被告側が前回の訴訟と同じ弁護士を代理人に立てれば、戦い方は前回とより近いものになるかもしれません。

思い起こされるのは、前回の裁判では「和解」になったものの、被告側は「勝った、勝った」の大合唱だったことです。

確かに被告側にして見れば、判決を回避し和解に持ち込んだこと自体、実質的勝利と思ったに違いありません。

たった一度の「審尋」で、何の判決も出ていないのに「勝った、勝った」の大騒ぎでしたから、今回も判決が出ようが出まいが、和解になろうがなかろうが、被告側が「勝った、勝った」になるのかもしれません。

2014年8月30日 (土)

結局、「楽な生き方」とは

裁判の戦い方なんて知らなくても、普通に生きていれば容易に想像がつくことがあります。

それは、結局楽なのは「正しいことに身を委ねること」だということです。

「何が正しいか?」「どっちが正しいか?」--。その時々で迷うことなく、正しい判断に従うのが最終的に一番楽だということは、裁判でなくても同じです。

謝るべきは謝り、反省すべきは反省し、正すべきは正し、新たな道を歩めばいいだけなのです。

それが、お金も時間もかけず、精神的な負担にもならない、一番の近道なのです。

裁判に限らず、それは「正しいことに身を委ねること」からしか得られませんし、始まりません。

論語にこうあります。

「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」--。

2014年8月29日 (金)

狎れ合って生きることの怖ろしさ

正論が通る、そして正論を通すのが司法の世界--。

こう書いたら、ある方から「それは、その人が『正論』が何たるかをしっかり判断できてこそではないですか…」と指摘を受けました。

確かに、おっしゃる通り!

「正論」が何かを判断できなければ、「正論」の通しようがありません。

しかし、「正論が通ると思ったら大間違い」と考えて生きてきた人には、おそ
らく「正論が何か」は咄嗟に出て来ないのではないでしょうか…。

なぜなら、「正論」は努力せずに自然と思い浮かんだりする類いのものではないからです。

自問自答を重ねて呻吟し、初めて「正論」なるものに考え至るのです。

常日ごろ、「正論が通ると思ったら大間違い」という考え方と狎れ合って、「正論」とは何かを考える思考の訓練を怠ると、いざというときに「正論」が出て来ないのです。

それは人生においてとても怖ろしいことだと言わざるを得ません。

2014年8月28日 (木)

嘘をつく人は治らないのか?

「嘘」をテーマにブログを書いている人がいましたので、その一部を紹介したいと思います。

テーマは「嘘をつく人は治らないのか?」です。

「結論から言えば 、日常で嘘をつく人、その場しのぎで咄嗟に嘘をついてしまう人、こちらのケースは治りにくいらしいです」

「ただ、 咄嗟に嘘をついたことに罪悪感を感じ、相手に聞かれなくても自分から嘘を告白、そして謝罪をするという行動にうつる人は治る可能性はまだあるとのこと」

「咄嗟に嘘をついてしまったことに罪悪感はあっても、、聞かれるまで黙ってる、 黙ってればわからない、バレなければいいのだ、仕方なかったと自分自身を正当化し、問い詰められるまで謝罪をしなかったり…」

「問い詰められたら嘘に嘘を重ねたり、信用してないのかと逆にキレたり」

「嘘は認めたものの、責任転嫁をして『自分のせいじゃな い』と状況や周囲のせいにしたり開き直ったり--などなどの行動をする人はなかなか治りにくいそうです」

「嘘をつく人は『成長しない、そのままの自分でいさせてくれるのが愛情』 と勘違いしてしまうケースが多く、嘘や隠し事に気づいても叱らず、忘れてくれて、いいとこだけを褒めてくれる人を求めているとこもあるのだそうです」

「身近に嘘を許してくれる人が現れたら『味方を得た』と安心し、自分自身に不利な相手を必要としなくなり、 また嘘をつきはじめるのだそうです」

「嘘をつく人は、自分に不利な質問に対しては過剰に自己弁護をする傾向にあり、 なのにその嘘には甘さが出てしまう。相手を思いやるふりをして話をすりかえるのが巧みだそうです」

2014年8月27日 (水)

ついていい”嘘”、悪い「嘘」

人はいつから平気で嘘をつけるようになるのでしょうか…。

「嘘は泥棒の始まり」と教えられた幼少期からの転機は、ある1冊の短編小説によってもたらされました。

それはOヘンリーの「最後の一葉」です。

それはある意味において「大人への入り口」であったのかもしれません。

人生には、ついていい”嘘”があることを知るとともに、こうした以外の「嘘」は決してついてはいけないことを学びました。

ですから、アクトや私に対するでっちあげの作り話の「嘘」の数々には唖然とするしかありません。

どのような人生を送ると、人に罪を着せ、陥れるような嘘を平気でつけるような人間になれるのか--。

私がもう一度、学生に戻るなら、このテーマを専攻として学び直し、卒論を書きたい思いです。

2014年8月26日 (火)

他人の嘘を黙認していませんか?

自分がつかなくても、他人がついていることがあります。

それを嘘とわかっていながら聞き流すことは、あなたも嘘に加担していることになります。

それはその組織とあなたの信用も、壊す結果になりかねません。

他人の嘘を黙認していませんか?

では嘘をどのように消すのか、それはなかなか難しいことです。

しかし、嘘はいつかばれるもの。


嘘が嘘を呼んで大変になることを考えれば、そのほんの少しの勇気が、物事を良い方向に進めることも、きっとあると思うのです。
 
(※Coaching BANKから一部抜粋し加筆して掲載)

2014年8月25日 (月)

人に罪を着せ陥れる「嘘」

世の中には、ごく軽い微笑ましい”嘘”があることは否定しません。

子供心にちょっと見栄を張ってしまうような”嘘”はそのひとつでしょう。

大人になると、「嘘も方便」というように、その時々の事情で仕方なく付かざるを得ない”嘘”があることを学びます。

さらに歳を重ねると、誰かを救うため、あるいは何かを護るために、「嘘は罪」と分かっていながらも覚悟を決めて付く”嘘”があることも理解します。

しかし、人として決してしてはならないこと、そして人として最も忌み憎しむべきことは、人を罠に陥れ、罪を着せ、傷付けるために付く「嘘」です。

「モーゼの十戒」にあって「汝、偽証することなかれ」は「.汝、殺すなかれ」や「汝、盗むなかれ」と並ぶ「大罪」のひとつです。
 
TICAアジアのメンバーには、今そこにあるでっちあげででまかせの”作り話”の数々が、微笑ましい嘘や「嘘も方便」といった類いの”嘘”なのか、人に罪をなすりつけ陥れる悪質で卑劣な「嘘」なのかをしっかり区別して頂きたいと思います。

2014年8月24日 (日)

「世界中を震撼させた」出来事

※「震撼」=人を震え上がらせること

「世界中を震撼させました」--。

こう聞けば、一体何が起きたのか!と身構えずにいられません。

確かに、イスラム系過激派組織「イスラム国」に囚われ、斬首された米国人ジャーナリストのネット映像は「世界中を震撼させた」出来事といえるでしょう。

「エボラ出血熱」の感染拡大も「世界中を震撼させた」といえるかもしれません。

ウクライナ東部でのマレーシア機撃墜事件もある意味でそういった類いかもしれません。

しかし、こうした事件に匹敵するような「世界中を震撼させた」出来事がTICAアジアにおいて、いつ起きたというのでしょうか?

TICAアジアにおいて、いや日本において起きたという「世界中を震撼させた」出来事とは具体的に何を指し、それがどこ国の誰を「震え上がらせた」というのか…。

こうした誇大な表現を使った誹謗中傷もまた言いたい放題にしておいていい訳がありませんし、有耶無耶で終わらせていい訳がありません。

自分の発言に責任を持つ

自分の言動に責任を持つ--。

これが社会人として、そして人として当然のことであることは、TICAアジアメンバー全員にとって異論のないところであって欲しいと思います。

「日本の猫やジャッジの信頼までも落とした事は罪深い」とまで言い切った人には、いつそんな”罪深い”出来事が起きたというのか、誰が見ても納得できる証拠によって”罪深さ”を証明してして頂きたいと思います。

「立場を利用して作り上げる事は[不正]があったと探求されても致し方ない」と非難した人には、何をもって「立場を利用した」と主張するのか。いついかなる「不正」がどこにあったというのか、必ずや立証して頂きたいと思っています。

人に対する根拠なき個人攻撃や非難、誹謗中傷を言いたい放題で終わらせていい訳がありません。

私としてもこのまま有耶無耶で終わらせるつもりはありませんし、何よりも終わらせてはいけないと思っています。

2014年8月23日 (土)

他のクラブをだしに使う卑劣で陰湿な手口

どれだけ口からでまかせの虚偽報告をすれば気が済むというのでしょうか?

「they've just told us that they would close the club on April 30, 2014 because of the ACT website. The evil conduct of ACT is beyond the imagination of old TICA fans」

アジアディレクターであるクラブオーナーはTICA本部にこう報告していました。

実際には、この文書には具体的な日本のクラブ名が記載されており、「the third oldest club in Japan」とも添えられています。

しかし、TICA本部公式サイトの「2014 Annual Agenda」の添付資料を見ると、このクラブが「Active TICA Clubs」の一覧表の中に入っているではないですか! 

そして、「05/01/2015 Active」と記されています。

このクラブが「アクトのウエブサイトのせいでクラブを閉じるつもりである」と、本当に言ったのかどうか…。

このクラブの責任ある立場の人物に確認しました。

どうして「アクトのウエブサイトのせい」なのか? その根拠と理由は何か…。

回答は以下の通りです。

「クラブを維持できない原因は、役員の高齢化、人材不足です。アクトさんのサイトのせいで辞めるわけではありません」

何の関係もない他のクラブをだしに使ってまで、でっちあげの作り話をTICA本部に報告し、アクト潰しを画策するとはどういう神経の持ち主なのでしょうか?

しかも、このブログで度々書いてきたように、でまかせの虚偽報告はひとつやふたつではないのです。

TICAの35年の歴史の中で、そして世界のどこに、人を陥れる悪質な嘘を次から次へと重ねるメンバーがいるというのでしょうか?

こうした卑劣で陰湿なやり方は決して許せませんし、決して許してはならないと思っています。

2014年8月22日 (金)

「正論」が通る所、通らない所

「『正論』が通ると思ったら大間違いよ!」

よくこんな言葉を耳にします。

もちろん、猫界でもそうですし、今回の裁判で被告となった一人からも、そんなような言葉を聞いた記憶があります。

確かに、これまでの猫界はそうだったのかもしれませんし、世の中とは往々にしてそうなのかもしれません。

しかし、アドバイスというと烏滸がましいかもしれませんが、裁判は違います。

「正論を通す」「正論が通る」、そして何よりも「正論が通らなければならない」のが司法の世界だと、私は思っています。

2014年8月21日 (木)

「自分の身は自分で守る」の鉄則

自分の身は自分で守る--。

これは人としてのモットーであるとともに、組織のトップとしても大切なことだと私は考えています。

会社などでは、時として部下に守って貰おうと考える上司がいますが、私から見れば上司”失格”です。

仮に部下が「最後までお守りします」と訴えても、「その必要はありません。自分の身は自分で守ります」と主張するのが本当の上司です。

まして誰かが”罪”を背負うことになるなら、「私ひとりが罪を背負います」という潔さがあってこそ、人の上に立ち、組織を束ねるトップというものではないでしょうか。

もちろんその前に、部下に”罪”を負わせるような指示や命令を出さないのが、本当の意味での上司、そして組織のトップですけれど…。

2014年8月20日 (水)

クラブ員の”護り方”とは

私もTICA公認クラブの代表であり、クラブオーナーですから、今回の不当な出陳拒否を巡る裁判についてはいろいろと考えるところがあります。

例えば、今回の裁判で訴えられたのは4人ですが、うち2人はエントリークラークであったクラブ員です。

ですから、クラブ代表者として、そしてクラブオーナーとしては全力でこの2人を護らねばならないのは言うまでもありません。

では、いかにして護るかを考える時、どうすべきだったのでしょうか?

もちろん、裁判を起こされてしまった今となっては弁護士費用を肩代わりするなどいろいろな「護り方」はあるかとは思います。

しかし、私ならそもそもエントリークラークが訴えられないようにしていたと思います。

仮に私自身が訴えられる事態になったとしても、クラブ員は訴えられないようにする--。

これだけの時間があったわけですし、それが私にとってのクラブ代表、クラブオーナーとしての第一義的なクラブ員の”護り方”です。

2014年8月19日 (火)

第1回期日は9月8日(月)

不当な出陳拒否を巡る民事訴訟の第1回期日は9月8日に決まったようです。

被告側は「訴状」に対する答弁書を第1回期日までに提出する必要があります。

どんな答弁書が出てくるのか興味深いと思う一方で、不思議なのは、訴状が送達されてから1カ月経つのに被告側4人に特段の動きが表立っては見られないことです。

と言うのも、私が被告のひとりであったなら、すぐさま和解に動き、できることなら第1回の期日前に和解して私に対する訴えだけでも取り下げて貰おうとと思うからです。

逆に考えるなら、全く動きがないという事は被告側4人が足並みをそろえて徹底的に争うということなのかもしれません。

もちろん、弁護士費用を節約したいなら、「本人訴訟」というやり方もありますし、争いを早期に終わらせる方法や時間と費用を最小限に抑える方法など、争い方は人それぞれでしょう。

被告側の4人それぞれがどんな争い方をするのかも興味のあるところです。

2014年8月18日 (月)

クラブ代表者の更なる努力の必要性

週末はちょっと話題が飛びましたが、エントリークラークに関する続きです。

ある意味、仕方ないのかもしれないとも思います。
エントリークラークという資格が比較的新しい資格だからです。

TICAアジアのジャッジの中で、エントリークラークの資格を取得した経験を持つのはごく一部にすぎません。

エントリークラークに対して、毎年どんなテストが行われているか、詳細につかんでいるジャッジもごく限られた一部でしょう。

クラブ代表者の中で、毎年、クラークテストとエントリークラークテストを確認している人は皆無に近いかもしれません。

しかし、本当にそれでいいのでしょうか? それでTICAアジアの健全な発展につなげられるのでしょうか?

私は、クラブ代表者を含め、少なくともクラブの中心メンバーにおいては、もっともっとTICAのルールや各資格のマニュアルに対する理解と知識を身に付ける努力をしなければならないと思っています。

「己に如かざる者を友とするなかれ 」--。

TICAアジアのメンバーは論語のこの言葉を胸に刻み、常に上の見て努力する必要があるのではないでしょうか。

2014年8月17日 (日)

決して遠い世界の”悲劇”ではない

長年の慣習や染み付いた意識を変えるのがいかに難しいか…を、思い知らされる出来事です。

なぜ、西アフリカでエボラ出血熱の感染がこれだけ急拡大したかの根本原因を考えると痛感します。

この病気が「呪い」であるとの迷信、西洋医学に対する敵意、病院に連れて行かれると殺され臓器を摘出されるという噂--などなど。

しかし、それ以上に驚くのは、感染拡大を食い止めようと現地入りした「国連」や「赤十字」「国境なき医師団」こそがエボラ出血熱を持ち込んだのだと言う村人がいて、さらにそれを信ずる人々がいて、彼らが追い出される地域があるという実態です。

正しいことを主張し、改善や再建を促しても、長年の慣習や意識の染み付いた人々がそうした人々を敵視し、追い出そうとするのは小さな趣味の世界も同じようです。

慣習にしがみ付き、意識を変えようとしないままでは何も始まらないばかりか、事態を悪化させるだけだということに気付かねばなりません。

エボラ出血熱の死者拡大は決して遠い世界の出来事ではないのです。

2014年8月16日 (土)

”詐話師”の本当の怖ろしさ

朝日新聞を購読されている方は既によくご存知かと思います。

過去に掲載したいくつかのある記事について今月上旬、「虚偽だと判断し取り消す」と発表しました。

その記事は故吉田清治氏の証言に関してのものでした。

吉田氏は稀代の”詐話師”と言われ、ある日本の作家は「それにしてもたった一人の詐話師が、日韓問題を険悪化させ、日本の教科書を書き換えさせ、国連に報告書までつくらせたのである。虚言を弄する吉田という男は、ある意味ではもう一人の麻原彰晃ともいえないか」と書いたそうです。

事実、この”詐話師”の証言は、韓国政府の調査報告書や国連人権委員会の報告などで証拠として採用され、米国下院では決議の根拠とされました。

しかし、何と言っても怖ろしいのは、彼の証言が全くの偽証であることが明らかになった後も、これらの報告書の記載がいまだに修正されていないことです。

でっちあげでデタラメの作り話を平然とする”詐話師”の怖ろしさをを改めて知る思いがしました。

2014年8月15日 (金)

学ぶ機会は目の前にあるのに

不思議に思うのは、あるクラブにおいて資格がないにもかかわらずエントリークラークを引き受けた人物は猫界における”初心者”ではなかったということです。

ブリーダー歴やショー歴、クラブ員歴が2ケタの年数にもなるメンバーなのです。

確かにエントリークラークという資格が誕生したのは数年前のことですが、逆に言えば既に数年も経過しているわけです。

フルタイムで働いていようが、専業主婦であろうが、いくらだってエントリークラークマニュアルをひもとく機会はあったはずです。

長年の経験とノウハウがあれば、初心者に比べて飲み込みも早いことでしょう。

にもかかわらず、どうして自ら学ぼうとしないのか? そして学ぼうとしないにもかかわらず、どうしてこの重責を引き受けたのか? 私には理解できません。

2月のショーに関しては不当にエントリーを拒否された出陳者が「ルールを確認して下さい」「エントリークラークマニュアルを確認して下さい」と訴えたにもかかわらず…です。

エントリークラークマニュアルを読めば分かること、資格を持つエントリークラークに聞けば分かることを、どうして怠ったのか?

論語にこうあります。「われ日に我が身を三省す」。

一日に3回とまでは言いません。ちょっと省みれば自ずと分かるはずだと思うのですが、私には不思議でなりません。

2014年8月14日 (木)

「子供の使い」では務まらない

ダウンタウンの長寿番組に「ガキの使いやあらへんで!!」があります。

タイトルの由来は、ある番組で松本人志が「お父さんもガキの使いやないんやから…」と発したからとか、別の番組で浜田雅功が「いやいや、それでは済まさん。こっちもガキの使いやないんやから…」と言ったシーンからとか説明されていますが、定かではありません。

しかし、不当に出陳拒否したあるクラブのエントリークラークの対応をつぶさに検証すると、まさに「子供のお使いではないんだから…」と言いたくなるやり取りが随所に見られます。

エントリークラークマ ニュアルを一読すれば、「子供の使い」を遙かに超えた責任と実務負担の重さを理解するはずですが、こうした人々は恐らく、このマニュアルを手に取とうとさえしなかったかもしれません。

裁判では、エントリークラークが「マニュアルを読んでいたか」「ショールールを確認したか」「出陳拒否はTICAのルールに照らし合わせて妥当であったと本心から思っていたか」などが明らかになるのではないでしょうか。

どんな些細な頼まれ事もそうですが、引き受けたからにはその責務を全うしたいと思うのがまともな大人としての感覚だと思いますが、もしそうでないとしたら、そこに問題の根の深さがあるのかもしれません。

2014年8月13日 (水)

マタイ伝15章14節の言葉

正式な資格を持たないエントリークラークを任命する場合、私はクラブとしての前提条件、あるいはクラブ代表者としての前提条件があると思っています。

それはクラブ代表者自らがエントリークラークマニュアルに精通している、あるいはクラブ員の中に精通している人物がいて、資格を持たないエントリークラークを知識・能力・実務面でサポートできる体制が整っている--ことだと考えます。

エントリークラークはBy-LawsやShow Rulesをはじめ、TICAのあらゆるルールに精通していることが求められていますから、クラブ代表者やクラブ員の中にそうした人物がいなければならないことになります。

そう考えれば、単にルールの勉強会を開けばいいだけの話ではないことが分かって頂けると思います。

ルールの勉強会はあくまで幅広いメンバーの知識の底上げを目指すものですが、それだけでなく、ルールに精通し高度な判断力を発揮できるメンバーやクラブ員をいかに育成するかも重要なテーマであるのです。

聖書のマタイ伝15章14節の言葉が思い起こされます。

「Leave them; they are blind guides. If the blind lead the blind, both will fall into a pit」

2014年8月12日 (火)

そこにある”暗黙の前提”

TICAアジアにおいては、正式な資格を持っていないメンバーにエントリークラークを任せる例は珍しくありません。

しかし、そこにはある”暗黙の前提”があるはずです。

正式に資格を持っていなくても、「ルールの知識」「ショー運営の実務」の両面において相応しい知識・能力・実績を兼ね備えている--。

しかし、実態はどうでしょうか?

今回の不当な出陳拒否を巡るエントリークラークの対応からは、別の側面しか見えてきません。

それは、エントリークラークとしての知識・能力・実績よりも、クラブ側の意向に唯々諾々と従うかどうかが任命の判断基準になっているのではないかという疑いです。

クラブ側がこうした基準でエントリークラークを選び、そして任命されたエントリークラークもクラブの意向に従っていればいいと本来の役割を放棄するなら、エントリークラークという資格もエントリークラークマニュアルも必要ないということになってしまいます。

それこそ、エントリークラークという資格を設け、毎年試験を課しているTICAに対するネガティブな言動なのではないでしょうか?

2014年8月11日 (月)

無資格エントリークラークの不祥事

資格を持たないエントリークラークの不手際や不祥事--。

ある意味において、資格を持つメンバーが他にいるにもかかわらず、敢えて資格を持たないメンバーをエントリークラークに任命したクラブ側に責任があることは間違いないでしょう。

しかし、そうだからと言って、資格を持たないエントリークラークの判断ミスや実務的な過失が全て”免責”になるのでしょうか?

私はそんなことはないと思っています。それは以下の理由に拠ります。

第1に、任命されてから実際の実務が始まるまでにエントリークラークマニュアルを読み込む時間は十分にあるからです。そもそもマニュアルは長いものではありません。

第2に、任命されてから実際の実務が始まるまでにショールールを勉強する時間も十分にあるからです。

第3に、エントリークラークの実務において判断に迷ったり、実務で戸惑ったりするときは資格を持つエントリークラークに聞くことができたはずです。そして、それだけの十分な時間的な余裕もあるからです。

ですから、これら3つの事をしないということは、このメンバーがTICAのエントリークラークの仕事を軽視しているか、自分には責任が降りかからないと高をくくっているか、面倒くさい勉強はしないと開き直っているか、いずれかであると言えるのではないでしょうか?

ショーはそれぞれの担当者がそれぞれの実務において十分な知識と能力を発揮して初めて成り立つものです。

そして、それが公平・公正・平等で、安全なショーを開くための最低条件であるはずです。

TICAのルールを十分に知らなくたって何の問題もなくショーを開けると思ってやっているメンバーがいるとすれば、それはTICAに対する冒瀆以外の何ものでもありません。

2014年8月10日 (日)

クラブの判断は正しい?間違ってる?

「Per TICA's Show Rules, is the Club correct? If Yes, answer "True". If the Club is incorrect, answer "False"」

日本語に訳すと、「TICAのショールールに基づいて、クラブが正しいなら『True(正しい)』、もしクラブが間違っているなら『False(間違っている)』と答えなさい」。

これは、年1回あるエントリークラークのテストの問題のひとつです。

クラブの判断が間違っている時は、それを指摘して正すのもエントリークラークの役目だということを示しています。

しかし、不当に出陳拒否したエントリークラークは自らの役割を放棄し、ルールに沿って正しいか正しくないかを判断しませんでした。

これは明らかにTICAのエントリークラークとしての「注意義務違反」であり、「職務怠慢」です。

恐らく、このエントリークラークは「私はエントリークラークの資格を持っていませんから…」と言い逃れするつもりでしょうが、果たしてそんな事が許されるでしょうか?

エントリークラークの資格を持たないにもかかわらず引き受けたメンバー、エントリークラークの資格を持たないメンバーに依頼したクラブ側の双方は、エントリークラークの役割の重要性を真剣に考えなければならないのではないでしょうか?

2014年8月 9日 (土)

出したり引っ込めたり…その真意は?

出したり引っ込めたり、訳が分かりません…。

不当にエントリーを拒否された出陳者が東京地裁に提出した「訴状」をクラブサイトを通じて公開したかと思うと、今度は引っ込めました。

このブログで「(訴状を公開する)真意を測りかねる」と書いたからかもしれませんし、実名をネット上で晒された別の被告の誰かが「公開されるのは困る」と泣きついたのかもしれません。

しかし、実はある方から「これほど分かりやすい”真意”はないでしょう」と辛口のコメントも頂いていました。

その方によれば、公開した”真意”とは「『訴えを起こした方が悪い』ということ」なのだそうです。

「裁判を起こした」ことを理由に今後も出陳拒否を続ければいいし、「訴訟を起こした」ことを理由にTICAメンバーの資格を剝奪してやればいい--という発想だというのです。

「訴える方が悪い」と非難することは、裁判所の存在を否定することであり、司法制度そのものを根底から否定することに他なりません。

「訴状」を公開した背景に、本当に「訴えた方が悪い」というような考えがあるとしたなら、それは「司法制度」に対する冒瀆と言わざるを得ません。

「訴状」の公開をやめた理由が、こうした反省に立った上のことであればいいのですが…。

「思考停止の罠」の行き着く先

「思考停止の罠」という言葉があります。

自分で考えることを放棄し、思考を停止するとどういうことになるのか--。

「常識」と言われるものを疑わないため、世間の「常識」の範囲内でしか生きられなくなります。

「慣習」や「慣行」と呼ばれているものが本当に正しいかどうか考えずに従うだけになります。

自分で考えませんから、マインドコントロールされやすくなります。

そして、どうなるか…。

脳は常に刺激を与えないと錆び付きますから、ますます「思考停止」に陥り、脳の衰えが一気に進んでしまうのです。

私は、「思考停止」に陥って単なる”指示待ち人間”として生涯を終えることだけはしたくないと思っています。

2014年8月 8日 (金)

TICA会長・副会長選挙に思う

おそらく最大のポイントは、どうして計8人もの立候補者がいるのかと言うことに尽きるかと思います。

それだけ様々な問題点が顕在化しており、今後の発展に向けた運営の舵取りが難しい局面にきていることを示していると思います。

現時点で所信表明をUPしているのは、会長候補3人と副会長候補3人ですが、いずれ残る2人も公表することでしょう。

米州の票は割れるでしょうから、欧州とアジアの票の行方が結果を大きく左右するものと思われます。

TICAアジアのメンバーひとりひとりが各候 補の所信表明をしっかり読んで、自分の判断で投票することが大切になると思います。

”指示待ち人間”の怖ろしさ

「あの人は指示待ち人間で困る…」「指示待ち社員は要らない」--。

会社で働いていると、よくこうした言葉を聞きます。

自分で考えることをしないところに全ての根底があります。

さらに自分で考えて行動したわけではないので、その結果ミスをしても「私は言われた通りにやっただけです」と言い訳に終始するのです。

自分で考えようとしないから「気が利かない」、指示を待つだけだから「向上心がない」、指示に従っただけなので「責任を回避する」--などの特徴を持ちます。

命令を忠実に実行しなければならない兵士やロボットならいざ知らず、「自分で考える」こと を放棄するとは、人としてどうなのかと思ってしまいます。

2014年8月 7日 (木)

会長・副会長選に8人が立候補!

今回のTICA会長・副会長選挙は、会長に4人、副会長に4人の計8人が立候補しています。

なかなかバラエティに富んでいい感じだと思いましたが、実際は奇麗事では済まないようです。

あるジャッジがSNSで「誰も中傷や言いがかり、たわいない話など聞きたいと思ってない」と書き込みました。

中傷の中身までは触れていませんでしたが、一部の候補かもしれませんが、中傷合戦になっているのかもしれません。

このジャッジの書き込みには名言も含まれていました。

曰く、「これは趣味だけれど、とっても真剣な趣味なのよ。だって、時間とお金の両方がかかわっているんだから…」

確かにその通りです。
 
立候補者には、現在のTICAの問題点はどこにあり、何をどう改善してさらなる発展につなげて行くのかを真剣に論じ合って欲しいところです。

このブログのように、しっかりと根拠と理由を挙げた各候補の主張を期待したいと思います。

「人間は考える葦である」

「命令に従っただけ…」と言い訳する兵士…。「クラブの意向に沿っただけ…」と悪びれることのないエントリークラーク…。

言われたままにやっていればいいだけなら、一面においてこんなに楽なことはありません。

なぜなら、自分で考えることをしなくて済むからです。

しかし、事実関係を自分で丹念に確認し、善悪や是非を判断し、軋轢が生じようとも正しい行動を取るということは、決して楽なことではあり ません。

そして、たとえ命じられてやったことでも、最終的にそうしたのは本人であり、結果責任を免れるわけではありません。

「人間は考える葦である」とパスカルは言いました。

もし、考えることを止めたのなら、それは人間でなくなるということです。

2014年8月 6日 (水)

「やむを得ない」から「またする」?

日本に原爆を投下した米爆撃機B29の搭乗員の最後の生存者、セオドア・バンカーク氏が7月28日、亡くなりました。

彼は生前、広島への原爆投下について、「戦争を終結させるためにはやむを得なかった」「同じ状況だったら、また投下しただろう」と語ったと伝えられています。

その一方で彼は「核兵器は2度と使われてはならない」とも強調していたと言います。

翻って、不当に出陳拒否をしした上に、「クラブの意向」と悪びれないエントリークラークは「何のために」やむを得ず出陳拒否をしたと主張するでしょうか?

そして、「同じ状況だったら、また拒否するでしょう」と答えるつもりでしょうか?

エントリークラークの心の中に、バンカーク氏と同じように「2度としてはならない」という認識があるでしょうか?

もしかすると、正しかろうが、悪かろうが、クラブオーナーと運命を共にするという固い決意があるのかもしれません。

となると、「2度としてはならない」という認識など微塵もないかもしれません。

このクラブが中心となって開くリジョンショーは10月4~5日にあります。

同じ過ちを繰り返すのかどうか、エントリークラークの対応に注目したいと思います。

2014年8月 5日 (火)

「従っただけ…」という言い訳の恐ろしさ

8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下…。

「B-29」の搭乗員は「司令官の命令に従っただけ…」と言うだけかもしれません。

実際、1983年9月にサハリン上空で大韓航空機を撃墜した旧ソ連軍パイロットは「命令を果たしただけだ…」と話したと伝えられています。

最近もウクライナでマレーシア航空機が撃墜され、269人が命を落としましたが、地対空ミサイルを撃った兵士はやはり「命令に従っただけ…」と言い訳するかもしれません。

もし、「命令に従っただけ…」という言い訳が正当性を持ち通用するなら、規模の大小を問わず、こうした”惨劇”はいつまでも絶えることはないでしょう。

自ら善悪の区別をせず、唯々諾々と命令に従い、「命令に従っただけ…」と言い訳することの恐ろしさを、TICAアジアのメンバーはもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。

2014年8月 4日 (月)

「悪の陳腐さ」を一掃するには

世の中に”悪魔的な人間”などいない…。上からの命令に従うだけの凡庸な人間が途方もない厄災を引き起こす…。

これは、このブログでも何度か取り上げた哲学者ハンナ・アーレントの指摘です。

彼女はこれを「悪の陳腐さ」と呼びました。

自分のやっていることの意味を考えない普通の人間が引き起こす「悪」…。これを絶たねば組織は決して健全化しません。

不当な出陳拒否も同じです。

エントリークラークが、自分のやっていることの意味をしっかり考え、命令に唯々諾々と従わなければ良かっただけの話だったのです。

事態を傍観し、「おかしい」と思いながらも何の行動も起こさず、ただ黙って追認する周囲も、ある意味、アーレントが名付けた「悪の陳腐さ」に含まれるかもしれません。

TICAアジアメンバーのひとりひとりが、「自分の行いは本当に正しいかどうか」を絶えず自問自答してこそ、「悪の陳腐さ」を一掃できるのではないでしょうか。

2014年8月 3日 (日)

男の子、”お隣同士”も可能に?

アルターやHHPクラスの話です。

出陳者の許可があれば男の子の審査ケージを隣同士にすることを可能にする議案が提出されました。

これもボードの指示で出された議案であり、ルールコミッティーの各委員の付帯意見も概ね肯定的ですから、大きな反対や異議が出ない限り、通りそうな感じです。

アルタークラスではこれまでも、「男の子を隣同士できれば、全部ナンバーが立つのに…」と思ったクラークも多いことかと思います。

決議が通れば、そうした際には出陳者にひと声かけて了解を得て、男の子でも隣同士にナンバーを並べることができるようになります。

もっと早く導入されても良かったような気もしますが、ショーの進行の円滑化にもつながるでしょうから大いに歓迎したいと思います。

2014年8月 2日 (土)

2日間で20リングのショーも可能になる?

2日間で20リングのショーが可能になるかもしれません。

8月下旬に開催されるTICAボードでは「ショーフォーマット(形式)」に関するルールの修正案が出されることになっており、議論と決議の内容次第では可能になりそうです。

1日=10リング(午前5リング/午後5リング)の1Dayオルタネイティブショーを2日間することで、2日間で20リングが可能にもなるというものです。


ただ、これが可能になると、現在の2Dayオルタネイティブショー(1日8リング、2日で16リング)を規定する意味がなくなりそうです。

1日=10リングのオルタネイティブショーを2日間することで20リングとすることには、ルールコミッティーの委員の間でも賛否は分かれているようです。

ボードの議論と決議に注目したいと思います。

2014年8月 1日 (金)

「RW」もトップ25位まで表彰へ

「ようやく…」と言うべきか、「待ってました…」と言うべきか--。

8月下旬のTICAボードで、「RW(リージョナル・ウィナー)」についてもトップ25位まで表彰されるようになる議案が提出されます。

これまで「IW(インターナショナル・ウィナー)」だけがトップ25位まで表彰されていましたから、決議されれば「IW」と「RW」の表彰基準が揃うことになります。

もちろん、チャンピオンシップ・キャッツはオールブリード25位までのほか、長毛、短毛それぞれ25位までが表彰されることになります。

この議案はボードの指示で提出され、ショールールコミッティーの各委員のコメントも肯定的ですから、決議されるものと思われます。

同意なき「実名公開」は許されるか?

アジアディレクターを務めるオーナーがクラブサイトを通じて「訴状」を公開しています。

しかし、被告4人は「実名公開」に同意したとしても、原告2人については「実名公開」にあたって何の連絡もありませんでした。

本人の同意なく、クラブサイトを通じて「実名公開」することは、良識ある社会人として相応しい言動と言えるのでしょうか?

本人の同意なく、ネット上で「実名」を晒すことが、TICAのジャッジとして、あるいはTICAのディレクターとして相応しい言動と言えるのでしょうか?

もし、みなさんの実名が、みなさんの同意なく、ネット上で晒されても何も思わないでしょうか?

日本の一般的な社会通念上、あるいは道義上、このようなネット上での本人の同意なき「実名公開」が許されるとは思えません。

一般的社会人の常識で考えれば分かることがどうしてできないのか…。

これもまた、私にとっては「真意を測りかねる」ひとつです。

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